音楽の演奏や練習における、卑下や自己否定の大きな危険

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ブログやメルマガで自己否定からの脱却の必要性や方法を書いていることもあって、そのあたりで質問があったり助けを必要としていたりする方とレッスンすることがよくあります。

そんなひとたちとのレッスン中によくある、こんな感じのやりとりがあります。
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バジル「こうこう、こうして、こう考えてやってみましょうか?試してみましょう」

生徒「はい」

(生徒がそれをやってみる)

バジル「どうですか?」

生徒「….よくわからないです」

バジル「わからないというのは、どういう意味ですか?ちがいがあったかどうか分からないということですか?それとも良かったのか悪かったのかの判断ができないのでしょうか。」

生徒「….わからないです」

バジル「では、いつもと比べて、A:まったく一緒 B:悪くなった C:良くなった のうちのどれでしょうか?」

生徒「….わからないです」

バジル「では、もう一度やってみましょう。演奏してみてください。」

生徒「はい」

(生徒がいつも通りに演奏する)

バジル「では、こうこう、こうして、こう考えてやってみたらどうなるか、試してみましょう」

生徒「はい」

(生徒がもう一度演奏する)

バジル「どうでしたか?」

生徒「….わからないです…」

バジル「A:まったく一緒 B:悪くなった C:良くなった のうちのどれかですよね。どれですか?」

生徒「…..わからないです…」

バジル「OK, では聴講している皆様に尋ねてみます。みなさま、どうでしたか?良くなったと思う方、手を挙げてください」

(聴講者ほぼ全員の手が迷い無くあがる)

バジル「さあ、聴いているひとは全員、明らかに良くなったと思ったようですが、いかがですか?」

生徒「たしかに、息が通って、スムーズになって、音がもっと響きました。でも、まだ〜がうまくいきません」

バジル「OK, ということはやはり、良くなったということはお分かりだったのですね」

生徒「はい」

バジル「では、なぜわからないと仰っていたのですか?」

生徒「これで満足してはいけないと思って….」

バジル「おっと、それは危険な完璧主義ですね。脚本家のジュリア・キャメロンの言葉に『完璧主義は前進を阻む怠慢である』という言葉がありますが、聴講されているみなさま、真を衝いていると思いませんか?」

(聴講の方々が深く何度もうなずく)

バジル「まだ完璧じゃないから、という理由で、起きている上達や前進を『足切り』してしまうと、わたしたちは成長できなくなってしまいます。それにつながる発想や態度、考え方を、演奏の上達を望んでいるならば、少なくとも演奏や練習のときは使わないようにしなければなりません」

生徒「いままでずっとそうしていました。そうするように意識して努力していました」

バジル「そうですね、だからこそ、せっかく聴いているひと全員が分かるような良い変化を、あなたは『わからない』というふうに感じてしまっていたわけです。とっても損ですよね。どんどん上達するためには、完璧でないところをいちいちあげつらうのではなく、ほんのちょっとでも良くなったところを全てひろって『手応え』として自分のものにするのが必須なのです。ですので、次は最初から、『どう良くなるかな?』と思いながらもう一度同じアイデアを試してみてください」

生徒「はい」

(もう一度演奏する。さらによくなっていて、会場の聴講者もすぐに「お〜!」というリアクション)

会場「(拍手)」

バジル「どうでしたか?さらに、明らかにすごく良くなりましたね」

生徒「はい、次はどう良くなるかなと思って先生に提案してもらったアイデアを使って演奏してみたら、すごくいい感じでできました」

バジル「素晴らしい。至らぬ点に着目するより、上達に着目して練習することが、結果的に上達をより促すならば、そちらが演奏の向上を望むひとの『義務』とすら言えます。反対に、至らぬ点に着目することは実質、演奏や上達にブレーキになっているわけですから、そちらが『ベストではない』という意味で『やってはならないこと』とすら言えるわけです」

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さあ、いかがでしょうか?

このレッスンのやり取りは、

完璧主義
出来ていないところに着目して上達や改善を否定する

ことの有害さに関するものでした。

同じことが、

・ミスしたら反射的に謝る(もしくは身体的に「申し訳なさ」を表現する)
・自分は演奏で迷惑をかけていると言ったり、思ったりする

ことにも言えます。どちらも上達にはマイナスです。謙虚さと言えば聞こえはいいですが、「最大限の上達」を大事するなら、むしろ怠慢の一形態なのです。上達のためのベストではない、という意味で。

同様に、自分に対して他者から

・ダメなところをもっと厳しく指摘して欲しがる
・もっと強い声や調子、厳しい言葉の選択をして欲しがる

といった傾向も要注意です。

こちらはなかなかトリッキーです。

というのも、遠慮のない率直なフィードバックを欲している、ということであれば、それは確かな向上心と、言葉尻やその時点での評価に自分の気持ち、自信、自尊心が揺さぶられない強い芯の持ち主であるのですが、果たして本当にそうなのかの見極めが必要です。

なぜかと言いますと、より厳しい指摘や指導を欲しがる理由が、

-ポジティブなフィードバックや評価を伝えられることが不安
-歯を食いしばって耐えることが努力
-努力していないと不安
-努力する(耐える/苦しむ)ことで一時的な安心を得る

そんな傾向からきているのであれば、それはやはり既述の「ダメなところに着目し、改善や上達を認識しようとしない」ような精神性が背後にあり、これは先ほども述べた通り、「上達のためのベストを尽くす」こととはずれており、厳密には一種の怠慢とも言えるからです。

音楽の演奏や練習に関しては、指導者という立場、あるいは先輩、友達、同僚などの立場でひとに

・フィードバック
・注意の方向性
・アイデア/考え方

を伝えたり、提案したり、アドバイスすることがある際は、自分にも相手にも違和感があっても、原則的には「いま目の前にある改善傾向」を抽出してコミュニケートした方が良いでしょう。

わたしたちにとって、目標や完成予想図ははっきりしています。ですから、現状とそれとを比較した場合、

どれぐらい遠いか
どれぐらいできていないか

の把握は容易なのです。「できてなさ」を見ると、その明度は高く、目盛りも大きいからです。

しかし、

・目標に対して距離的にさっきよりどれぐらい近付いたか
・目標方向に照準がより定まったかどうか
・目標に近付くペースは以前より上がっているどうか

という、歩み・進み・経過に関する情報は、より目盛りが細かく、印象が控えめですから、そこをキャッチするためには実はよりフェアで落ち着いた態度と精神が必要です。

そして、上達をさらに促したり、壁を越えたり、抜け道を見つけたりするための情報・経験・きっかけは、地味ながら確かな「上達の過程」にこそ豊富に隠れている、というわけなのです。

Basil Kritzet

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音楽の演奏や練習における、卑下や自己否定の大きな危険」への4件のフィードバック

  1. いつも楽しく拝見しています。
    オペラ演出家のペーター・コンヴィチュニー氏は、「完璧主義は人生を損なう」といつも言っています。
    「前進を阻む怠慢である」に通じる言葉だと思います。
    巨匠たちがこういう言葉を発しているのは心強いです。それをバジルさんがわかりやすく噛み砕いて伝えてくださるので、なおさら心強いです。

    • 小林さま

      コンヴィチュニー氏の言葉は、存じておりませんでした。
      芸術を担う人々で同じことを理解しているひとたちがいることを知れて心強いです!

  2. 誉められてもなかなか受け入れられません‼こんなこと他の演奏家は当たり前に出来ている‼自分はたまたまできたのかもしれないって‼謙虚さではなくて自分の演奏に自信が持てなくて‼そんなときいつも思い出すのが小学校五年の音楽の授業のリコーダーをクラス全員で演奏して授業の後かたずけの時厳しい音楽の女性教師がリコーダー一番うまかったわよって誉められた時たくさんのリコーダーの音の中から私の音を聴いてくれたんだと嬉しくなりました‼それからは辛いとき楽しいときいつもリコーダーを吹いていました‼今ではギターを弾いてライブで歌ってますがまだまだ上達したいてすね‼下手より上手いってやじられた時期もありましたが音楽はやっぱり楽しいですね‼

    • Hidemi Kimura さん

      コメントありがとうございます。
      読んでいるこちらにも、先生の言葉の輝き・意味の大きさが伝わってきます。

      素敵なお話を共有してくださり、ありがとうございます。

      Basil

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