ソロコンテスト京都大会〜自己否定方式を見直すその2〜

【ソロコンテストに出場した中3の冬】

わたし自身が演奏に関係して、明確に自己否定を始めたのは、中学3年のときだと思います。

その冬、わたしはソロコンテストに出場しました。中高一貫校の吹奏楽部にいたので、高校生の先輩も二人、高校生の部で出場していました。

その二人が、どちらも本当に本当に上手で素敵な演奏をしていました。

【京都府大会】

まず、京都府大会。

わたしは中学の部で、幸いなことに代表に選ばれ関西大会への出場につながりました。しかし、代表に選ばれたときの自分の演奏は、とても緊張してうまくいかなかったように感じていました。すごくあがってしまったのです。

まず、この時点でその後に悪影響を及ぼす自己否定を始めていたことに思い至ります。というのも、この文章を書いていて初めて、

「そうか、ぼくはちゃんと代表に選ばれていたんだよな…..」

と感じたぐらい、印象や記憶に残っていたのは審査員の良い評価ではなく、自分があがってしまったこと、そして自分の演奏に満足できなかったことばかりだったのです。

自分の演奏の出来を受けて、「自分は本当に才能がないな….」という評価を自分に下していました。その評価の方が、結果や周りの言う事よりはるかに強く自分に焼き付いたのです。

これは14年前の出来事なのですが、この間本当に、自分が代表として選ばれたことを自分のために祝福してこなかったです。一切評価していませんでした。

こうして自分の自己否定の歴史とその影響を、読者と共有するために振り替えるなかで初めて、そのことに気付きました。いま初めて、「自分はけっこう良かったんだな」と感じられました。

この気付きと自己評価を、あのときに持てていたなら、きっとその後の自己イメージは良い意味で大きく変わっていたことでしょう。

【天才的に上手な先輩が、代表落ち….】

この京都府大会時、高校の部に出場していた二人の先輩。

そのうちのひとりは、年がひとつしか違わない、天才的に上手な先輩でした。

すごく仲が良く、わたしはずっとこの先輩に憧れ、背中を追っていました。

この先輩が、全国大会に出場して審査員の口をあんぐりさせる….そんな光景を想像してほくそ笑んでいた記憶があります。

しかしこの先輩が、なんと京都府大会で代表選考から漏れてしまったのです。

わたしはこのことに大きな大きなショックを受けました(もしかしたら、本人以上に….)。

「なんで、あんなにすごい先輩が代表になれないの?あの先輩で無理なら、自分なんか到底無理だ….」

「あの先輩が代表に選ばれないのに、自分は選ばれたなんて…. 自分はまやかしだ」

「あの先輩のことを考えると、自分は代表になる資格なんて無い…. ほんとうに全てを犠牲にして頑張らなきゃ….」

そんな想いが強く強く心を支配しました。

いまこうして思い返すと、おそらくわたしは単純にすごく傷付いたんだと思います。大好きで憧れの先輩が評価されなかったことに、ショックを受けたのですね。

そのショックを、自己否定と結びつけてしまったようです。

心理学に詳しいわけではないので分かりませんが、ショッキングな外側の出来事を、「自分のせい」にしてしまうのは、小さい子供がよくやっている気もします。当時15歳のわたしでしたが、この出来事に対して子供の心で対処してしまったのかもしれません。

このときが、

「いろんなものを犠牲にして、苦しい思いをしながら、歯を食いしばって、耐えて、頑張らなければならない。自分はダメな存在だから」

という自己否定方式を本格化させた決定的なタイミングだったと思います。

【次回予告:ソロコンテスト関西大会編】

京都大会から数週間後のソロコンテスト関西大会。3つ上の先輩も出場していました。そのときの出来事がまた一歩、自己否定方式を強化していきました。

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ソロコンテスト京都大会〜自己否定方式を見直すその2〜」への4件のフィードバック

  1. ピンバック: ソロコンテスト関西大会〜自己否定方式を見直すその3〜 | バジル・クリッツァーのブログ

  2. こんにちは、バジルさん、今日は質問です。すみませんが、教えて下さい。今ピアノの生徒で、左利きの方がいます。とても良く練習して来る熱心な生徒さんなのですが、右手が鍵盤にぶら下がったような形で弾いています。
    「手の形はこうして」って言うのは良く無いと思うので、様々な言い方をしてみるのですが、なかなか手は鍵盤にぶら下がったままです。左手はきれいな形をしているので、聞いてみたら、左利きだそうです。

    後ろから見たら、どうも身体がどうも少し左に傾いているような気もします。

    頭を動かせるようにして見ましたが、手の形は相変わらずです。

    やっぱりちゃんとアレクサンダーテクニークを学ばなければとおもいましたが、

    当面の対応策として、どんな声かけをしたら良いでしょうか?どんな動きに注意したら良いでしょうか?もし良いアイディアが有りましたら、教えて頂けないでしょうか。

    なぜ手の形をうるさく言うのかは説明しました。ご本人も納得してくれたようです。

    ピアノを始めたばかりのうちに形(指先で弾く)を覚えて欲しいと思うのですが,

    もう独り、4歳の生徒さんも左利きで、右手が鍵盤にぶら下がってしまいます。

    左利きだからの現象とは思いたく有りませんけれど、何か良いアイディアがありましたら、シェアして頂ければ嬉しいです。

    ホルンの方は最近口を閉じて、音を出すことに集中しています。相変わらず音を外しまくっていますけれども、吹き方としては良いなあと思っています。また機会が有りましたら、レッスンにお伺いしたいと思います。宜しくお願い致します。

    • 阿部さま

      返信遅くなり、すみません。

      これは手の形の問題でない可能性がかなり高いです。

      まず身体全体と腕の動かし方が関係していると思います。

      どちらのひちも左利きということで、利き手でない右手を見ていることが多いということはありますか?

      ひょっとしたら、利き手でない手の操作への不安や不慣れな感じが端緒になっている気がします。

      なので、右手で弾くときのミスタッチや左に比べた不器用さを、レッスンの中で歓迎しむしろ興味の対象にできるとよいかもしれません。
      形への細かい指導はむしろ不安を高めている気もします。

      具体的には、

      ・わざと逆を見て弾く
      ・身体をピアノと反対方向に向けて、手を後ろに回して弾く
      ・弾いている間、右手をかる〜く、ほんとにごくごく軽くチョンチョンと触れてあげてみる。その間、生徒さんには左手の方を見ておいてもらう

      などのゲームを取り入れると、右手への信頼感が育ってくるかもしれません。

      また、注意を右手から、「鍵盤」あるいは「音」、「音楽」に向けるのが大切に思えます。
      そちらの方が根本的に効き目があるかもしれません。

      つまり、右手の話はせず、音や鍵盤の話をするのです。

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