フィジカルコーチで治療家でもあるポール・チェックと、ブルーライトカット眼鏡の開発などで知られるマット・マルーカの対談。
その中で、
「やらなければいけない、と言ったり思ったりするのは、自分の中の子供の部分だ。大人はやることを選ぶんだ」
という会話がありました。
親の言う通りにしないといけないのが子供だから、と。
自分自身がホルンの練習に関して、その意味で子供から大人になったのは20歳になる年のことだったと思います。
『1日たった5分だとしても、自分の魂のために毎日ホルンを吹こう。下手くそでも、馬鹿にされたとしても、モノにならなかったとしても』
と深く悟った日があったのです。
それ以前は、強く「やらなきゃ」と思っていて毎日焦っていました。でもできない日もあってそういうときは自己嫌悪に陥っていました。
一方で、やりたい自分も間違いなくいました。
いま思うと、子供な自分の中にも大人な自分が育ってきていて、強烈に葛藤していたのかもしれません。
いまも、「やらなきゃ」と思うことはあり、葛藤することがあります。それは、大人の方が多くなった自分と、まだ少し残っている子供の面が。やはり葛藤しているのかもしれません。
ホルン以外の仕事の面はどうでしょう?
生計を立てないといけない、
自立していないといけない、
勉強して努力しないといけない。
そう思っていることが、多いです。
これは自分の中の子供だったのかもしれません。
大人の自分は、いずれもぜひやりたいことです。
そして、
他人に対して、練習すべきだ努力すべきだ自立すべきだ、と思っているとき、それは相手を子供と思っているということなのかもしれないと考えました。あるいは、自分の子供な面を抑圧していてそれを他人に投影していたり。
アマチュアの楽団で、楽団員が互いに「練習しろ」と圧力をかけるような文化になるときがありますよね。それに対して持っていた違和感が、これで説明できたところがあるかもしれません。
大人同士なのだから、互いにあーしろこーしろ、ああすべきこうすべきと圧迫し合ったり、空気を読んだり同調圧力でだれかを攻撃したりするのは、やはりガキっぽいということです。ちゃんと話し合ったり、団の方針や価値観を明文化して、それに合うなら参加し合わないなら去る、そのような合意を作るのが良いのだと思います。
また、遅くても高校生ぐらいから、部活などの集団は「大人方向」に進んでいけるように、と意識するのも良いだろうとも思いました。