管楽器演奏において.ソルフェージュが
重要
あるいは
最重要
あるいは
全て
であるということら多くの人が教えたり 気づいたり感じたりしています。
なぜそうなのか、ということについての思索と言いますか思考実験をしました。
全ては音を出したいということから始まっているのであって、どんな知識もあらゆる奏法的な意識も音出すという目的のための補助に過ぎない。
音を出したいというところから始まる道以外は、全部脱線なのかもしれない。
うまくいったことを「再現」したいというのも、音を出したいということからずれた脱線なのかもしれない。
ホルン吹きKさんとのレッスン記録vol.28
2024年6月