盲点による辛さ・困難

テレビ番組でディスレクシアに長く悩まされた方について観ました。

40代になるまで、ご自身がディスレクシアだと知ることができず、「なぜ頑張っているのにできないのか、自分がバカなんじゃないか、おかしいんじゃないか?」という想いに苛まれてこられた、とのことでした。

それを観ていて、この方にとって自分がなぜうまくいかないのか、というその理由が「盲点」となっていたことによる困難の大きさを痛感しました。

なぜ、うまくいかないのか?
なぜ、自分だけできないのか?
頑張っているのに、なぜ?

その理由が、メカニズムが、原因がわからないことにより続く精神的な辛さ。もちろん周りの理解もないわけですから。

わたしも、

自分にとっての盲点ってなんだろう?
自分はなんでうまくいかないんだろう?

そんなふうにいろいろと連想しました。

わたしにとっての「わからない」ことからくる大きな困難は、やはり、高校時代から大学時代にもっとも色濃く体験しました。

ホルン奏者になりたくて音大進学を望み、そのための準備を意識し始めたころから、実際の音大時代を通じた時期です。

ホルン奏者として到達すべき「レベル」というものを大体把握するわけですが、

「自分がそのレベルから遠く離れている」
「いまの成長速度では、しかるべきタイミングでそのレベルに淘汰できない」
「ホルン奏者になりたいのに、それだけのレベルになる希望が持てない」

ということが非常に苦しかったのです。

なぜ、自分はいまこんなレベルなのか?
なぜ、頑張って練習していてもなかなか伸びないのか?
なぜ、成長速度がこんなにゆっくりなのか?
なぜ、いつまでたってもできないことだらけなのか?
なぜ、ちゃんとそのレベルに到達できるひとがいる一方で、これだけ強く望んでいて努力や犠牲を払っている自分はそこに到達できなさそうなのか?

そういう「なぜ?なぜ?なぜ?」という気持ちがぐるぐるし、「わからなさ」に絶望的な気持ちにしょっちゅうなっていました。

幸い、この「なぜ?」という問いを発することによって始まり、続けていった、「どうすれば上達できるか?」という探求はいまの仕事につながっているので、それは幸運だったと思います。

いまでもその探求をしているわけで、時々、「わからない」ことへの絶望感も少しだけ感じることはあります。

しかし、いまは大人になったので、「時間をかける」ことや「答えが後々わかってくる」ことの大切さ、必然性、自然さを理解しているし、いずれ答えがわかるだろうという信頼は日々より強くなっています。

それが、高校〜大学時代とのちがいです。

ある種、それが「盲点」だったのだと思います。

量的な意味での時間でなく、年月・月日的な意味での時間がかかること。
時間の経過により、ものごとは変わってくること。
絶望感も、時間の経過により晴れてくること。
成長速度自体をコントロールするより、ひとつひとつの成長や一歩一歩の上達に着目すること。

そういったことを、分かってなくて、信頼していなくて、不安と焦りにより自分で自分を潰してばっかりだったのです。

そのわたしから確信と重みを言えることとしては、

「時間はかかっていいんですよ」

ということです。

「自分のペースを尊重する」

というのは、綺麗事でも慰めでもなく、できるベストを尽くすことと同義なのです。そのペース以上というのはなくって、それが最大、最多、最速、最善なのです。練習量にしても、成長速度にしても。

焦るな。
自分に無意味なプレッシャーを与えるな。
不安に自分を支配させるな。
疲弊するような頑張り方をするな。

はっきりと、そう言っておきたいなと思った次第です。

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盲点による辛さ・困難」への4件のフィードバック

  1. こんにちは。
    突然のコメントで失礼致します。
    どうにも吐き出す場所がないのでここで相談させて下さい。

    現在就職活動中の音大4年生です。
    金管楽器を専攻しています。(同期の学生などもこのブログを見ているので、申し訳ございませんが楽器は伏せさせて下さい…)
    中高生のときから本当に楽器が好きで、とにかく上手くなりたい一心で音大へ進みました。
    音大での生活は、とにかく楽器を演奏するのが好きで、音楽をするのが楽しくて、うまくなることだけを考えて過ごした4年間でした。
    最終的に何になりたい、というのはあまり考えたことがなかったのですが、進路を考えたとき、もっと勉強したい、楽器抜きの人生は考えられない、という2つのことを感じました。
    ですので今日まで大学院や音楽隊などのオーディションを受けてきたのですが、未だひとつも受かっているものはありません。
    一つ試験やオーディションに落ちても、落ち込まず次があるさとがんばってきたのですが、この前第一希望としていた団体の不合格通知を受け取って以来、何かがプツリと切れたようにやる気が出なくなってしまいました。

    同期の学生は次々と就職や進学を決めていっています。
    なかには、「一般就職するから楽器はもう続けないんだ、記念受験だよ」と言って楽団を受験し、合格した子たちも居ます。
    汚い感情ではありますが、そういった子たちを見ていると、私だって必死に頑張っているのにどうして…という感情が拭い切れません。

    本気でやっているのに、ひとつも結果を残せないなんて、私は才能がないんでしょうか。
    それとも努力が足りないのでしょうか、もっと努力しなければいけないのでしょうか。
    もしそうなのであれば、正直もう限界です。
    努力して挑めば挑むほど、不合格通知を受け取ったときのショックが大きく、この前第一希望が不合格だったときなどは、脳みそが痺れるような感覚に陥ってこのまま死んでしまうのではと思いました。

    こんなことでへこたれているなら、きっと演奏家としての適性もないのだろうなと思います。
    もう、音楽なんか辞めてしまった方が良いのかと悩む日々です。
    もっとも、私は楽器が吹けることぐらいしか取り柄がないので、辞めてしまえば本当に使えない人間になってしまうのですが。

    • 有希さん

      まず、あなたが

      ・音楽活動を続けたいこと
      ・そのために、大学院受験やオーディション受験など「形」あるもにチャレンジしたいと思っていること

      は確かで、揺るぎないのがよくわかります。

      今回はたまたま、いずれも結果が出なかった。
      結果というものは、基本的には最後は運です。

      だから、望み通りの結果が出なかったからといって、そして他の人が結果を出したからといって、
      自分自身の資質を疑ったり、自分自身のやりたいことを諦めなければいけないと考えるのは早計すぎます。

      実際、そういう暗い、落ち込んだ気分というのは目が曇っているのでそういうときに重要な決断をすると
      後悔する危険があると思います。

      おそらく必要なことは、そして今回あなたがやり忘れたことは次のようなことだと思います。

      1:進路や生き方に関し、なぜその道を行きたいのか、肯定的/能動的な理由を深く探る。(それしか取り柄がないから、というのは否定的/消極的であり、困難に際してパワーになりません)

      2:進学または楽団への入団以外の、第3の道を考えておく。ただし、自分の生き方の哲学/好みにマッチするようなものであること。

      3:進学または楽団への入団という夢の「形」を、いつまで(何歳まで)追求することを自分に許すか決める。その歳までは、絶対あきらめてはならない。逆に言えば、その歳までは結果が出なくても気にする必要がない。自分で決めた「許容年数」なのだから。

      4:決めた許容年数の間、どのような生活パターンや生計の立て方をするか(勉強に専念するために実家にとどまるのも立派な選択肢)を具体的に検討する。

      以上のようなことをしておいてあれば、結果によるショックはさほど尾を引かずに前を向けるはずです。

      参考になれば、と思います。

    • 追伸:

      「汚い感情」と仰ってますが、たぶん根っこは美しいものです。

      おそらく羨望だと思います。

      そして、羨望は、実は素晴らしいものなのです。

      羨望は、自分にも手に入るものや得る資格があるものやできることを、自分はその方向に向かっていないのだけれど
      その方向に向かっている他人に接したときに感じるものらしいのです。

      1:他人の具体的にどんな性質や行動にその感情を感じているか特定します。(こうすることで、「人」への感情ではなくなります)
      2:そのものごとや、相似することで自分も望んでいること、性質、行動に一歩近づくために「いまできる一歩」は何かを考えます。
      3:それを実行します。おそらく、実行した時点ではすでにその感情は何かすっきりした気持ちに昇華されます。

      ですので、感じておられる感情は、貴重な動力であり、かつ素晴らしい指針であると思われます。

      ブログにやりとり、掲載させていただきます。

      • もう一件追伸です。以下、東京吹奏楽団の沼田司さんよりコメントをいただきました。

        「僕は審査、オーデションをする側が多いので、ご参考になればと思います。もちろん受ける側もたくさん経験して凹んでいますが、音楽は益々大好きになっています!!

        オーデションは、その団体に合っているかを、聴きます。例えばジャーマンスタイルのオケで、アメリカンのサウンドで受ければどんなに上手でも入りません。J.アレシーくらい上手だったら分かりませんが(^^;)断言はできないのがオーデションです。

        審査は、現在は音を並べられるのは学生のレベルではできているので、表現力とアナリーゼの深さを聴いています。

        バジルさんの書いていらっしゃる事は、僕にも当てはまり強く共感します。

        なので、貴方が感じておられる感情は、貴重な動力であり、かつ素晴らしい指針であると思われます。」

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