ある大学での講座でのワンシーンです。
ひとりの学生さんが、こう質問しました。
. . . . .
学生「アンサンブルで一緒に吹いているひとから、わたしなんかと一緒にやりたくないと思われているんじゃないか、と不安になってしまい、不安になると調子が悪くなるのですが、どうしたらいいですか?」
わたしはこう答えました。
バジル「仮に、アンサンブルメンバー全員から、『ほんとうは、下手だから一緒にやりたくない』と思われているとしたら、どうしますか?アンサンブルはやめますか、続けますか?」
学生「やめます。とてもじゃないけれどやっていけません」
バジル「なるほど。あなたにとっては、そう思われるくらいならやめるというのが行動基準なのですね。なぜ確認したかというと、ひとによってはメンバーになんと思われていようが卒業に必要な単位取得のため、あるいは自分の勉強のためにアンサンブルはやるというひともいるからです。ですがあなたにとってはそうではなくて、一緒にやりたいと思ってもらえていることが大切なのですね?」
学生「はい、そうです」
バジル「ということは、あなたは実際のところメンバーにどう思われているのかを確認する必要があります。なぜかというと、いまあなたは漠然と不安になって、もやもやして、それで不調になるときがある。実際どうなのかはまだ知らない、分からないのに、情報不足が原因で不安になりパフォーマンスを損ねているのです。もったいないと思いませんか?」
学生「…たしかにそうかもしれません。」
バジル「では、確認してみましょう!会場に、このひととと一緒にアンサンブルやっているひと、いますか?」
(何名か手が挙がる)
バジル「では、そこのあなた、立ってください。質問してくれているあなたも立ってください。では、いまから一緒にアンサンブルをしている彼に直接確認してみましょう!『わたしと一緒にアンサンブルしたいと思っていますか?』と尋ねてください!」
学生「えー!うわー!ドキドキするー!!」
バジル「ドキドキしますね!でもモヤモヤした不安を晴らす絶好のチャンスです!勇気を出して、はい、尋ねる!」
学生「わたしと一緒にアンサンブルしたいと思っていますか?」
アンサンブルメンバー「うん、思っています!」
学生「あ〜よかった!!」
バジル「どんな気分ですか?ほっとしましたね。心が晴れましたね。こういう状態だと、もっと思い切ってよい演奏も練習もできますね」
学生「はい!」
バジル「これは、情報収集です。わたしたちは情報不足で不安になったり、推測や前提を誤ったりして、困難を抱えてしまうことがあります。必要なのは、実際どうなのかという確認なのです」
バジル「好きなひとに『好きです、付き合ってください』と告白するのは、相手の意思を確認する情報収集なんです。すっごくドキドキしますよね。真実が明らかになる瞬間というのは、ドキドキします。舞台もそういう場所です」
バジル「好きなひとに告白するとき、その返答次第では大いに打ちのめされるかもしれませんよね。それなのに、わたしたちはなぜ告白するのでしょうか?真実を知ることが、わからないままモヤモヤするより、不安に支配されて行動しないでいるより大切だからです。分からないままにすると後悔するとわかっているからです。明らかにすることで前進できると知っているからです」
バジル「今回のケースも、同じです。あなたは勇気を出して情報収集し、真実を明らかにしたことで不安を解消し、すっきりと演奏や練習できる状態を自らの責任で生み出しました。それを努力といいます。その努力をしないと、モヤモヤと不安に苦しみもがきます。それは努力ではなく、実は怠慢なのです。苦しいのに!苦しみもがくことが努力ではありません。前進すること、前進するために必要な観察、情報収集、実験をすることが努力なのです」
たらればの話で恐縮ですが、もしアンサンブルメンバーの回答が「足を引っ張っていると思う」「もっと吹ける人がいい」といった趣旨のものであれば、その後の講座はそういった展開で進めることを想定していらしたのでしょうか?
はい、そうです。
×そういった→○どういった
です。
度々申し訳ございません。