吹奏楽部の顧問や楽器の先生として指導をしているなかで、生徒に対してイライラを覚える場面がありますね。
このイライラを、自覚せずに生徒にぶつけて発散し、生徒をひどい目に遭わせている先生も時々いますが、より多くの先生は自分がイライラしたことや、そのイライラが態度や言葉に少しでも出てしまったことに大きな戸惑いや罪悪感を感じています。
それでもやはり、イライラを感じることが続き、
・イライラの原因
・イライラへの対処法
がどちらも見出せずに困っているかもしれません。
わたしがこの記事でお伝えしたいことは、指導中に生徒さんに対して感じるイライラは何種類かあり、それぞれ異なる対処法がある、ということです。
イライラのタイプは大まかにいえば次の3種類があります。
・生徒の考え方に対してイライラを感じる(価値観)
・生徒の現状にイライラを感じる(進捗)
・生徒の態度や受け答えにイライラを感じる(相性)
それでは、個別に起きている事と、その対処法を考えていきましょう。
①生徒の考え方に対してイライラを感じる
指導者のあなたは、音楽家としても、指導者としても、そしてそれ以前に人間として固有の価値観を持っています。
生徒さんもまた、それは同じです。
この価値観が相違するときに、イライラを感じることがあります。
ひとは誰しも、異なる価値観に接すると、自分が揺さぶられる感じがします。異なる価値観の間で、摩擦が起きるのです。
価値観は、自分自身の境界線を形作るものであり、また住み慣れた我が家のようなものでもあります。異なる価値観に触れるまではすべてが心地よいのですが、異なる価値観に触れると、あたかも我が家に土足で踏む込まれたかのような不快感があります。
それは、それまで身の回りの全ての世界が居心地がよく、自分と同調しているはずだったのに、突然、異質なものを目にすると、心地よかったはずの空間が乱されたように感じるからです。
しかし実際には、無限に思えていた境界線が実は確固として存在し、世界のすべてが我が家ではないことを知ったにすぎないのです。そのおかげで、「我が家」の大きさや見た目がどんなものなか、客観的に分かってきます。
生徒を指導していると、こういうことが起きるのです。
生徒もひとりの人間であり、そのひと固有の体験や性質によってを形成された価値観があります。
音楽の指導やレッスンは、表面的な「講義」的なものではとうてい成り立たないことはご存知の通りだと思います。音楽への取り組みは、ひとの価値観を露にします。したがって、価値観の顕在化とそれによる摩擦は必ず起きるのです。
自分と異なる、相手の価値観に触れること。それがレッスンで感じるイライラのひとつの源です。
【対処法】
では、必ず起きる、異なる価値観同士の接触によるイライラには、どう対処すればよいのでしょう?
まず根本的には、異なる価値観同士の摩擦を繰り返し経験することで、自らの価値観を自分自身が深く理解することです。
自分自身の価値観が、この世界のなかで普遍的ではなく、自分自身に固有のものであることを知り、自分の価値観をありありと知れば知るほど、その価値観を維持するのか、それとも異なる価値観を吸収し自らの価値観を変質させていくのか、その選択がはっきりできるようになります。
そうして磨かれた価値観は、「ひとと異なっていてもそれでよい」という前提に立脚した価値観になります。
そうやって、自らの価値観がひとと異なることを許せると、自らとは異なる価値観もまた存在することを許せるようになります。
そもそもイライラが発生しにくくなるのです。
それでも、異なる価値観というのは多くの場合、心地良いものではありません。
したがって、一緒にものごとに取り組んで行く相手を、自分自身と価値観が共通しているかどうかであらかじめ選んでおくこともまた大切です。
「選ぶ」とはどういうことか?
・個人的に教えてあげている楽器などの生徒さんであれば、他の先生を「あなたにとってもっと良いレッスンをしてくれると思う」などのような形で紹介してあげることで、自分のところでレッスンをしなくてよいようにする。
・楽器店に習いにくる生徒さんでも、可能であれば同じ楽器店の他の先生をオススメする。
・音楽大学などで教えている生徒さんでも、可能であれば同じ大学の他の教師に受け渡す。
といったことをやれるときはやりましょう。その際、価値観が合わないとか、レッスンしたくないということは言う必要はなく、単純に心から他の先生をオススメすればよいのです。
それは誠意であり、お互いのためになることです。
価値観が共通していると、すごく気が合いますから、師弟関係が風通しのよい前向きなものになります。ですから、師弟関係になるまえに、「価値観が合うかどうか」という、ある種の「壁」を設けておくことは、自分勝手ではなく、建設的なやり方なのです。
ですが、立場や状況によっては、どうしても価値観が異なる同士でレッスンや指導を続けていかねばならないこともあります。吹奏楽部の顧問の先生などは、この最たる例でしょう。
そんなときはどうしたらいいのでしょうか?
わたしは、価値観の「表明」がキーポイントになると思います。
自分の価値観を表明することは、相手に自分の価値観を押し付けることとは全くちがいます。また、価値観を押し付けないことと、価値観を「隠す」「曲げる」ことも全くちがいます。
自分の価値観を隠したり曲げたりしなきゃいけないように感じるとき、わたしたちはイライラを感じます。その背景には、自分の価値観を隠さなければいけないことへの悲しみやショックがあります。
したがって、何らかの形で、はっきりと自分の価値観を「表明」しておくと、イライラの予防や解消に大きな効果があるのです。
価値観を説明したり、伝えようとする必要すらありません。
ただ、表明(あるいは表現)さえできればよいのです。
それは、
・あなたの価値観を端的に象徴する冗談を言う
・あなたの価値観を代弁する名言や師の言葉を引用する
・あなたの価値観を表現してくれるような本などを推薦する
といったささいなことでも大変効き目があります。
そうすることで、あなたは相手を否定することなく、でもだからといって自分の気持ちを抑え込むことなく、安全に穏便に自分自身の価値観を「表明」することができます。
これにより、相手の価値観を尊重することと自分の価値観に従うことが両立された指導の端緒を開くことができるのです。
一緒に取り組んで行く相手を「選ぶ」ことも、自分の価値観を「表明」することすらも許されない状況で指導しなければいけない場合は、自分がそのひとたちにその環境で指導をしていることを選択している「理由」を明確に意識化しておくことが大切になります。
それは
・お金のため
・次の仕事につなげるため
・生徒を助けるため
etc…
などがあり得るでしょう。
理由は自分の利益であってもいいし、もっぱら相手のためであっても構いません。これは良い悪いとか倫理の問題ではありません。
価値観が合わない生徒たちと、自分の価値観を隠しながら付き合っていくことをするのならば、それはそれは大きなストレスになります。
そんなストレスを引き受けるならば、いったい何のための自分がそれを引き受けるのか、その理由を明確に自覚しておくのが心身の健康上、重要になります。
逆に言えば、
・もはやお金にならない(生計を支えるものとして機能しない)
・キャリアの向上に寄与しない
・相手のためになっていない
と判断すれば、その環境から離れる決断をスパッとしてしまえるのも大切なのです。
②生徒の現状にイライラを感じる
・生徒さんが、繰り返し同じところで同じようなミスをする
・生徒さんが、技術的な壁をなかなか越えられずにいる
・生徒さんの考え方や取り組み方に、生徒さんの問題の原因がある
そんなときにも、わたしたち指導者は心の中にイライラが発生するのに気付かされることがあります。
生徒さんが、なかなか成果を出せずに堂々巡りしているところに触れると、指導者であるわたしたち自身が同じように苦しんでいたときのことや、結局越えられなかった壁の存在などがわたしたちの心の記憶から想起されます。
過去のものになったとはいえ、当時の苦しみや辛さがまた湧いてくるような感覚があるのです。その不快感から指導者が不安になり、ソワソワしてきて、イライラを覚え始めます。
また、「何かがうまくいっていない」様子自体が、わたしたちを不安にさせやすいものです。
つまり、不安と不快感自体は指導者の内的なものなのですが、それが目の前の生徒さんの様子をきっかけに発生するので、「不快感を誘発した」存在である生徒さんに対してイライラを感じてしまうわけです。
【対処法】
これをわかっていれば、この種のイライラを感じたときにどうすればいいかが見えてきます。
まず、イライラの原因は相手にはないことを覚えておきましょう。
イライラの主成分は、あなた自身が感じている「不安・焦り・恐怖」です。したがって、それを落ち着ける自分自身に対しての何らかの手を打てばよいわけです。
別の言い方をすれば、感じているそのイライラは、生徒さんの現状とは実は直接は関係ないので、「全てだいじょうぶ」なのが現実により近いのです。ですから、それを自分に知らせることが、「打つべき手」なのです。
「生徒さんもだいじょうぶ。自分もだいじょうぶ。何の問題もない」
と自分で自分に語りかけることを、次に生徒の現状にイライラを感じたときに根気づよくやってみてください。
③生徒の態度や受け答えにイライラを感じる
生徒が不機嫌そうな顔になったり、投げやりな態度を取ったり、あるいは消極的で逃げるような言葉を吐いたりする。
そんなときにも、わたしたち指導者はイライラを感じることがあります。
まさに、相手の事が
「気に入らない」
「イラッとする」
「癇に障る」
のです。
この種のイライラは、指導のときだけでなく、仕事の付き合いや友達付き合い、家族の中でも感じるタイプのものです。
【対処法】
仕事の付き合いや家族の中でのことなら、この種のイライラは、はっきりと表明して不快感を伝えることが大切でしょう。
しかし、友達付き合いではそうもいかないことが多いですよね。つまり、同じタイプのイライラでも、状況により選択できる対処法は変わってきます。
指導者として、生徒に対してこのイライラを感じた場合はどうしたらいいのでしょう?
意外かもしれませんが、「さっさと忘れる。気にしない」これが大事になります。
自分の癇に障るような相手の仕草や態度、言葉遣い、雰囲気….。同じ相手でも、別のひとにとっては全く気にならないこともあれば、別のひとにとってはすごくイライラすることでも自分にとっては大丈夫だったりします。
つまり、相性なのです。
仕事を相手と共同きちんと進める場合には、相性の悪さからくるイライラには、早め早めに対処して、チームを変えたりするなど手を打つ事が大切です。家族の場合は、自分にとって不愉快であったことをはっきり口に出さないとプライベートでストレスを溜めることになってしまいます。家族間であれば、相手が嫌がることをなるべくしないような気遣いをし合うことは愛情です。
しかし指導者と生徒の間柄でたまたま性格的な相性が悪い場合は、そうもいきません。
指導者として生徒に対してそのようなイライラを感じているときは、
「教えることに集中する」
ようにしましょう。
何か癇に障ったり、気に入らないことがあっても、すぐに「相手のためになるレッスン・指導」をする作業に意識を向け直しましょう。
性格的な相性が悪くても、レッスンや指導の中身が良くて、生徒もそこから恩恵を得ていれば、良い学びが成立します。そうすると、お互い学びの部分で気持ちよく過ごせるからです。
ある先生のことが気持ちとしては「嫌い」に感じても、その先生の教え、業績、行い自体には尊敬を感じることはきっとあなたもあるのではないでしょうか。
学ぶことは、好き嫌いの感情にそれほど左右されずにできるのです。
いつもFacebookで参考にさせていただいております。
今回の記事ですが、以前学んだ経験のある「選択理論心理学」と非常に近い考察であったため、驚いてご連絡した次第です。
お節介ではないかとも思ったのですが、何か役に立つこともあるかもしれないと思いましたので、もしよろしければご覧いただけたらと思います。
それでは、失礼します。
ご紹介ありがとうございます!
テニスのコーチを仕事としています。
この度の記事を拝見させていただき、とても心が救われた気がします。
『価値観は人各々個別である』とは以前から分かっているつもりでした。それでもクラス、レッスンを運営する際は異なる価値観からくるイライラを感じ、ストレスを抱えていました。
仕事としてレッスンを行っている以上、相手ではなく自分が変わらなければいけないと思い、余計に苦しんでいたように思います。
『相手を選ぶ』、『価値観を表明する』、これからの方法にどこか後ろめたい感情もありましたが、
今回の記事を読み、 そう感じることもないのだと思えました。
長文失礼いたしました。
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
相手を選ぶこと、価値観を表明する事、いずれも先生と生徒両方のためになると思います。
そうすることで、出会うべきひと同士がより確かに出会い、表面的なことや世間的なことで患わされずに、深いレベルで交流し互いに成長しやすくなるからです。
わたしもいまは、そうしているおかけで、反りの合わないひとや価値観が衝突するひとと不必要に出会うことがあまり無く済んでいます。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。