【技術と音楽、奏法と音楽、意識と音楽】

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ジャズトランペット吹きとの印象的なレッスン。

最初の相談内容が

『曲を演奏していると、吹き方のことが気をつけられなくなって、吹きやすいアンブシュアで吹いてしまう』

とのこと。

その、「吹きやすい方のアンブシュア」は低音域のタンギングに問題を感じているとのことで、

では気をつけている方のアンブシュアというものも見せてもらったが、ただ気をつけてアンブシュアの張りを強めにしているだけで、低音のタンギングは多少マシでも吹きやすくはなく本質的なちがいもなかった。

なので、自然に「そうなってしまう」方のアンブシュアのときの苦手要素を「気をつけて作った別物のアンブシュア」に取り替えることで解決しようとするのではなく、自然になる方のアンブシュアを基礎に据えたまま、起きている問題の原因と改善方法を探る方が良いと判断した。

事実、低音のタンギングの問題は、アンブシュアモーションと、タンギングと息の流れの混同を分離して息を吐きっぱなしでタンギングするという実体験によりすぐ改善した。
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面白かったのはここから。

ここでまた曲を吹いてみたときに、『意識したけど、吹きにくかった』と仰った。しかし、見ていると、さっきやったことをやっている様子がない。ふと、実際はさっきの改善に至るポイントを意識していない・考えていないのではないだろうかという気がした。

なのでそのまま尋ねてみた

– – –
バジル
「さっき考えていたことを考えていないのではないですか」

Trp吹き
「・・・たしかに、そうですね」

バジル
「面白いですね。ほんとは意識しなかったけど、意識したと述べ、そしてやりにくかったと述べた。あまり意識したくない感覚があるのですか?」

Trp吹き
「ふだん、ラフな格好で仕事しているが、たまにスーツを着なきゃいけないときに、着たくないけど着ないと怒られるから、辛いけど着る感じに似ている」

バジル
「なるほど!ほんとに、意識するのが辛い、嫌なんですね。」
– – –




ここでしばし考え込んだ。

先程、アンブシュアモーションや息とタンギングの関係など、技術的な観点で意識してみたら、困っていたことがすぐ解決した。

ということは、これらの意識は意識しがいのあるものだ。意識した方が吹きたいように吹ける。

だけどこの方の場合、意識するとは自分のダメなところにフォーカスし、それを解決改善する内容というよりは、全否定しまったく別物なことを無理してやること、という経験上の意味付けが為されていたわけである。解決改善の実感も証拠もなくても、苦しみながら一方的に提示された「正しさ」をなぞる事なのだ。

それが苦しく、やりたくないことに感じるのは、実のところ全くもって正しく健全であろう。

では、解決改善をもたらす技術的な内容を意識しながら吹くことを、苦しみを予期せずにやるには?

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ここで思い付いたのは、私自身がアレクサンダーテクニークの恩師キャシー・マデン先生に教わってきた発想。

それは、

《意識する技術的内容そのものを曲にしてしまえ!》

というアプローチだ。

アンブシュアモーションの方向、
息の吐き方、
タンギングの仕方、

それぞれを曲名に、あるいは曲中の登場キャラクターにしてみた。

アンブシュアモーションなら、「左上ガールと右下野郎」てな具合に(笑)!

すると、実に楽しそうに活き活きとした様子でアドリブを始められ、低音の鳴りもタンギングもみるみるスムーズになっていった!

Trp吹き
「これならできる気がします!」

わーいヽ(=´▽`=)ノ

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無意識でできるように体に叩き込む、刷り込む、というような言い回し。

わたしは昔からこの言い回しには何か違和感を抱いてきた。

どこか暴力的で、創造性や自主性に欠けるのだ。

やりたいこと、そのために意識すること、表現すること。それをはじめから結び付け溶け合わせることができる気がする。

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