マイクロソフトから音楽院に転職した民俗楽器専門家!?

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ボストンブラスなどで活躍したチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツ(Andre Hitz)氏が運営する、The Entrepreneurial Musician、直訳すると「ザ・企業家的音楽家」というチャンネル。

これまで、

・数年契約を続けていて、正団員になるだろうと誰もが思っていたオケのオーディションで失敗した翌日から新しいリップクリームの開発を始めて大成功sいたトランペット奏者
・空軍バンドで終身地位保証が得られる直前でフリーランスに転身した女性チューバ奏者
・大学音楽学部に、クラシック音楽と産業・ビジネスについて研究し教育していく部門を設立し様々んプロジェクトを成功させたファゴット奏者

など、アメリカで様々なキャリア開拓を身を以て行ってきた音楽家たちにインタビューしているチャンネルです。

今回聴いたのは、、ローレンス音楽院学部長ブライアン・パートル氏へのインタビュー。音楽の仕事、音楽を中心に回る人勢の多様性がこのインタビューのテーマです。

このインタビューを聴いて印象に残ったことのランダムなメモです。


〜ローレンス音楽院学部長ブライアン・パートル〜

【学生〜研究者時代】

・トロンボーンと英語学を専攻

・音楽にも科学や学問にも興味があったから両方専攻できる大学を選んだ

・大卒後、オーディションを受けたりジャズバンドで演奏したりしていたが、一年間好きな国へ行ける奨学金に応募してオーストラリアの民俗楽器ディジュリドゥとチベット仏教聖歌の調査をした。

・もともとは一年で帰ってまたトロンボーン演奏の仕事をするつもりだったが、音楽と世界の多様性にすっかり魅入られ、民俗音楽学の研究へ進むことに。

・ディジュリドゥはトロンボーンとちがい基本的に一音しか出ないが、口の形や声によって様々な響きを生み出す『一音のなかの宇宙』に惹かれた。この経験はトロンボーンそして西洋音楽をまた新たなアプローチで聴き、取り組む視野を生んでくれた。

・博士号取得のためにシアトルにいたころ、ディジュリドゥ演奏の仕事たくさん来たがトロンボーンの仕事は来なくてフラストレーションを感じた(笑)。が、よく考えるとディジュリドゥという素晴らしい楽器を演奏できるなんて最高!その波に乗ってしまおう!シアトルマリナーズの始球式やボーイングの除幕式などで演奏する機会にも恵まれた。

【マイクロソフト時代】

・すると、90年代初頭にCD-ROM技術開発を本格化させていた、あのマイクロソフト社から引き合いが!ディジュリドゥの三十秒演奏録音で50ドルというバイト依頼。世界中のあらゆる楽器の良質な録音を気軽に聴けるCD-ROMテクノロジーに大感銘を受ける。そんなこんなで、CD-ROM 編集者として働かないかとオファーされる!(笑)

最初は無理と思ったが、よく考えればまだ誰も経験していない仕事でだれもよく知らないのだから、と気付き受諾。以後、16年に亘りマイクロソフトで民俗音楽分野の研究員・ディレクターとして働く。毎日8時間音楽を聴き、録音アーカイブに使う楽器を選んだり、キャプションを書いたり。存在を想像もしなかったキャリア・仕事だった。

・その仕事に重ね、民俗楽器の講演、演奏活動も続ける。

・でも、元々の夢である博士号→大学での教育・研究という道を選択しなかったことへの悲しみ寂しさがあった。未来ある学生の自己実現に携わりたかった。

・マイクロソフトで16年働いたころ、母校ローレンス音楽院からディジュリドゥのリサイタルをやってほしいと依頼が。リサイタルは好評。会場にはトロンボーンの恩師の姿も。その恩師から後日、『よく聞け。いまうちの学校では学部長のポジションが空いているから、絶対応募してくれ。』と。

・博士号も取ってない、訳のわからない楽器を演奏し、マイクロソフトなんかで働いている自分を、音楽院が学部長として欲しがるわけがないと思い失笑したが、恩師は食い下がる。そういう多様な経験をしている人材を音楽院は必要としていると。根負けして応募。

面接では、この職がマイクロソフトで培った管理調整スキルを含めてピッタリと悟る。マイクロソフトの仲間からは、小さな大学なんかに行くなんて…と呆れられたが(笑)

・一度は諦めた大学でのキャリアに戻れたのも、マイクロソフトでの経験のおかげだった。

・歳がいくと、冒険より安全を選ぶべくすぐ自分を説得しがち。でも、『冒険を避けるためにマイクロソフトの仕事にしがみつこうとしていないか?それはマイクロソフトの為になるか?』と自問。

・インタビューアーの知り合いに、空軍バンド所属の作編曲家がいる。彼はジャズ教育の最高位といえるある大学の教授職に、空軍を辞めて応募した。アメリカの軍は20年勤めると手厚い終身保障があるから普通は20年頑張る。でも、19年で辞めて、倍率数百倍の教授職に応募した。(結果、勝ち取った)

【音楽院に戻り現在に至る】

・音楽院とはかなり保守的で、教育内容も非常に伝統的保守的で提示する音楽家像が狭い。オーケストラの席を勝ち取るだけが目標になりがち。でも現実には遥かに多様な音楽家の生き方・あり方がある。それを学生に意識させ、自分で実現する力を準備させたい。そういう方向に音楽院のあり方の梶を切りたい。

・当時のマイクロソフトはまだ従業員も少なく、少人数のグループで自律的に、非常に大きな裁量を与えられて仕事を任された。そういう仕事のやり方を学問の世界でもやることを目指した。何でも、たくさんの失敗をしないと成果は得られない。失敗やリスクを恐れないこと。

・普通は学問の世界は変化や学問以外の世界のやり方に対してかなり保守的で抵抗するが、幸いローレンス音楽院では喜んで迎えてもらえた。

・カリキュラムを変えるのはあまりにも時間と労力がかかるが、文化はすぐに変わる。だから文化を変えることに着手した。方法は世界中の色々な音楽に触れられるようにした。必修単位ではなく、選択授業でガムラン、サンバ、キューバ音楽、ディジュリドゥなどに触れて体験し学べるようにした。いずれも記譜はされず、聞伝で継承発展されてきたものだから心と耳をオープンにしないといけない。必修じゃないのに、大半の学生が参加するようになった。

・こうしてヴァイオリンの学生たちが即興音楽に取り組むようになるなど、創造的なチャレンジが出てきた。

・即興はどんな楽器でできるか?どんな組合せが可能か?どんなコンサート形式ができるか?そしてビジネスへと育てられないか?…そういう創造的で起業家的なマインドを刺激する。

・パートル氏の妻は小学生を対象に非常に創造的な音楽教育プログラムを展開している。好きな楽器複数種類に取り組ませ、作曲もさせる。子供たちは心の赴くままに遊び感覚で音楽を多面的にする。まさにそういう感性を音楽院の学生にも持たせたい。素晴らしい奏者でも音楽院に来る頃には遊び心が閉じきっていて残念。砂場で遊ぶようなつもりで実験的に失敗を楽しんで音楽に関わってほしい。

・音楽院では起業・ビジネスのクラスも設けている。アイデアを出して、やってみて、どうなるか。それをたくさん失敗し練習するためのクラス。楽器と同じで、失敗と練習の積み重ねなく起業・ビジネスに必要な実験精神、チャレンジする姿勢、創造性は身に付かない。

・この起業・ビジネスのクラスではダンス会に参加したり、瞑想音楽をじっくり聴く『ディープ・リスニング』をしたりして一ヶ月間、新たなことにチャレンジし恐い思いをしたり失敗したりしながら新しいことをやってみる経験をしてから、ビジネス模擬プランを発表する。

・世界は、現実は、自分が快適なままでは変えられない。冷や汗をかきながら未経験のことにチャレンジしないといけない!だからその授業を教えるパートル氏自身、いつも新たなことにドキドキしながら取り組む。この授業では、学生にやるべきことを指示するのではなく、学生が行き着きたい場所までパートナーとして協力する。

・何十年も同じことを同じように、間違わないように正確にやり続けようとする文化を変えていこうとする学生たちであってほしい。音楽院の教員や上級生が新しくて個性的なことをやっていると、下級生や新入生は『自分には何ができるだろう?と考え始める。』

・コンフォートゾンを出るのが一番良いタイミング、やりやすいタイミングは学生のとき。

・仕事なんか、やり方もわからず始まることだらけ。失敗しても死なない。失敗したら、やめるか方向転換するか改善するかすればいい。早くどんどん失敗すればいい。あれをやっておけばよかった、これやってみたかった、と後悔したくない。

・音楽の学生は、音楽の世界・業界を実際よりかなり狭くとらえがち。多くの学生が思っているより、音楽の仕事というのは多様である。パートル氏は、「音楽のキャリア」という言い方より「音楽的人生」という言い方を好む。たとえば自身が学生時代、学部長職が音楽と深く関わるなんて想像もしなかった。現実には音楽教育、音楽文化、音楽業界に深く関わる仕事なのだ。

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Basil Kritzer

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