京都音楽家クラブ会報 第642号 (2012年6月号)にエッセイを寄稿致しました。テーマは「競争に依存しない成長」。アレクサンダー・テクニークが音楽教育において持つ大きな意味を解説しました。
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【アレクサンダー・テクニーク】
みなさまは「アレクサンダー・テクニーク」という心身教育メソッドをご存知ですか?ジュリアード音楽院や英国王立音楽大学など、欧米の主要な芸術学校では履修が必修化されており、日本でも徐々に認知されつつあります。
19世紀後半、当時イギリスに居たシェークスピア俳優の F.M.アレクサンダー氏が、自身の「声が出なくなってしまう」という問題を解決に導いた一連の過程と発見そしてその教授法が「アレクサンダー・テクニーク」とよばれています。
神経生理学者のニコラス・ティンバーゲン教授がノーベル賞を受賞した際にアレクサンダー・テクニークの重要性を受賞記念講演で取り上げたように、その全容はここではとても説明しきれませんので、簡潔に最も重要なポイントだけ述べるとすると、アレクサンダー・テクニークでは
・心身の機能を損ねる不合理で不必要な習慣的反応・緊張を取り除く方法
・そのような干渉が起きない身体の動かし方と思考の使い方を維持・発達させる方法
を平均して4年の専門的訓練を受けた有資格者からレッスン形式で学びます。
このアレクサンダー・テクニークは2012年から2014年の3年間、東京藝術大学大学院でも毎週の授業に取り入れられるようになったわけですが、実はこれからの音楽教育、とくに欧米や日本等の成熟した国・文化の音楽教育にとって非常に重要な要素となるのは間違いありません。
それは、この手法の導入が「競争に依存しない人材の育成」を実現しうるものだからです。
【競争に依存しない人材の育成】
国自体の人口が増え、若い世代が将来の社会に豊かさを期待できるような時期であれば、競争は才能を刺激し、若者を自己鍛錬へと導く大変有効な要素になります。頑張って他人よりよい成果を挙げることで、将来の展開が約束されるためです。
しかし少子化のこの世の中では若者が減り、入学倍率が1を割り込む教育機関が続出しています。絶対数そのものが少なくなっているこの現況においては、競争によって教育や就職の機会を絞り込み限定する手法そのものが成立しなくなりつつあります。
この状況では、全ての若い人材を育て才能を確実に発揮させてあげられるようにする必要があります。もはや、競争に勝つためのつぶし合いをしていては、全体の豊かさを損ねます。
あらゆる才能を育てていく具体的な方法論—。それがアレクサンダー・テクニークです。
アレクサンダー・テクニークはまず単純に肩こりや腰痛、ヘルニアなどの身体的問題の改善に対して本的効果があります。2008年には英国 British Medical Journalの調査により実質的に長期慢性腰痛に対して86%の長期的で大幅な解消効果が明らかになっています。
身体の使い方の誤解により肩こりや腰痛でキャリアが危機に見舞われる音楽家は多数います。その予防と克服が可能なのです。
また、演奏能力そのものに対しての応用にこそ醍醐味があり、それ故欧米の音楽教育では必ず取り入れられています。ニューヨーク・フィルハーモニックにはアレクサンダー・テクニーク教師の有資格者である団員が3名もいるほどです。
根本的な着眼点が「いったいどのような干渉が原因で問題が起きているか」ですから、その干渉を取り除けば能力が発揮される―。つまり全ての人が能力を有しているという哲学を持つわけです。
言い換えると「何をするかより、『何をしないか』が大切」ということでもあります。
自らの興味や意欲で演奏に取り組んでいるのであれば、素晴らしい演奏能力を身に付けていく才能・能力・素地がプロアマ問わず全ての音楽にあります。それは「歩く」ということが誰にでもできるのと同じです。
この文章をお読み下さっている方のなかで、教育に携わっている方はきっと多数おられると思います。長く携わっている方であればあるほど、大切な才能がケガやプレッシャーなどの要因で損なわれていったのを目の当たりにして大変残念に思われた経験をお持ちのことと思います。
ひとりひとりの人生のために、そして日本の音楽文化のためにも、「何を手放すことで、もっと歌いやすくなるか」「どこの頑張りをやめれば、もっと弾きやすくなるか」「どんな無理が隠れていて、吹きやすさを損ねているのか」という視点がこれからさらに重要になることでしょう。
Basil Kritzer
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教育観に賛成です。
hit-kob さま
ありがとうございます。心強いです。
教育観を表明すると、政治的意味合いでも取られがちなので、なかなか勇気が要ります。