最近ふと思ったことです。検証していないので、まだ何とも言えないことですが、
練習と本番、決して同じとは言えないですよね。
でも、やっぱり練習と同等かそれ以上の出来を披露したいじゃないですか?
とは言っても、それがコンスタントに出来る人って、あんまりいないですよね。
僕も、なかなかできません。
じゃあ、なんで本番は難しくなるんだろう??
当然、「緊張」がマイナスに働くからですよね。
本番に備える練習には色々な考え方があります。
1:本番に100%発揮できなくてもなんとかなるように、練習で完璧以上にする
2:本番を、練習と同じような精神状態に持って行く。
3:練習時から、本番と同じような精神状態をつくる。
どれもそれなりに、筋は通っています。
でも、どれもどこか無理がある気もします。
1→
「本番は失敗する」「練習のような出来は期待できない」という考え方が、既に固定観念になっている。本番で一番うまくいかせるパフォーマーやアスリートがいる事実を無視するのはもったいない。
2→
「本番」というのは、場所も状況も練習とコンテクストが異なる。
精神状態を同じにしようとすると、「本番」でこそ得られるかもしれない特別なエネルギーや精神状態を見逃すかもしれない。
3→
「練習」というのは、日常的で刺激が少ないからこそ落ち着いて取り組める側面があるのでは?常に本番を意識しすぎると、ピリピリしすぎるかもしれない。「練習」においての精神的負担が大きくなりすぎるおそれがある。
とも考えられるかとは思います。
そこで提案。
まず本番と練習は異なるということを理解する、受け入れる。
本番は、本番だからこそのスリル・高揚・聴衆から得られるエネルギーがあります。
それが存在している場に入るからには、絶対影響があります。
「同じ状態」ではいられません。
おそらくやるべきことは、「異なる状態に適応する事」だと思います。
本当は、練習のときも常に異なる状態に適応し続けています。
湿度も温度も、身体の状態も毎日毎秒変化しています。
練習がうまくいっているときは、その変化に適応していられているんです。
本番は、適応するスケールが跳ね上がります。
すると、「変化」を受け入れて、変化があるんだということを前提としてもいいんじゃないでしょうか。
それならば、日々磨きたいのは変化を感知し、それに合わせていく「適応力」だとも考えられないでしょうか?
そうやって思うようにしているうちに、変化し、適応する事が楽しいとも思うようになってきました。
日々、毎日の練習が、一瞬一瞬が変化に満ちあふれている。
それに、気がつき感じ取れれば取れるほど、練習が充実し、密度が高くなります。
そういった、意識が目覚めた高い注意力と気づきを磨く
それが練習なんだと捉えれば、
さらに変化が大きく刺激の豊富な本番という状況は、
普段の練習以上のものを発揮するチャンス
とも考えられます。
つまり、練習と本番を同じものにするのはやめるのです。
その代わり、練習で培った「注意と気づき」を本番に使おう!
ということです。
これはほんのこの数日で思い浮かんできたアイデアです。
本当にできるかどうか分かりませんが、今月の本番で使ってみようと思います。
追記
これを書いたのは4年前です。このころはまだ、関西で演奏活動の仕事をしており、いまより現場の実状を肌で感じながらの試行錯誤だったので現在と考えが少しだけ異なります(悪い意味ではなく)。
最近は練習と本番の関係についてはこのように考えています。
→「幸せな音楽生活を支える練習のやり方」
バジルさん、こんにちは。
東京で勉強している(合宿でお世話になった)tazukoです。
いつも読ませていただいてます。
勉強になります。
今回の記事、まさにそうだなあと
私も思います。
はっきりと、文章化されたものを読めて、
うれしいです。
分かりやすかったです。
また、遊びにきます。
tazukoさん
こんにちは!
合宿ではこちらこそお世話になりました?
今回の記事、本番で使えるかな?
自分でも興味津々です。