舞台に立つ、その理由。

「不安」というもの、音楽演奏をする私たちにには、
プロアマ問わずなぜかつきまといます。

前回は不安ついて「具体的に対処する」ことをお話しました。

それにしても、一体なぜ不安なんでしょう?

よくよく考えてみると舞台と言うのは、ある意味世界で一番安全な場所だと思いませんか?
だって、交通事故の心配がまずありません。

人に襲われる心配もまずありません。
舞台で人に怒られるということはありませんよね?
(あとで楽屋ではあるかもしれませんが 笑)

なのに、わたしたちは舞台を随分と怖がります。

不安があります。

なぜか。
その大きな原因の一つが、

『何の為に、いま自分は舞台に立つのか』

が見失われているからです。

私たちの心身は、目標や目的が混乱すると、緊張し固まってしまうのです。

本来ならば私たちの筋肉神経系統は、どの筋肉がいつどのように収縮するか絶妙な指令を受けて、
信じられない正確さで指令通りに働いてくれます。

しかし、それは「これからこういうことをやるぞ」という動きの目標が明確であってこそ。

たとえばサルあれば、バナナを見つけたら「バナナを取る」という目標が全身を伝わるわけです。

自然界では、食べるか逃げるか寝るか。迷っているヒマはありません。

猫が車が来たら固まってしまうことがありますよね。
なぜだかご存知ですか?

どっちに逃げるかパニックになってるうちに、全身が「右にも左にも逃げる」という指令を出してしまうのです。
「右」と「左」という反対の指令があると、矛盾します。

その結果が、全身の緊張=動けなくなってしまう、なのです。

同じ事が、舞台で不安が高まり悪影響が出ているときに起きています!

自分の心の内面で、「舞台に立とう」という気持ちと
「舞台から逃げる」という気持ちがぶつかって矛盾して、『全身の緊張』を生んでいるのです。

どうしたらいいのでしょう?

あなたも、舞台から逃げはしませんよね?
緊張し辛い思いをしてもまだ舞台に立っている。

それは深いところでは「舞台に立つ」という気持ちが強いからです。

これがなくなったら、あなたはもう舞台に立ちません。
そういう人は実際にます。突如引退するミュージシャンやスポーツ選手がその例です。

しかし、そういう人は苦しみません。矛盾や葛藤がないからです。
優れたプレーヤーがまだまだ現役でもやれても、「気持ちがなくなった」と引退するケースがありますよね?

ですので、舞台に立つ/立たないは優劣や良し悪しとは一切関係ありません。

あなたの「内面」の問題なのです。

不安に苦しんでいるあなたは、「舞台に立つ本当の理由」を思い出す必要があります。

あなたが音楽を好きになったのはなぜですか?

初め音楽に感動した経験。
音楽が純粋に好きな気持ち。

それがあなたを深いところで動かしています。
だからどれだけ辛くてもあなたは「舞台に立つ」という選択を取るのです。

この元来の深い望みは、不安の何万倍も強いものです。
この望みを明確に思い出し、定義し直すだけでも、
不安がすっかり解消されたり、あるいは不安の打ち勝つ強さが湧き出ます。

逆に舞台から逃げたくなる気持ちの元は何か。
これはある意味、あなたの「偽物のモチベーション」です。

たとえば、

「間違えちゃいけない」
「自分はダメだ」
「うまくやらなきゃまずい」

そういったタイプの義務感や自己否定のパワーです。

考えてみて下さい。

義務で嫌々演奏されている音楽をいったいだれが聴きたいでしょう?
完璧な演奏だったとしても。

それよりは喜びに満ちた演奏の方がはるかに気持ちがよいものです。

そういった自分のなかの思考がいったい誰のためになっていますか?
音楽や、音楽を聴いてくれている他者のためになる思考ですか?

自己否定や嫌悪感、義務感から辛さを生んでいる自分の思考を、よく見直して下さい。
紙に書き留めて、見据えて下さい。

舞台から逃げ出させる気持ちを生む思考は、実はかなり自己中心的だったり、
意外としょうもなかったりします。

「舞台に立ちたい」気持ちに比べれば、ほんっとに薄っぺらいものです。

100万馬力の「舞台に立ちたい気持ち」を明確にしましょう。
実は非力な「逃げる気持ち」を見据えて、解放しましょう。

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舞台に立つ、その理由。」への1件のフィードバック

  1. 現実を受け入れる

    こんにちは。 私がアレクサンダー教師になるために勉強しつつ、通訳として働いてもいる 世界最大のアレクサンダーテクニーク・レッスンスタジオ、「BODY CHANCE」。 ここで私が時折執筆してるメルマガの文章をご紹介致します。 (元のメルマガはこちら→音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク) ↓ こんばんは。 先日より、音楽をする私たちにとっての「不安」について取り上げて メールを配信しています。 「不安」というもの、音楽にはなぜかつきまといますね。 これまで、 「不安に具体的に対処する」ことと、 (詳細はこちら:http://basil-horn.blog.so-net.ne.jp/2011-05-01) 「舞台に立つ、その理由」について (詳細はこちら:http://basil-horn.blog.so-net.ne.jp/2011-05-01-1) 取り上げてきました。 きょうはそこからさらに進めて、「現実を受け入れる」ことについてお話します。 心身の緊張と不安感に不可分の関係がありそうなことは、 これを読んでいるあなたもきっと実感を持っておられることと思います。 不安「感」と言いますが、この「感」はいったい、 感覚の「感」なのか、感情の「感」なのか、いったいどちらでしょうか? 私はこれはきっと両方の混ざったものなのではないかと思います。 これは正確な分け方ではないですが、理解し易いざっくりとした分類として、 感覚はより神経や神経電気信号で伝わるものであり(とは言っても神経や感覚受容器からの伝達は化学物質が深く関与していますが)、感情はどちらかというとホルモンや化学物質の分泌である面が濃いと考えます。 では不安感覚と不安感情についてみてみましょう。 不安感覚は、「不安」とわたしたちが名付けている状態のカラダの緊張的な状況から受け取るものであり、 不安感情は、そういうカラダの状態において発生する感情だととりあえず考えてみれますね。 すると、ポイントは不安を起こす「カラダの緊張」になってきます。 ではこのカラダの緊張、一体何なんでしょう? 私たちの生体システムはある条件において必ず緊張状態に陥ります。 それはどんな状況か? 「不可能なことをしようとしている」ときです。 たとえば、 自分の筋力では持ち上げられない重いものを持ち上げるとき。 どうなりますか? 全身力んでしまいますよね。…

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