自省録 No.4 プレッシャーは能力がある証拠

昨日、藝大に授業に行った際、学生のひとりからこんな質問が。

「最近なんだか、本番ごとに段々プレッシャーが増しているように感じるんです」。

普段なら、緊張をもたらしている「思考」の特定とその効力の軽減の作業をやるところなのだが(その作業「あがり症の対処法」詳細はこちら)、今回はなんだかそれが必要でない気がした。

するとふと、こんな話が自分の中から答えとして出て来た。そのときしゃべったこと。

「プレッシャーが増えていると言う事は、それだけ責任ある舞台に立てるようになってきたのかもしれないね。プレッシャーは、能力と資質ある人のところにかかるもの。それだけの責任を与えてもらっているわけだから。

まず単純に、藝大生というだけで、ひとは期待するし、たくさん上手な先輩がいたりして、変な演奏はできないというプレッシャーは感じるかもしれない。でも、そういうプレッシャーを感じるのは、狭き門をくぐって藝大に入れたからこそだよね。ということは、君にはそのプレッシャーに相応しい能力と資質を備えているわけだ。

一回一回の本番の演奏の出来不出来より、プレッシャーを感じる舞台に立っているということ自体が、根本的な能力を示唆している。そういう意味では、よりプレッシャーを感じるようになっているということ自体が、喜ばしいことで、順調に前進している証拠なんじゃないかな?

問題は、そのプレッシャーを感じながらも舞台に立ち続ける気力や度量。それが音楽家としてやっていくうえでとても大切なるかと思う。

コンクールに次々入賞して、大学を卒業してすぐにオーケストラにも入団できた才能あふれるプレイヤーが、オケ1年目2年目にものすごく苦労したり調子を崩したりすることはよくあること。それはそのプレイヤーの能力や資質が問題なのではなくて、プロのオーケストラで仕事として演奏し続けることの毎日続くプレッシャーに最初はかなりやられてしまうから。

欧米のオーケストラでも、オーケストラの首席をやっていた才能豊かなプレイヤーが、より高いランクのオーケストラの2番や3番奏者として移籍することがある。それは、「首席奏者」のプレッシャーがあまりにキツくて、長い目で音楽家人生を考えたときに2番奏者や3番奏者としてやっていく方が自分に合っていると判断するプレイヤーもいるから。首席をやるくらいだから、能力は当然すごい。それでも、プレッシャーの重みをどこまで受け止められるかはまた別種の人間力、器、幅なんだろうね。

何にせよ、いまきみがプレッシャを感じているということは、プレイヤーとして成長しているということだと思う。」

自分でしゃべってて、なるほどと思った。

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