結果の叱責は最下策

結果を叱責することの愚は、望まぬ結果をもたらした過程の中身を見えなくさせることにある。ただいい加減にやったから起きたミスと、難しいことに挑んだ結果の失敗や、力みや緊張からくるミスとでは、改善のための方法がまるでちがう。

それを全て、『努力不足』の類に還元してしまうのは極めて破壊的。

自ら楽器演奏をすることを選んだひとに、いい加減な気持ちや努力不足からくるミスや失敗なんて、滅多にないのに、それを叱責すると、音が外れたり出なかったり合わなかったりすることを『恥ずべきこと』と思い込ませ、『自分はダメな人間なんだ』と洗脳することになる。

真摯に行った演奏の結果は、仮に音が半分以上外れたとしても、それは一ミリも恥ずべきことではない。むしろ、恥じてはいけないのだ。結果を恥じることは即ち演奏から心が分離していることを意味する。

よく観察していると、演奏中の緊張の多くが、自分の演奏に対するダメ出しや批判、恥じることから発生している。

親や先生の多くは残念ながら、過程が見えず結果ばかり叱責するろくでもない『指導者』だ。

しかし、真の指導者は自分の中にいる。その指導者は、あなたに結果を気にしないチャレンジをさせ、何ら恥じを感じさせない、良い指導者だろうか?

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