学校吹奏楽部や一般吹奏楽団の顧問の先生や指揮者、とくに若い楽器や音楽の指導者の方々には、指導している団員や生徒さんの合奏中やレッスン中の「集中力のなさ」にフラストレーションを溜め、うまくいかずに悩んでいるひとがたくさんいます。
今回の記事では、
・どうすれば団員・生徒さんの集中力が発揮されて
・意義ある練習やリハーサルができるか
を考えていきます。
尚その際、あまり一般論や普遍性を重視せずに、わたしが相談を受けたり接してきた方々のことを考えて書いていきます。
わたしが書いているものに接するひとの多くには、ある程度、考え方や経験に共通性かありますから、そのひとたちにとって最も役立つようにしたいからです。
ですので、もしあなたに当てはまらないことであったとすれば、どうぞご了承ください。
【温度差をまずは受け入れる】
A:集中力はあなたの直接管理下には無い
団員や生徒さんの集中力が無い、続かないと言って悩んでいる先生方や指導者の方々を見ていると、知らず知らずのうちにかもしれませんが、「集中力が高いのが当たり前」「集中力の欠如は悪いこと」と思っているように見受けられるケースがあります。
しかし、集中力はものすごくデリケートで、いろんなものの影響を受けやすい機能です。(だからこそ、集中力がうまく発揮された場合は素晴らしい力となるわけですが。)
なので、団員や生徒さんが個々にどれくらい集中しているかということは、あなたが直接コントロールしたり管理したりするにはあまりにも移ろいやすいものですし、何よりも集中力は相手のものであってあなたのものではないですから、それを直接にコントロールすることは不可能だと思うのです。
まずこれを分かっておけば、ひとつ、指導者としてのあなたの重荷を下しやすくなります。コントロールできないものをコントロールしようとしていればとても疲れますし、うまくいかなくてみじめな気分になりますよね。
まずは負えない責任を手放しましょう。
B:温度差も「相手の責任」
それでも、どうしても生徒さんや団員さんの集中力の欠如が気になることがあるでしょう。
それが気になってくる原因のひとつとしてあるように思えるのが、上述したように「集中力は持つべきもの」という価値観に由来するのではないか、ということです。
自分としてはもちろん一生懸命に指導に臨んでいるし、集中している。なのにバンドの中で座っている生徒さんや団員さんから集中してない様子が見えると、どうしても気になるし、腹が立ったり、焦ったり、無力感を感じたり、いろんな感情を経験しているかもしれません。
つまりは、合奏や指導の場面で、どれぐらい一生懸命に取り組むかということに関して彼我の温度差があるということです。
ここで分かっておくとよいのは、相手の「低い温度」も基本的には、相手の問題であり相手の責任である、ということです。
生徒さんや団員さんの「温度」を、あなたが直接的に上げたり、操作したり、管理する
・能力も
・責任も
・義務も
無い! それを前提に考えるとよいと思います。
それはつまり、バンド内のメンバーごとにある温度差や、自分と生徒さん/団員さんの間の温度差を感じたならば、感じただけでひとまずは十分である、ということです。
【集中力が『湧く』状況を作る】
ですが、大きな温度差のままずーっと進んで、誰も集中していない状態で合奏や指導の時間が使われていってはもちろんイヤですし、困ります。
生徒さんや団員の集中力や温度を「上げる」ことはできませんが、「上がってくる」可能性が高まる状況を作る ことでいくつかできることがわたしたちにはあります。ここからはそれを考えていきましょう。
①思い切った休憩の活用
先述した通り、集中力は様々な要素の影響を受けているデリケートで移ろいやすいものです。
なかでも最も集中力に関係するのが、生理的にフレッシュかどうか、ということです。
集中力が無かったり、温度が低い生徒さんや団員さんを目にしたときにわたしたち指導者が怒りも含めて様々な(苦しい)感情を感じてしまいやすいのは、相手の状態に自分が責任を感じているからです。
しかし、集中力に関しては、わたしたち指導者が直接的に責任を負うにはあまりにも移ろいやすいものです。とくに、生徒さんがの生理的もしくは精神的コンディションが大きく作用しています。
生徒さんの集中力の欠如は、もしかしたら
・寝不足
・(本人もまだ自覚していない)体調不良
・その日、家であったこと
・その日、仕事であったこと
・最近おかれている状況のストレスや心配
etc…
の煽りを受けてのものかもしれないのです。
ここで大事なのは、そういう状況に生徒さんや団員さんがあれば、集中力が無かったり続かなかったりしても、本当に仕方がない ということです。生徒さんや団員さんを責められないし、指導者である自分の資質を疑うべきことでもないのです。
同様に、その日の
・気温
・湿度
・気圧
・室内の状況(空気の新鮮度など)
・生徒さん/団員さんたちの過ごし方(運動会があった、期末で忙しい etc)
によっては、合奏が始まってまだ20分しか経っていないにも関わらず、疲れが見えたり、あくびをしたり(生理現象なので良し悪しはありません。生理的にはむしろ健康なことです)、姿勢がくずれたり、ミスが増えたりしたとしても、本当に仕方がない のです。
そこで提案したいのが、「休憩の柔軟な活用」です。
団体しての活動時間や指導時間が限られている中で、休憩が計画的にルールとしてタイミングや長さが決まっているのは真っ当なことだとは思います。
しかし、その時間やタイミングのルールが、必ずしも日々の合奏や指導時間を最大限有意義に役立っているかといえば、必ずしもそうではない場合がたくさんあるはずです。
なので、自然で致し方ない生理現象としても集中力の低下や欠如が見受けられれば、そのタイミングで思い切って休憩を取りましょう。たとえ、合奏開始20分や30分という早いタイミングであっても、です。
わたしは中学や高校の吹奏楽部に指導にいく際、「休憩」の時間に入ったら、その間
・楽器は吹かない/弾かない/叩かないこと
・できれば席を立って歩き回ること
を指示します。
楽器の音を鳴らさずに休憩時間を取るのは、なんといっても耳(というよりは脳)を休めるためです。狭い合奏室で大音量で演奏しているわけですから、もはや慣れているとはいえ、耳(音を聴く脳)への負担は相当なものです。
しばし無音、もしくは静かな時間を過ごしてもらうことで、実際に「休まる」のです。その後の集中力アップに効果的です。
歩き回るようにしてもらうのも、楽器を持った状態でじっとしているのも、椅子に座ったままなのも、やはり身体は硬くなっていくし、疲れるからです。逆に、歩き回って動き回ってもらえば身体はほぐれますし、また脳への情報インプットという点においても良いリフレッシュになります。
また、歩くということ自体が全身運動ですから、休憩明けに音を出すにあたってよいウォーミングアップにもなるのです。
音楽の世界にはいまだに
「休憩する」
「休む」
「間を置く」
といったことが
・怠慢である
・悪である
・不真面目である
・甘やかしである
・後退である
・無駄である
そんな意識がどうしても巣食ってしまっています。なので、その世界にいるわたしたちが、自分の意識しないところでそんな価値観を受け入れてしまっていることがよくあります。それは中学生や高校生に関しても同様で、休憩を取入れることに戸惑いや抵抗を、団員や生徒さん自身が示すこともあるでしょう。
そこでわたしは、休憩を入れるタイミングに選択肢を提示する ことがあります。
これはそう難しい、大それた話ではなく、どのような選択肢を提示するかに大きな意味はありません。具体的には、こんな感じです。
バジル「みなさん、いま休憩したいですか?」
生徒「…..」
バジル「それとも、あと〜の説明/練習をした後にしたいですか?」
生徒「…..」
バジル「じゃあ、多数決にしますね。みなさ目を閉じてください」)(←*注*判断を他人の顔色や意向に基づかせないためのテクニックです)
生徒 (目を閉じる)
バジル「いまがいいひと!」
生徒(手が挙がる)
バジル「〜のあとがいいひと!」
生徒(手が挙がる)
バジル「それではいまから休憩します!」(←*注*数に大きな差がない場合、いま休憩が欲しいひとがそれなりにいるということですから、厳密には数で負けていても、いま休憩するを採用します)
こうすることで、休憩するという決定を自ら下す ように仕向けているのが重要なポイントです。指導者に服従するロボットとして耐えるようなモードでなく、よりよい演奏のために、積極的な休憩を取入れる。その責任と実践を団員さん・生徒さんと指導者・指揮者が共同で受け止めるわけです。
ぜひ試してみてください。場合によっては、休憩させてもらえる、というだけで信頼関係が増すこともあります。
②生徒さんや団員さんの興味・好奇心をくすぐる
生理的に集中力が生まれやすいケアは最優先ですが、心理的にも集中力を高めやすくすることでわたしたち指導者にできることがあります。
それは、生徒さんや団員さんの興味や好奇心を刺激することです。
ここで使えるのが、
余談や脱線、逸話のオンパレード作戦
です。
・曲のこと
・作曲家のこと
・演奏技術のこと
・身体の知識
・音程や和声に関すること
・音楽の歴史に関すること
・ステージ、パフォーマンス、芸術に関すること
etc….
そういったことで、指導者であるあなたにとっても意味・面白さ・価値・興味などを感じることを次から次へとしゃべりましょう。
実は、エキサイティングな講演は大抵、講演者が実に天真爛漫に話題を変え、脱線していくときに生まれます。連想、想像力、創造的な思考と飛躍が起きているわけです。
それは本ではできないことです。しかし、生身の人間同士が集う場で、人間が話をするときは、その時間を面白くするための 創造的な脱線 はとても有意義ですし、わたしは良い時間にするためには不可欠なのでは?とすら思います。
もしあなたが、思いつきで話をすることが苦手な場合、そういった「話のネタ」をいろいろと用意して臨み、少し息が詰まった感じや疲れた雰囲気を感じたときに使うとよいでしょう。
ネタは音楽のことをきっかけに展開する、あるいは最終的に音楽のことにつながることなら、音楽と関係のない話題でもよいのです。
ポイントは、余談・脱線・逸話などを 「使って」いま取り組んでいる曲や技術的課題への興味や好奇心を刺激する ことにあります。そうすることで、結果的に集中力が生まれる可能性が高まるからです。
③自分の話をする
集中力を高める効果を持つものとして、上述した興味・好奇心のほかに、「やる気」もあります。
指導しているあなたが、あなた自身の話をすること もまた、生徒さんや団員さんのやる気を刺激する力を持ちます。
あなた自身が
・音楽に携わる中で接した素敵な体験
・音楽を通じて得た人生にとってポジティブな意味で重要な経験
・ものすごく感動した演奏会(演奏者としてでも、聴衆としてでも)
etc…
について、説教や訓示目的ではなく、とにかくその体験や感じたことを「そのまま話す」とよいのです。
リアルな体験を、なるべく生な形で話して、共有する。そうすれば、あなたの素敵で貴重な体験を団員さんや生徒さんも追体験できます。ストーリー、体験談を語ることはひとを動かす力があります。率直で誠実な語られ方をすればするほど。
【指導者であるあなたが自分らしくいること】
・温度差を受け入れる
・休憩を活用する
・余談、逸話、脱線を歓迎する
・胸襟を開いて、あなたがあなた自身の話をすること
これらをやるのはいずれも簡単ですし、やれると団員さんや生徒さんとの関係はより良いものになっていきやすいはずです。そして、指導の効果や合奏の効率、意義も高まるはず。
つまり、あなたがラクをできる。
しかしながら、なかなかそれをやれずにいる先生方や指導者の方々もいらっしゃります。そこには、あなた自身を縛り、あなた自身の息を詰まらせ、結果的に団員さんや生徒さんをも息苦しくさせる、あなたの能力にブレーキをかけるような価値観 が横たわっているのかもしれません。
息が詰まってくるのは、その価値観のようなものが、あなたをあなたらしい在り方から遠ざけているからです。
幸いにも、音楽をやっていると、ひとは自分自身の息を詰まらせる価値観から解放される体験をすることがあります。よい音楽を本当に目指すしていると、自分自身こそが自分自身のよい音楽を生み出す力にブレーキをかけていることに否応無く行き当たるのです。
音楽の素晴らしさに触れると、
喜び
楽しみ
充足感
生き甲斐
愛
が自分の中に感じられてきます。
それを感じているあなたは、そのときもっとも等身大であなたらしい瞬間です。
ですから、等身大であなたらしくハッピーに、音楽のための日々の練習や作業に取り組んでいるときこそ、音楽はより素晴らしいものになるのです。
指導者という立場であっても、あなたはあなたらしく、等身大に。
それが団員さんや生徒さんにとって最善のお手本なのです。
集中力や温度差については指導者の方だけではなく、市民吹奏楽団に所属する我々にも当てはまる話なので、タイムリーなトピックです。最近は、異なるバックボーンの人たちが一緒に音楽をするという事実が奇跡なんだと思うようにしています。なんだかんだ言っても音楽をする場に来ているのですから。
ヤル気がない奴は辞めろ!と言って本当に辞めてしまうケースを見てきました。やはり寂しいものです。アプローチ次第では辞めずに続けていたと思うんですよね。
たーじーさん
ちょうど別の方からも、「団員間の温度差」に関して質問が来ていました。
小規模な会社や、明確に営利を重要視する会社とちがって、歴史や地域性のある趣味の楽団や学校吹奏楽部だと、温度差や意識の差は「統一」することは難しいし、しようとすると排除のようなことが起きてしまいかねずそれは営利組織やプロスポーツチームとちがって適していませんね。
どううまく、楽しくなるような、あるいは向上心が高まるように仲間や団員を「お誘い」ができるかがクリエイティビティを発揮できてかつ工夫により効果を出せるところかもしれませんね。