【オーディションは自分が心から納得する表現を提示する場】 〜演奏家インタビュー/ナイジェル・ダウニング(Hr)第四回~

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秋に出版予定のナイジェル・ダウニング著“Singing on the Wind〜Aspects of Horn Playing~”。直訳すると「息に乗せて歌う」

そのダウニングさんへのインタビューです。
前回はこちら→『音色とアンブシュアの柔軟性』

【オーディションは自分が心から納得する表現を提示する場】
〜演奏家インタビュー/ナイジェル・ダウニング(Hr)第四回~

バジル
『あなた自身は、ホルン奏者として、どのようなスタイルや音の志向性についてどのようにご自身のことを認識していますか?』

ナイジェル
『ぼくの「神」はアラン・シヴィルだった。

彼の演奏を二度聴いたのだけれど、その音、響き、音質は信じ難く素晴らしいものだった。まったく頑張っていないように見えた。

そこに、ぼくは「楽器が共鳴して、音は楽器が生み出してくれることを可能にするような、息とアンブシュアのバランスを見つけること」という考え方を見出していったんだ。

アラン・シヴィルの音はすごく「ツボ」にはまっていて、だから音にたくさん倍音と共鳴が含まれていた。ぼくはそれをずっと意識し、そんな音を出すことを心がけてきた。倍音が多く含まれよく響いている音は、音程のことをあまり神経質に気にしなくて済むからね。

一度、何かの雑誌に和音ごとに第3音が何ヘルツ、第5音が何ヘルツだといいかみたいなことが詳しく細かく書かれているのを読んだ。その翌月号にその記事への返答記事が投稿されていて、「特徴的で良い音色を持っていさえすればどんな音程でも良いってことになるんじゃないの?」と述べられていたんだ。

まあ実際には、その間の多少は中庸なところで考えた方がいいだろうけれど、大事なのは、「ブレンドする・混ざる音」であって、そんな音であるには共鳴を生み出すことが必要なんだ。

ぼくの目標は常に、どんなセクションで演奏していてもそこに混ざるような音を出すべく共鳴を作ることだった。』

バジル
『ベルリンフィルについて話を戻すと、ドイツのトップオーケストラであるベルリンフィルについて、どうお感じですか?』

ナイジェル
『プロのホルン奏者からすると、実のところあそこで演奏するのは実に大変なことだと思うよ。

というのも、入団できても入団にあたって他の団員が納得しきってくれていないと、あのようなスター軍団の中では、自らミスをして団にいられなくなるのを期待されてしまうようなことも起こるんだ。

これまでも数え切れないほど、トップレベルの素晴らしい奏者があそこの職にチャレンジしては、正式に採用されないか短期間で去るというようなことがあった。』

バジル
『なんだか、マンチェスター・ユナイテッドでプレーするサッカー選手のようですね。』

ナイジェル
『まさにそうだよ。

2018年のW杯を見ていても思った。たとえばリオネル・メッシ選手はバルセロナでプレーしているときは、周りに彼をよく知りスタイルに合わせられる選手たちがいるから、ちょうどよいパスを供給することができる。

それが、代表チームになると、彼が必要とするようなボールの供給がなくなって、何をしたらいいのか分からないような、そんな惨めな状況に早変わりしてしまう。

オーケストラでもそういうことはあるもので、ある素晴らしいオーケストラから別のオーケストラに移っても、フィットしないということがあるんだ。理由はなんであれ。その理由を見つけたり、見つけて責めたりしてもあまり意味はない。

生徒をオーディションに向けて準備させていく過程でもこの話が関係してくる。

よく、生徒が「ベルリンフィルではこうしている」と言い出すことがある。

でも、ぼくはそんな生徒に対してははっきりこう言うんだ。

「そんなことはやめなさい。オーケストラが望んでいると自分が思っているスタイルで演奏しようとしてはいけない。それはただの真似事になってしまう。真似をしてしまうと、それはその瞬間に使い古しになってしまう。君は、自分がどのように曲やフレーズを表現していかを100%明確に自分で分かっていなければならない。そしてその通りにオーディションで表現し提示しなさい。あとは、君の提示したものを、オーケストラが気に入るかどうかだけなんだ。もし気に入られなかったら、それは君とは合わない場所だったということ。相手に気に入られようとして体裁を整えても、それは君らしくなく、偽物になってしまう。」

いまでは、リスボンのオーケストラに入っている生徒や、コペンハーゲンのオーケストラに入った生徒にも伝えたことだよ。

自分らしくあれ。

もちろん、ちゃんと教師について、学ぶべきことは学ばねばならない。でも、自分が自分の演奏の解釈や表現に納得していないなら何にもならない。

ソロをレッスンしているときも、解釈についてわたしなりの考えを伝えはするよ。でも、決して押し付けたりはしない。押し付けるときは、自分で決める主体性がない生徒に対してだけだよ。

レッスンしているとき、生徒にはよく、歌わせてみるんだ。

歌っていると、息を活性化する。フレージングを刺激する。音楽についての考えも明確にさせる。

音のコンセプトも持つことになる。ハッピーな感じにしたいのか?悲しい感じにしたいのか?どのような聴こえ方にさせたいのか。

そうやって、歌わせることはホルンにおける大事な基本的なコンセプト作りになる。

本のタイトルが Singing on the Wind というのも、そこからきているんだ。ほんとはSong and Wind にしたかったけれど、そのタイトルはすでにアーノルド・ジェイコブズが使っていたからね。

あるとき、ウィントン・マルサリスがマスタークラスで年配の奏者に、「歌え!息に乗せて歌え!」と言い続けているのを見て、これだ!と思ったんだ。タイトルとしてね。

そのご年配の方が、誰だったのかをいまでも知りたいよ。』

バジル
『呼吸については、どう考えていますか?』

ナイジェル
『ぼくの本でも、基本的な技術に関するコンセプトは呼吸から始まる。

息は肺に吸い込むんだけれど、エネルギーは「肚」に持ってくる必要がある。低い位置だ。

ちなみに、西洋人のぼくが日本人の生徒さんに「肚」の話をすると、みんなびっくりして面白いよ(笑)。でも、ちゃんと伝わるよ。

これは、お腹を引っ込めたり押し出したりすることじゃなくて、支えを確立することなんだ。「肚」は基礎であって、その基礎の上に物事を作り上げていく。

演奏中は、基礎のことは考えていない。音の出し方やフレージングについて考える。だから、一音目の発音にあたってその基礎を確立させるんだ。

支えることをお腹を硬めることだと考えてしまうと、それは胸郭と胴体を窮屈にしてしまっているだけだ。そうなってしまっているケースとはよく出会うんだけれどね。

基礎としての「肚」を確立したならば、あとは自然に任せるだけ。そうなると、次は舌のうしろにまでやってきている空気の準備をすること。本ではバグパイプをモデルに説明したんだけれど、振動する場所に対して空気がちゃんと準備してあれば、音は安定する。まさにそれがホルンでも必要なことだ。

空気がそうやって舌のうしろ側までしっかり準備してあれば、アンブシュアには安定した息の供給がなされる。アンブシュアは、そこを通る空気に反応するわけだから、供給される空気が安定している必要があるんだ。

空気が少なすぎれば、空気のスピードを正すためにアンブシュアは閉じようとしてしまう。空気のスピードが高すぎれば、アンブシュアはまず開こうとしてしまい、こんどは開いてしまったのをコントロールしようとしてギュッと閉じようとしてしまう。

そういうわけで、息と肚が、音を出す前に正しく準備されているのが大事なんだ。このへんのことは、どの生徒ともまず最初に取り組むことだ。みんなアンブシュアのことばっかりに注意が行ってしまっているんだけれど、アンブシュアは息がやってくれることに応じてしか働けないのだから、息の供給の仕方が大事になる。

それが確立したならば、息は流れ続けて楽器を通り抜けていくから、次は音を遠いところまで方向付ける・飛ばすということがポイントになる。

わたしたちはベルから出てきているその音を聴こうとしがちなんだけれど、聴衆は離れたところにいるから、自分のところでいい感じなつもりでも聴衆のところではモヤモヤして霞みがかった感じになってしまったりする。

この、音を飛ばす・方向付けることは、やはり歌うことでも練習できる。歌だとアンブシュアのことを気にしないだろ?息のこと、肚のこと、音を飛ばすことに集中しやすい。出ている声がどうなっていても気にしなくていいわけだ。基礎コンセプトに取り組むのが目的だからね。』

バジル
『空気のスピード、とおっしゃいましたが、それは意図的にその言葉を使っていますか?空気の圧力、とか、空気の流れ、とかではなく、意図があって空気のスピード、と。空気のスピードという言葉を厳密に定義していますか?』

ナイジェル
『圧力、という言葉はわたしにとって「抵抗」が含まれるものだ。だから、圧力ということを考えると、体を緊張させてしまうと思う。

誰かが書いていたな、「低音は、大きな空気がゆっくり流れる。高音は小さな空気がとても速く流れる」と。

‥‥ドイツの批判だけでなく、具体的な技術の話もできてよかったよ(笑)』

バジル
『文化的・歴史的な背景と、奏法や音色のコンセプトの関係についてはとても興味があるので、聞けてよかったですけれどね(笑)

ところで、イギリスに戻ることはあるのですか?』

ナイジェル
『たまに戻るだけだね。ひとつ、オーケストラを引退をして楽しみなのは、ロンドンやアムステルダムに行ってもプロムスやコンセルトヘボウでの演奏が控えているわけでなくて、ゆったりとランチをしてビールが飲めることだよ(笑)これから7千人の前や、テレビ放送でヘマをする心配をしなくて済む(笑)』

バジル
『イギリスのホルン演奏については、どんな印象をお持ちですか?』

ナイジェル
『奏者の数が足りていないのかもしれない、感じることがあるね。

というのも、ぼくの生徒に数人、英国のオーケストラのオーディションに招かれた生徒がいるんだ。でも実は、招待されると思わなかった、どの生徒も英国籍じゃなかったから。

例えば、マサズミ(✳︎注✳︎現/大阪フィルホルン奏者・高橋将純氏)はグラスゴーで吹いていただろ?別の生徒もロイヤルフィルの試用期間まで残った。それにはぼく自身驚かされたんだ。ぼくが英国にいた頃はありえなかったことで、英国籍でない奏者たちが現に英国のオーケストラにはちらほらいる。

原因は分からない、何十年も英国にいないからね。英国では若い子がクラシック音楽に触れなくなっているのだろうか?』

バジル
『ヨーロッパ全体としては、何か傾向やトレンドは感じますか?』

ナイジェル
『音のコンセプトは少し変わったかもしれない。

ぼくがドイツで演奏を始めた頃は、たくさんのアメリカ人がヨーロッパにやってきて各地のポジションを勝ち取っていった。彼らには独自の音のコンセプトがあったから、ヨーロッパはその影響を受けたんじゃないかと思う。

その傾向は、80年代後半になると消えていった。アメリカ人がそれほどやって来なくなった。英国人もそれほどヨーロッパ大陸に来ていなかった。それで、ドイツは自らの音のコンセプトを発達させ始めた。

テクニカルな面での水準は、20~30年前からそんなに変わっていないように思う。過去の偉大な奏者は、現代でも変わらず偉大な奏者として通用する。ただ、そのレベルの奏者が増えているね。』

バジル
『若くてレベルのすごく高い奏者が増えていませんか?』

ナイジェル
『うーん、どうだろうね….』

バジル
『もしかしたら、インターネットで若い奏者を見る機会が増えてそういう印象を受けているのかもしれません。』

ナイジェル
『その通りだと思う。バボラクも14歳ですごい演奏をしていたからね。ザイフェルトも若いときからすごかったから。

ただ、各地のオーケストラの席が妙に空いているね…。正直言うと、オーケストラ側が本当にどんな奏者を求めているか自分たちで分かっていないのではないかと思う。つい最近も、バイエルン州立歌劇場管弦楽団のオーディションで参加者が全員帰されてしまったと聞いた。音のクオリティで気に入った者がいなかったらしい。彼らは、より伝統的なドイツの音を求めているんだけれど、応募した奏者たちは皆、音が明るすぎたと。

現場や、より年配の奏者が求める音と、若いこれからの奏者たちの音の間に矛盾があるのかもしれない。』

バジル
『教育システムが、輩出する奏者たちの多様性を確保できていない面があるわけですね。』

ナイジェル
『そう。教育システムがドグマティックな音のコンセプトに囚われていて、実際に好まれる音を理解していないのかもしれない。

ある時、ある生徒をドイツのオーケストラのオーディションに送り込んだ。あまりドイツのオーディションは受けさせないんだけれど、彼はオーディションに受かった。英国人の生徒で、とても伝統的で大西洋的な音の持ち主だ。

その彼は、オーディション後に審査員たちが「ようやく、求めている音の奏者が見つかった」と半ばイライラして語っていたと言っていたよ。

ドイツにいる生徒は唯一彼ぐらいなんだけれど、ほかの生徒たちは世界中にいる。デンマーク、オーストリア、ポルトガル、ルーマニア、フランス、最近ブルガリアのオケに入った常川仁くん。なのに、ドイツには全然いない。』

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最終回『練習嫌いの師匠』へ続く
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