「できない」ことでも「教える」ことはできる

演奏するというスキルがあります。
そして、教えるというスキルがあります。

互いに深く関連はしますが、異なるスキルです。

この世界には、あることを「する」スキルより、それを「教える」スキルの方が大きく発展していくひとたちがいます。あなたもそのひとりかもしれません。

スポーツの世界を見ると、このことがよく分かります。

アメリカMLBの監督には、選手としてはメジャーリーグに昇格したことのないひとや、選手としては大成しなかったけれども名監督になったひとが何人もいます。

ヨーロッパのサッカー界では、アマチュアでしかプレーしたことのない人物や、選手経験が全くない人物がトップリーグの有名チームの監督として大成功をしている事例があります。

スポーツチームの監督という仕事は、技術指導、戦術指揮、人員配置、人心掌握といったことを総合的に運営するスキルが求められます。このスキルは、プレーヤーとしてのスキルとイコールではないのです。

教えるスキルや導くスキルが高いあなたは、もしかしたらそんな自分に戸惑っているかもしれません。

・自分ではできないことでも、他のひとができるようになるのをなぜか助けられる。
・自分ではやったことがないことでも、他のひとがなぜ行き詰まっており、どうしたら良くなるかが分かってしまう。
・自分より演奏のスキルがはるかに高いひとにも、的確なアドバイスをできてしまう。

それが教えるスキルが発達しているひとの特徴です。

しかし、この特徴はその特徴の持ち主自身を往々にして混乱させます。世の中一般の感覚では、大事なのは「できる」ことであり、「できる」ひとこそが価値があり、序列として上なのです。直接は「できない」自分が、他のひとが「できる」ようになることを助けるなんて、おこがましいかのようにどうしても感じてしまいます。

実際、

「実際に自分でできるひとでないと、習いたくない」
「やってみせてくれるひとでないと、信頼できない」
「あいつは自分ではできないくせに、偉そうにもひとに教えようとする」

といったことを言われたり、どこかで見聞きすることも多いですよね。
教え導くスキルは、あることを「する」スキルに比べると抽象的で、一見目立ちませんから、わたしたちの幼稚な一面が上述のような態度に陥ってしまうのは無理もありません。

しかし、現実を見ると確かに、あなたは教え導くスキルが高いのです。

最近聞いた、海外の研究の話なのですが、

A:一流のプロとして栄えある演奏家のキャリアを積んでいるひと
B:演奏家として生活しているが、こなしている仕事は地味でレッスンなど他の収入も必要としているひと
C:演奏家になれなかったひと

という三つのグループを対象とした調査で判明したのが、15歳くらい(だったと思います)までの練習量の分布と上記三カテゴリーの分布がきれいに対応していた、という結果です。

これはすなわち、生来の「才能」と思われているものが実は、少年少女時代までの時期の本人の興味や情熱によって行われた練習量によって培われた「スキル」である可能性が高いことを意味しています。

教えるスキルを持っているあなたは、どうして自分がそれができるのかよく分からなくて、いまいち確信を持てずにいるかもしれません。

しかしこの調査の話を知ると、おそらく教えるスキルもまた、自分が気付かない間に自然と「練習」され「鍛錬」されて得られたものなのです。

ご両親が学校の先生であったり、ピアノの先生であったり、あるいは小さいころから「先生」という存在そのものに興味を持っていたりすると、思考が「教える」という行為そのものに向けられていますから、それが実は「練習・鍛錬」として機能していて、教えるスキルが知らないうちに磨かれているのでしょう。

どこからともなく、なぜかできてしまう「教える」ということが、実は演奏と同様に献身的な努力の賜物なのです。したがって、自分が「教えるスキル」を持っているということを隠したり、卑下したりする必要はありません。

先生・指導者という存在は、生徒を映し出す鏡です。

ですので、多くのひとが自分自身の内面の屈折や問題を、自分の先生に投影し、先生という存在そのものを嫌ったり反発したりします。

それ故、あなたが「教えるスキル」を発揮して何事かを実現すると、演奏家や外野から変なやっかみが入ることもあります。

そんなとき、「教えるスキル」の持ち主であるあなたは、やっかみを入れてくる相手の「指導者としての能力の欠如」を指摘したり、教えることと演奏することはちがうということを殊更に言い立て必要はありません。

結局は、ひとは本当に教え、導き、成長させてくれる指導者を求め、感謝し、支えてくれるからです。

教えるスキルというものが、まだまだ感覚的・直感的に曖昧で正体不明な感じがする時代だからこそ、教えるスキルの持ち主であるあなたは、それを「行使する」ことに務めましょう。

心の中に湧いてくる

「自分に教える資格なんてあるんだろうか」
「自分ではできないのにひとを助けるなんて幻想なんじゃないだろうか」
「いつか限界がきて叩かれてしまうんじゃないだろうか」

という疑念に真剣に取り合わず、エネルギーを「教えること」に向けて、ひとを教え導く活動をリアルにどんどんやることがとても大切です。

それが確実に誰かのためになり、ひとが変わり成長する姿をあなたが目の当たりにしたり、そのひとからの感謝を受け取る度に、指導者であるあなたはあなたが伸ばしてきた自身の才能を大切にし、徐々に自然な自信を育てていくことができます。

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「できない」ことでも「教える」ことはできる」への5件のフィードバック

  1. 随分前ですが質問に答えていただきました。ありがとうございました!
    2回目の質問になります!
    高校から楽器を始めて三年生で昨年のコンクールが終わり引退する8月ごろまでホルンを吹いていました。
    進路が決まり、大学でも吹奏楽を続けるかはまだ迷っているのですが、今度後輩に頼んで練習に混ぜてもらうことになりました!
    とりあえずはブランクが心配です…
    久しぶりに楽器を吹く時に気をつけることなどあったら教えてください!
    よろしくお願いします。

      • お返事ありがとうございます!
        わかりました!!
        奏法面ではなにかありますか?(>_<)

        • ブランクがあったなら、奏法のリセットの良いチャンスですね。

          なので、以前思ってた「あーしなきゃこーしなきゃ」をやめて、ただ音楽を心に流して、ただエイっと歌ってみることに徹してはどうでしょう。

          姿勢、腹式呼吸、アンブシュア、そういう意識をぜーんぶ水に流せるチャンスですね。

          • ありがとうございます!
            これを機に、良い方向へと変わっていけるよう頑張りたいです!

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