【あがり症の定義】
まずこの記事は、あがり症の問題について、現在どのようなアプローチが存在するか、その概要を解説致します。
はじめにあがり症というものを、演奏する人が演奏する場面で困るものとして経験している場合に、その中身の最大公約数的な定義をします。
なぜ最大公約数という言葉を使うかというと、「あがり症」という名前を付けられることのある状態や、「自分はあがっている(or緊張している)」と自分で認識している状態の中には、この定義とは異なるものが実際に存在するからです。
それは相対的少数ですが、すごく珍しいというほどではないと思います。ですので、もしあなたがこの記事を読んでもピンと来ない場合、それはこれからする定義から漏れるケースである可能性があります。はじめに念の為そのことを述べておきます。
では、あがり症の定義に戻ります。
定義は、『緊張がパフォーマンスを高める!音楽家のためのメンタルトレーニング(大木美穂著・ヤマハミュージックメディア)』11ページより引用します。
あがり症の定義
〚過度の緊張がパフォーマンスの邪魔になっている状態を「あがっている状態」〛
この定義が示すことの少なくとも一部に
・緊張が悪いのではない
・適度の緊張もある
・できるはずのパフォーマンスがあり、それが発揮されていない
といったことが挙げられます。
私は、この定義の方向性は演奏する人にとって建設的だと思うので、この定義をこの記事において採用します。
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【オススメの書籍】
次に、あがり症の問題に関して私からぜひオススメしたい、とても読みやすい本が3冊あります。
1冊目
あがり症の定義の引用元である、
『緊張がパフォーマンスを高める!音楽家のためのメンタルトレーニング(大木美穂著・ヤマハミュージックメディア)』
著者の大木美穂氏は、メンタルトレーニングを学問的に研究された方です。学問的に、というのは科学的にというのとも意味が異なります。メンタルトレーニングの世界は、何人かの提唱者と様々な手法や技法が存在します。それらを体系化する研究されたをされたのです。
その甲斐もあって、この本はメンタルトレーニングに関する最も網羅的かつ分かりやすい本だと思います。
あがり症の問題について、どのように取り組みうるかとても分かりやすくかつ多面的にまとめられた本です。まず一冊だけ手にするなら迷わずこの本です。
また、大木氏と私は対談をしたことがあります。そこで、上述の研究について詳しく述べています。
対談動画
こちら
対談書籍(電子書籍)
「メンタルトレーニングの世界・前編後編 吹奏楽デモクラシー きゃたりうむ出版」
2冊目
『本番に強くなる!演奏者の必勝メンタルトレーニング(ドングリーン・ヤマハミュージックメディア)』
著者のドン・グリーンは、音楽の世界のメンタルトレーニングについて、アメリカにおける第一人者です。ジュリアード音楽院でも教鞭を取っていました。グリーン氏ははじめは軍の研究の関連でメンタルトレーニングに取り組み、次にスポーツ分野へ、そしてあとに音楽分野へと応用を進めました。「緊張している状況で実力を発揮する」というテーマが、軍・スポーツ・音楽で共通しているのです。
3冊目
『こころで打つ!インナーテニス(ティモシー・ガルウェイ著、日刊スポーツ社)』
題名の通り、この本はテニスのことについて書かれています。しかし、この本は多種多様なスピンオフが展開され、音楽版の本も出版されていますが、このシリーズのすべての始まりのものが最も面白いと私は思いましたので、これをオススメします。(音楽版は、「インナーゲーム演奏家のための「こころのレッスン」あなたの音楽力を100%引き出す方法」バリー・グリーン著、音楽之友社)。この本は大木氏の本で出てくる「セルフトーク」の技法を掘り下げた本とも言えます。
この3冊を読めば、あがり症の問題について、「本番で自分の力を発揮するスキルを高める」という方向で取り組み乗り越えていくための方法の多くを知り、自分でもやっていくことができると思います。
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【あがり症対策のスキル】
そのスキルとは何なのかということを私なりにざっくり整理すると、
①生理学的な緊張状態を落ち着け、また緩みすぎないようにもコントロールするスキル
〚例〛
呼吸法
瞑想
身体に働きかけたり、身体を意識する方法論
②過度な緊張を作り出す大きな要因としての心理的なプロセスを変える方法
〚例〛
セルフトーク法
完璧主義的傾向など自身の心理的傾向を認識すること
③本番を良い状態で迎え、本番中に良い演奏を実行するためのスキル
〚例〛
練習のやり方
イメージトレーニング的な方法論
健康管理
本番当日の過ごし方
舞台で為すべきこと
この3つに大別されます。ご紹介した三冊の本がそれらについて詳しく具体的に述べています。この記事で表面的に触れるよりも、実際に本を読んで頂いた方が間違いなく為になるので、この記事で上述の個別の方法論について紹介は致しません。ぜひ!これらの本を書店、アマゾン、図書館で手にしてください!
悩みが解決に向かう扉が開く可能性があります。
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【その他の(もしかしたら更に)重要な分野】
一方、あがり症に関連して、この3冊にはあまり登場しないけれども重要だと私は考えている領域があります。
それは、
◎トラウマ治療の心理学の一分野である「ソマティック・エクスペリエンス療法」
◎深層心理学
です。
これはどちらも、取り組むには専門家の助けが必要である点において、メンタルトレーニングのように気軽には勧めづらいのですが、あがり症の問題の根本にアプローチするものだと私は考えます。
あがり症の問題は、非常に根深い場合があると私は考えます。その場合、様々な技法を用いて取り組んでも、なかなか改善が無かったり、改善はしても相変わらず本番があまりにも大きな負担や苦しみとして感じ続ける人が少なからずいます。
過度な緊張の原因のもっともっと深部、根本的にアプローチする必要があるのです。
その道筋となりうると私が思うが、この2つなのです。
①ソマティック・エクスペリエンス
トラウマ療法の一種で、アメリカのピーター・ラヴィーン博士が開発した手法です。
詳しくは
・公式サイト
sejapan.website
・書籍
『ソマティック・エクスペリエンシング入門: トラウマを癒す内なる力を呼び覚ます(ピーター・ラヴィーン著、春秋社)』
トラウマとは心的外傷後、つまり「心の傷」です。傷は癒やさねばなりません。あがり症は、この心の傷に由来していることが多々あります。ソマティック・エクスペリエンスは、この心の傷の癒やし方として大変有望なものだと私は思います。
ソマティック・エクスペリエンスの施術を専門家から受けることは日本でもできます。公式サイトから専門家を見つけることができます。
②深層心理学
上述のソマティック・エクスペリエンスはトラウマ治療を扱う手法ですが、深層心理学も心の傷を癒やす機能を持ち、その関連でトラウマ治療を長く扱ってきた分野です。
その代表的なものがジークムント・フロイトに始まる「精神分析」と、カール・グスタフ・ユングの「分析心理学」です。
「心理カウンセリグ」と言われるものの元祖と言ってよいでしょう。フロイト派、ユング派のいずれも日本で専門の分析家(カウンセラー)が存在していて、カウンセリングまたは治療を受けることができます。
深層心理学は、自分自身のことを深く深く理解していきます。自分がなぜ・どのように過度に緊張しているか、を真に理解することができる可能性があり、また、自分はなぜ・何のために音楽をしているのかを深く気付いて理解することにつながり得ます。
その気付きと理解が、あがり症問題を乗り越えるうえで最重要になる場合があると私は考えます。
わたし自身が、2022年からユング派の分析を継続的に受けており、自分自身について、そして深層心理学について理解を深めている最中です。
お金も時間もかかるものなので、気軽には勧められませんが、深層心理学についてしばらく調べてみて、なにかピンきたならば踏み出してみることについては背中を押したいと思います。
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この記事は、フルートメーカー「ムラマツ」の会員向け季刊誌「季刊ムラマツ」において2024年6月・9月・12月号に掲載された記事の元となったものです。
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