【16年ぶりに音大に入り直した女性社長】起業家的音楽家Vol.3〜スーザン・デ・ウェジャー第1回〜

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ボストンブラスなどで活躍したチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツ氏が主催するプロジェクトが『The Entrepreneural Musician』。日本語にすると、『起業家的音楽家』です。

オーケストラの団員になる、ソリストになる、学校の先生になる….音楽家として食っていく・生きていくうえで、標準的な音楽教育の場で前提になる将来イメージはごく限られています。

しかし、現実にはそのいずれにも分類されない音楽家や、いろいろな仕事を組み合わせて真の自己実現をしている音楽家でちゃんと食べていけている音楽家、さらには経済的にかなり成功している音楽家がたくさんいるのです。

こうして、音楽を中心にして起業をし、あるいは起業家的精神でキャリアを形成している人物たちにインタビューで迫るのが、アンドリュー・ヒッツ氏の同名のポッドキャスト『The Entrepreneural Musician』なのです。

今回は、いったん音大を卒業した後16年間も音楽から離れ、コンサルティング会社を興して成功していたが、蘇った音楽への想いを現実化するためにその会社を売却して40歳でもう一度音大に入ったオーストラリア人ホルン奏者、スーザン・デ・ウェジャー(Susan de Weger)さんへのインタビューです。

ウェジャーさんは現在、ホルン奏者として活動しつつオーストラリアの大学で「音楽家のための起業」を教えています。

ウェジャーさんのウェブサイトはこちら “NOTABLE VALUES

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~第一回【16年ぶりに音大に入り直した女性社長】〜

Andrew
『きょうはこのポッドキャスト初のオーストラリア人ゲスト、スーザン・デ・ウェジャーです。

スーザン、元気かい?初のオーストラリア人ゲストということで、光栄かい?笑』

Susan
『ええ、もちろんとても光栄よ(笑)』

Andrew
『そう答えろとプレッシャーをかけたようなもんだね(笑)

冗談はともかく、さっそく話をきかせてくれ!

あなたの背景は、とても独自ですごく興味深い。あなたの音楽界で生きてきた道程は、わたしたち音楽家やリスナーの多くが経験してない・知らないことをたくさん含んでいる。それをふまえた洞察をたくさん聞きたいと思っている。

あなたは、音楽を始めて、そしてやがて音大に行って卒業した。
その後、音楽とは別の業界に進み、そこで大きな成功を収めた。

そして、あなたの公式のプロフィールの言葉を借りれば「熟齢」になってから音大の大学院に戻り、そしていまでは音大で教えている。

この経緯を、まずは詳しく見ていきたい。

初めの音大時代というのは、演奏専攻だったのかい?』

Susan
『そうよ、アンドリュー。ホルンを専攻したわ。

でも、音大時代を通じて、そしてその最後のところでとても苦しい時間を過ごしたの。ちなみにそれって、よくある話なの。

音大時代の経験でわたしはボロボロになって、ほぼ壊れてしまったと言えるわ。

それで、音楽を離れてビジネスの世界に入って、イギリスに渡ることになったの。技術者でIT専門家の夫と一緒にITコンサルティング会社を興して、ヨーロッパ各国のいくつもの数億円規模の会社を顧客にしたの。』

Andrew
『あなたの言葉で言うところの「落ちこぼれた音楽家」のプランBにしては、すごい話だね!』

Susan
『実は、音大出身でそうやって活躍しているけれど音楽を学んだことを隠しているひとはけっこういるのよ。音楽という一つの分野で成功を達成できなかったことを恥じているのかもしれないわ。音大という教育システムが用意するたった一つだけの「出すべき結果」を出せなかったに過ぎないのに。』

Andrew
『そういうプレッシャーをわたしたちは自分にかけがちだけれども、もったいなく馬鹿らしいことだよね。』

Susan
『音楽はいまはもはや、「成功するか失敗して終わりか」というようなキャリアでは無いのよ。自分のエネルギーをどこに向けるかはすごく流動的に変えることができるし、音大で受けた教育を使って色々なキャリア選択ができる。

イギリスでのビジネスキャリアを終わらせて、16年間一度も触らなかったホルンに戻ることにする決断をし、40歳で大学院で学ぶことにする、なんていうキャリア選択もできるのだから!笑』

Andrew
『ITコンサルティングの仕事については、今回のインタビューでも詳しく聞きたいと思う。

というのもそういう業界であなたのような成功を収めるには、いろんな失敗というかうまくいかなかったことや、逆にすごくうまくいったことなど様々な事を重ねて学びながらビジネスを構築する必要があったからにちがいないと思うし、それがいまの活動にどのようにしてつながっているかすごく興味があるから。

でもその前に、音楽に戻ってくることにしたところから聞きたい。

あなたの言葉を借りれば、あなたを「壊した」音楽の世界に、16年間も離れたうえで戻らせたことは一体何だったんだろう?』

Susan
『素晴らしい質問ね。

まず言えるのは、そうやって音楽に戻るという衝動が無視できないものになっていたということ。

でも、「なぜ、また音楽を学ぶのか」という”Why”の部分を明確にするのに2年ほどかかったわ。

ひとつには、人生のいくつかの面でそれなりに成功を収めていたということがあったと思うわ。それが、若い音楽家だったわたしが成功しなかったのはなぜだったのかということを考えさせたの。

若い音楽家だったわたしに起きたことは、本当は何だったのか?

ほんとうに、ホルンを演奏する腕前だけの問題だったのか、それとも例えば学生生活とその経験へのわたしの対処の仕方などほかの要素も問題だったのか。

自分の音楽人生が壊れてしまったことに対して、自分の主体性を見出すために分け入って考える必要があったの。

オーストラリアに戻ってから、オーストラリアは人口も少なくて世界が狭いかし、あの頃関わっていたひとたちとまたつながるようになって、あの頃自分が異なる選択をしていたらどうなっていたかといったことを考えるようになったわ。

必要な癒しをして、ホルンを演奏するということに自分がオーナーシップを本当に取り戻す過程だった。わたしは1994年の学生の時、ある一人の、ある一時の、ある一言を、自分が誰であるかの全てとして受け入れてしまっていたの。

でもそんな状態を続けられなくなった。16年間というあまりに長い時間、たった一人のたった一言を自分の全てとして受け入れ続けることができなくなったの。

それにあたって、カナディアン・ブラスのジェフ・ネルセンと時間を過ごせたのは本当に幸運だったわ。彼は、わたしの癒しと回復の過程にずっと付き添ってくれた。感謝しても仕切れない。いまでも、オーストラリアとカナダという遠く離れた距離からでもときどき感謝を述べるためにメールしているわ。

彼は、わたしに「芸術家としてのあなたの存在は価値があり、固有である」ということを初めて伝えてくれたひとだったの。

そこからホルンを演奏するようになって、いろんなレッスンを受けるようになっていった。

でも、20年以上も一切人前で演奏していなかったから、あがり症が全くコントロール不能な状態だった。演奏するということは、ありのままの自分をさらけ出して他者に与えるということ。それがすごく困難だったわ。

大学院に入ってから2日目、家に帰って夫に言ったわ。「わたしは最後までこの勉強をやりきる。でもやりきるだけじゃなくて、音楽教育の改革の最前線煮立つことにするわ。この国で、音楽家であるための教育と、音楽家であるということの意味を改革する」と。

いまでもこの国の音楽教育はいまでも、コンサートソリストになるとかオーケストラ団員になるといった一つの特定の結果を得ることばかりに話が集約していってしまっているの。でも、そういう職業にはこの国で輩出している音楽教育の卒業生のうち0.4%しか就かないのよ。その乖離の深刻さがすぐにわたしの意識を捉えたわ。

卒業生の成果を改善すること、起業とビジネスの教育ということは、わたしが上手で経験もあり情熱もすごく持っていることのまさにど真ん中にあるということに気がついたわ。わたしは、音楽大学の教育のベルトコンベアの終着点で落ちこぼれていく数多くの卒業生のまさに一人だったの。そんな体験をいまでも若い人たちがさせられてしまうのを漫然と眺めてなんかいたくなかった。

それで、いまやっている音楽家のためのキャリアサポートと起業教育という活動に進んでいったの。』

Andrew
『素晴らしい答えだ。

そもそも、売却できるような企業を作るということは凄いことだ。かなりの成功をしていないといけないし、自分が去ってもお金を生み出し続ける人のグループとビジネスの形を作り上げたからこそその企業を買収しようという需要が生まれる。

ビジネスへの究極的な高評価というのは、「その企業を買収したい人・企業がある」ということだ。

あなたは、その高みに達した。
なのに、そこを離れて音楽の世界に戻ることにした。

戻ってくると、ひどいあがり症になった。それはすごく理解できることだ。だって、わたしたちが生み出す音楽やアートというものは、本当に「自分自身を見せる」ということだから。

あなたほどビジネスで成功し、その賢さと強さを持っているひとですらも、音楽を演奏するときにはそれほど怖いと感じるということ。その事実に、ほっとしたひともリスナーの中にはいるんじゃないかな。

さらに素晴らしいのは、その困難を受け止め、取り組み、前に進んでもいったということ。励まされるひとは多いと思う。』

Susan
『いまでも、あがり症と格闘しているわ。

あがり症を「解決した」というところまで行き着くことを昔はずっと待ち望んでいたけれど、でもそんなときは訪れないということを学んだ。

1週間半後にソロ演奏の機会があるのだけれど、緊張は高まってきているわ。

わたしにとっての演奏体験は、恐怖やいろいろ厄介なものがこびりついてしまっているの。それを変えようと、ひたすら頑張ったけれど、それは変えられないということを理解したわ。

演奏するということの、わたしにとっての体験はそういうものなの。

そこでわたしには選択肢があるの。わたしにとってはそういうものなのだと不快感や恐怖を受け入れて、それでも「やる」という選択肢と、ぜんぶやめにしてホルンをしまいこむ選択肢。

いまわたしは、演奏の体験がもっと快適で平和なものであればいいのにと願わなくなった。もう、こういうものなんだと受け止めきるところまでこれた。

ジェフ・ネルセンもこのことについてよく話すわね。自己共感と自己受容について。

わたしのマインド・脳がわたしに体験させるのはこういうことだ、ということをまずは受け入れる。そうなってしまうのは、演奏を通じて他者と共有したいことがすごく大事なことだからというのもあるのだから。

でも、演奏するという体験がわたしにとってこういう苦しいものであるということを変えようとしない。ただそうなどという事実を受け入れ、苦しむ自分に優しく共感し、自分をよく世話してあげながら、それでもやる。

運転していて後部席に子供達が乗っていてギャーギャー騒いでいるとするでしょ。お母さんの気を引こうとなんだかんだと喚いている。演奏するときのわたしの脳の中の不安や恐怖は、後部座席の子供達と同じ(笑)。そして運転しているわたしは、「そうねそうね、子供達。でもね、お母さんはいま運転をするのが一番大事なんだよ」と。それが演奏しようとするわたし。そういう比喩が気に入っているわ。

頭や心の中で思ってしまう考えてしまういろんなよくない思考は、いまでも変わらず鮮明にある。でも、わたしがやる必要があることは、人前に立って、準備してきたことをみなさんの前でできる限り最善に実行しようとすること。それだけなの。』

Andrew
『演奏の経験を積み重ねることって、つまりそういう不快感や恐怖があるということに慣れてある意味その状態に快適になってしまうということだよね。

もちろん、わざわざ怖いことを探しにいって考えようとするわけじゃないけれど。

でも、ビジネスにおいても、もし不安や不快を全く感じていないなら、それって何にもチャレンジしてないということを意味しているわけだから、むしろまずいんだ。あなたも、快適で不安がない状況のまま過ごしていたら、売却したITコンサルのビジネスをあの規模にまで育てあげることは決してできなかっただろうし。

このポッドキャストに登場するゲストはみんな、日常的にそういうチャレンジに伴う不安・不快を経験しているんだ。とっくの昔に全てを達成してそれ以上何も求めずに平静平安にしているようなひとは呼ばない。』

Susan
『音楽教育の問題点のひとつがまさにそこにあって、いつも強く揺るがずあることばかり求められている。一方、現実にあるこういった問題や、自己不信あるいは自己共感・自己受容といった深い事柄についてちゃんと話をし向き合っていくことが難しい環境になっている。そういったことこそが、音楽もそれ以外のことでもキャリアの息の長さ・強さを形成することなのに。』

Andrew
『いちアーティストとして、ぼくも20年のプロ活動の中で自分のコンフォートゾーンを出て行かない時期もあった。でも、フリーランスでやっているとチャレンジに機会は多い。

今年のはじめにワシントンD.C.のナショナル交響楽団のエキストラに行っていたんだ。子供向けの演奏会だったんだけれど、ぼくはオーケストラのエキストラはそんなに頻繁はやっていないというか、在籍しているひとたちほどしょっちゅうではないから、それなりに緊張感があった。

一方、オーケストラ自体はその2日前に2週間半のヨーロッパ演奏旅行から帰ってきたばかりで、みんなすごく疲れてだるそうだったね。時差ぼけもあるし、ブルックナーの交響曲とか大変プログラムばかりこなしていたから。

同じ演奏会・仕事に臨んでいても、普段とは異なる場として臨んでいるとよい意味で緊張感と緊迫感があり、一方でいつも同じだとそういう緊迫感が持てなくて逆に大変ということがあるんだよね。

そういう意味で、ちょっと慣れない状況に身を置くというのはよいことなんだけれど、それにしても16年間完全に離れていた悪夢にまた首を突っ込んで格闘しようというのはすごい決心だ。』

Susan
『大学院のひとたちのサポートのおかげもすごくあるわ。

40歳の子持ちで、しかもITコンサルの仕事もまだ携わっているわけで、若い学生とはちがって家や仕事の状況でちょっと顔を出せないときなどもあったんだけれど、よく理解して快く対応してくれたの。』

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第二回【売り込みを嫌がるのは自意識過剰の証拠】へ続く
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