先週土曜、ついにトランペットを購入。(中古)
トランペットの練習をはじめて三日目。まだ音がホルンっぽくてアレですが、きょうハイEbが鳴った!
トランペット吹くときは、感覚や技術でまだ当てになるものがあまりないので頼りは音のイメージ(=脳から筋肉への指令)と息のみ。おかげで、ホルンに持ち替えると、いかに自分がホルンで「小細工」していたか分かる。トランペットの練習はとってもプラスに働いている、いまのところ。
トランペットに関しては趣味だし気負いがない。外そうが下手くそだろうが構わない。苦い歴史もない。そういう気持ちで楽器を練習したのは一体何年ぶりか。15年ぶり。
そういう「条件」でトランペットを吹いたあと、ホルンに持ち替えると、いかに余計な小細工が始まるかハッと気付くわけだ。
「小細工」をはじめる動機は、「はずしたくない」もあるが、「こんなに鳴らしちゃまずいんじゃないか」という気持ちがあったのが大発見!
トランペットのときは頼れるものが他にないからほんとに息主体でアンブシュアやタンギングは受動的、従属的、補助的な感じになる。それでホルンに持ち替えるとえっらい楽器が鳴る。
そういえば、ドイツで五年間師事したフランク・ロイド先生は楽器を隅々まで鳴らし切り、舌もアンブシュアも喉も完全フリーな感じだった。
卒業して四年たったいまになって、こういうことか!と先生のやってたこと言ってたことが分かる。そして分からなくさせてたのが「鳴らしすぎ」という漠然とした恐れや遠慮。必要なことをやれば「鳴る」その鳴りや音量はたとえでかくても「自然」で「やりやすい」から、これが「基本」だったんだね‥‥
楽器が抜けたように鳴り響くと、その「自然さ」「簡単さ」にびっくりし、どこかで「ありえない」と思ってしまい、口先小手先に走り、硬くなっていたんだなあ。キャシー先生のいう「骨盤底主導」と、ロイド先生のいう「オープンに、余計なことを何もせず、ベロで邪魔せずのどを開けて」が結びついた!
おまけ:5年間習った先生の動画
Frank Lloyd トッカータとフーガ(ホルン)
全く同じことを今夜感じました。
いかに自分が良い音を出そうと小細工していたか。
コプラッシュを試しに最初から最後までfで吹いたら、めちゃ良い音。
オケの中でバランスをとろうとしてブレーキをかけていました。
遠慮せず吹こうと思いました!