高校音楽科で勉強するある吹奏楽部の金管楽器吹き高校生からのメール相談です。
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案外、比較なんてされていない
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【質問者】
こんにちは、
一年前にアレクサンダーテクニークを知って以来、たくさんお世話になっています。楽器の響き方を身に感じるようになったのもこちらのおかげです。
バジル先生に相談なのですが…
これから大学受験などがどんどん近づくにつれて他の人と自分の演奏を比べられる機会がどんどん多くなると思うのですが、オーディションや試験だとどうしても力が入ったりして思い通りの演奏ができません。
最近は本番どころか、練習でも焦ってしまって練習に内容がないように感じます。
なんのために自分が楽器をやっていきたいのかがよく分からなくなってしまいました。
また、部活でもまだ全国大会が今月末に残っていて、その間に代替わりをするのでそれもプレッシャーになっていて困惑状態です。
みんなを引っ張って行く立場になるのに心身ともにコンディションが整っていなくて焦りを感じます。
メンタルコントロールなども、何かアドバイスしていただけませんか。
【バジル】
こんにちは。
「他の人と自分の演奏を比べられる」という状況は、
・音楽大学の中での、学生同士の間での比較、順位付け
が一番顕著にあるでしょう。あなたは音楽系の学科にいるということなので、音大ほどではなくても、少しそういった面があるでしょうね…。
しかし、ここで重要なのは
・学校の試験
・コンクール
・入試
・オーケストラのオーディション
・演奏の仕事
は、他人と比べられているような気持ちになりやすいですが、実のところ、学生同士がお互いに意識しているほどには大して「他人と比べられている」ということは起きていません。
学校の試験は、試験官の先生方は「あなた」の力と取り組みを聴いて、見て、判断しています。
「評価」をしているのです。
その評価は、点数化されて他のひととの関係で順位付けされることはありますが、それはあなたの「演奏」を比べているのではなく、あくまで評価や点数を比べているだけなのです。
入試も似ています。倍率が高いと、「得点」の比較で合否が決まることがありますが、その「得点」とてあなたの演奏をそのとき審査員がどう採点するかというだけで、
比較の要素は薄いのです。
しかも、倍率がそれほど高くなければ、その得点すら、奨学金などが関係していないのであればあまり大きな意味はありませんね。
コンクールの場合は、レベルが高くなってくると、「1位該当者なし」ということもよくあります。
出場者同士の比較ではなく、そのコンクールとして「1位」という栄誉を与えるに価するかどうか、そのコンクール側の基準で評価しているわけです。
オーケストラのオーディションも、意外と比較はされていません。
でも、
「このオーケストラの団員としてやっていくに十分な能力があるか」
「このオーケストラにマッチする性質・スタイルを持っているか」
を徹底的に聞かれ、評価されます。評価基準は、うまいかどうかではなく、「ウチの仲間に入れたいかどうか」です。
自分という「商品」を売り込む、プレゼンテーションの場なのです。
フリーランスでの演奏の仕事は、その仕事を発注したひとが、またあなたに依頼しようと思うかどうかです。
これも比較というよりは、評価ですね。
評価基準は、実に様々です。
ある程度の技能は前提として求められるでしょうが、それ以上はほんとにひとそれぞれ、状況ごとに多様です。
こうして見ていくと、実は比較ってあまりされていなくて、
「あなたのきょうの演奏はどんな演奏だったか」
をひとは聴き、見て、状況ごとに存在する評価の基準と理由に基づいてなんらかの評価をするわけです。
で、他人の評価というのはコントロールできません。
コンクールやオーディションで、そのコンクールやオーケストラが求めている演奏の方向性を調べ、
それに合わせた演奏を準備することはできます。
それとて、評価を直接コントロールするものではなく、そのコンクールあるいはオーケストラで認められたいというあなたの意志が先にあり、あなたがあなたのその意志の実現を決断した場合のみ、そうやって「そこで評価を受ける可能性が高まるための準備」を自分が行っているということなのです。
直接コントロールしたいなら、それは政治、賄賂、脅迫を用いることを意味します(笑)
あなたが、
・一回一回の演奏の場でどんな音楽をしたいか
・音楽人生で何を大切にしたいか
・音楽人生で何にチャレンジしたいか
が全てです。
それらを自分でしっかり把握することが大切です。
場合によってはそれらが分からなくなることがあるでしょう。
そうすると、心が乱れ、自信が揺らぎ、演奏が乱れます。
だから、いつもそれらを問い、把握しなおし、強い意志で、他人の目線でなく自分の価値観と意志に基づいて自分にとっての最善の努力を続けること。
そういう意識で取り組めば、究極的にはどんなプレッシャーも乗り越えられます。
お返事お待ちしています。
【質問者】
確かによくよく考えてみると、他人と比べられてはいないんですね。
勘違いをしていました。
今月末は校内演奏会のオーディションがあります。
他人と比べず自分なりのいい演奏ができるように練習での考え方も変えていこうと思います。
今の段階で、人と比べないで自分自信を高めていく気持ちでやっていたら、少し音が柔らかくなった気がします。良い結果になるように努めていきます!
また報告させていただきます。
こんばんは。いつも勉強になるブログありがとうございます。この度は、どうしても、バジル先生に相談したいことがありましてコメントさせていただきました。
私はホルンを吹いています。そしてもうすぐ大きな本番があり、その中でもいくつかソロを吹きます。前から何度かソロを吹く機会はあったのですが、納得した演奏をできた本番はなく、毎回緊張にのまれてしまい普段の練習での演奏ができていません。
以前までは、本番で極度の緊張がおこり、いつも通りに吹けず、失敗してしまい、もう吹きたくないと思うのですが次こそはという気持ちを持ってソロを吹こうとしています。
ただ、大きな演奏会ということもあり、いつも以上に成功させたい!という気持ちが大きいです。それに反するように、なぜか普段の合奏から極度に緊張してしまい、練習でしているような演奏がまったくできません。緊張することを受け入れ、周りにどう思われても、私のできる演奏をと思うのですが、呼吸がしづらくなり、手が震え、動悸が激しくなり唇も満足に震えず、息もいつもの半分ぐらいしか持ちません。
人の目を気にせずに、と思うようにしても体がそのようになり、もうどうしていいかわからない状況です。
緊張があるのは、良いことだというのも理解はしているつもりですが今の私にとってこの緊張がある限り、吹くことが嫌になってしまうほどです。ここまでくるのなら私がソロを吹かない方が良いのかとも思います。ですが、大好きな曲でのソロ、吹き切りたいです。
長文失礼いたしました。なにか、少しでもこの状況から打破できるようなことはありませんでしょうか。緊張に負けて、楽器を演奏すること、ホルンを吹く自分を嫌いになりたくありません。
よろしくお願いします。
美月さま
その体の反応自体が、もしかしたらカウンセラーやセラピーなどで治療が必要なレベルに達している可能性もあるのかもしれません。
でも、震え・動悸はほぼ毎本番当たり前のわたしからすると、そういった体の反応や変化の多くは実のところ「それ込み」でどう演奏をするかということで十分乗り越えられる、あるいは演奏に実のところ悪く作用しない可能性も感じます。
言葉で言うのが難しいのですが、わたしの場合は、そういった体の反応の中で演奏するには、そうなっていない普段より息の吸い方も吐き方も、姿勢の維持も、アンブシュアの運動も、『もっと思いっきり、力を使って、意志を強く持ち続けてやり続ける』ことが必要です。
逆に、それをやりさえすれば、実のところ自分の良さや特徴は普段よりはっきり表れて、演奏し終わって気持ちは納得といいますか、「やってよかった」と思えています。
問題は、それをやり忘れたり、やるのを恐れたり、体の反応が出ないことを願ってちゃんと立ち向かわなかったりしてしまいがちだということです。
体の反応もあまりに強いとそれは病的かもしれないので、治療が必要かもしれないですが、その前にそもそも少しでもそういう体の反応が出ることを避けようとしていないか、いつものままで吹こうとしていないか、という点が気になります。
また、「成功させたい」という気持ちは当然ですが、その気持ちが大きいことより、「失敗できない、失敗したくない」という気持ちが強いことが問題です。それが恐れや緊張をエスカレートさせます。
エスカレートしない恐れや緊張というのは、ジェットコースター乗っているときの「こわ〜い!!」という気持ちやドキドキと似ていて、本番という空気感、人前に出ることに対しての本質的な緊張感と怖さにあると思うのです。でも、とても怖いし体も反応するけれど、「なんにも危険なことは起きない。自分は大丈夫」というのが厳然たる事実なんですよね。
その事実より、頭の中の「失敗できない」が強まってきちゃうと、これは妄想ですから歯止めがきかずエスカレートしてしまう、というふうに比喩的に見ることもできると思います。
「自分が失敗するということ」について、もっともっと深く掘り下げて向き合う必要もあるかもしれません。
失敗することに対しての恐怖や、失敗したくないということへの執着をしっかり軽減していく取り組みです。
それが、体の反応が強いときでも、頭の中はどこか落ち着いて、先ほど書いたような『もっと全部をしっかり実行する』という本番でのあり方を実行する助けになりますし、もしかしたら体の反応自体も少し落ち着くかもしれません。
当然もうお読みになっているだろうとは思いますが、下記の記事の「③思考の毒抜き」がそれです。
https://basilkritzer.jp/archives/5377.html
Basil Kritzer
バジル先生
お早い返信ありがとうございます。
たしかに、考えてみれば緊張が酷い中でも音は出せているし、全く吹けなくなっているわけでは無いということに気づきました。手が震えることや、発汗量が増えること、動悸がすることなどの身体面が大きくあり、そこに「間違えられない、うまく吹かなければいけない」といった恐怖や執着があるというのもとても納得させられました。
これらを含めた状態での演奏というのも試みています。緊張しているのをエネルギーに!とポジティブに考えたりもさせていただきました。ですがどうしても思っている演奏ができず、指揮者からも厳しい指摘を受けることになりました。
自分が失敗するということについて、深く掘り下げてと言っていただき自分と向き合っておらずただ「吹けない」という考えだけで、逃げている部分もありました。考えているうちに、中学や高校生のときはソロを吹くことに恐怖なんで感じていなかったということを思い出し、なんでだろう?今と違うのはなんだろう?ということも考えていました。現在は間違えられないという考えや、自分ができていなければ人に言えないという思いがありそれらにかなり強く縛られているのだな…とも気づきました。
ただそこからどうしたら良いのか、そのようなことは本当では無いという毒抜きの思考をしてみるのですが、うまく行きません…。怖いことは無いと強く自分に言い聞かせていくことが大切なのでしょうか…
美月さん
思考の毒抜きは、簡単にちょいちょいと一回やれば済むようなものではなく、
例や説明をよく読んで、じっくり自分の思考と向き合い作業を続けてはじめて意味や効果があるものです。
本当ではない、という言い聞かせるのが毒抜きではなく、
「本当だと信じていたことが、そうではなかったと気が付いて、影響力が弱まったり無くなったりすること」
が毒抜きの到達点です。
それまでは、まず自分が何を信じているのかの特定、それが100%本当と言えるか、本当と思っているときに自分がどうなっているかの観察、それがなかったとしたらどんな感じがするかの想像、逆は何か/真実は何かを考えてみること、といったひとつひとつのステップを順番に丁寧に踏む必要があります。思考の毒抜きを専門に教えている、バイロン・ケイティの本を買って読むのもいかがでしょうか。
運が良ければ10数分で良い効果があることもありますが、あがり症歴が長いなら、いくつもの思考を毒抜きしていく必要があるかもしれません。その作業を、次の演奏会までに間に合わせようとしても、焦っているだけで意味ある取り組みにはなりづらいのではないでしょうか。
恐怖のレベルがあまりにも強く、そして長く続くならカウンセリングなど感情に関係する専門的で治癒的な助けも必要でしょう。
このコメント欄でできることは、考えるきっかけや材料を得ることぐらいであり、すぐに解決や安心に持って行こうとするのは無理があると思います。
Basil
バジル先生
すぐに解決や安心に持って行こうとするには無理があるという言葉と、次の演奏会までに間に合わせようとしていて焦っていても意味のある取り組みにはならないという言葉に正直どきっとしました。
本当にその通りだと思います…。現状から早く逃れたくて気持ちばかりが焦ってしまっていることに今更ながら気づきました。
自分とまず向き合うことや、緊張している時、そうで無い時の自分の体の違い、なにを感じているのか、どうしてそうおもうのか…1つ1つ整理してゆっくりと考えていくことをしながら楽器を吹いていきたいと感じました。吹けない自分が嫌で、楽器を吹く自分と向き合っていなかったことに気づかされました。早くどうにかしたいという考えをまず置いておこうと思います!
自分の体と、自分の気持ちと、それに対応してくれるホルンの音と…1つ1つを受け止めながらしばらく取り組んで行きたいです!
焦りを含み、どうにかしたい一心の私の言葉にも真摯に向き合ってくださり、助言等本当にありがとうございます。前向きな気持ちが良い方向になるよう、自分をしっかり観察していきたいです。
美月さん
うん、それがいちばんだと思います。
自分の経験することを受け止める気持ちが出てきましたね。
そして、ホルンに取り組みたい気持ち、ホルンが好きな気持ちが出てきましたね。
何よりです。
そういう気持ちで向き合えてさえいれば、たとえ本番で緊張してもうまくできないところがあったとしても、
やってよかったよ感じられる時間になるのは確かでしょう。
やり取りをブログで紹介させてください。
Basil
バジル先生
ありがとうございました。あまりにも「成功」という言葉に執着していたのだなと心が軽くなりました。等身大の自分と少しずつ向き合っていきたいと思います。
ブログ、もちろんです。私の相談事と同じようなことで悩んでる人たちにとって少しでもお力になれればと思います。
ありがとうございます。
こんな感じになりました:http://basilkritzer.jp/archives/6475.html