日本の音楽教育や文化にアレクサンダーテクニークが本当に貢献するためには、各楽器や歌唱声域の専門家(プロアマ関係なく、深く長い取り組みと経験を重ねているという意味)でアレクサンダーテクニークの教師になるひとがほんとに必要だと、最近ますます思う
と同時に、楽器や歌唱の専門家でありながら、アレクサンダーテクニークを使った「指導」を生業にし自分のエネルギーをそこに注ぐ本気度も必要。
ただい、アレクサンダーテクニークを前面に出せということでなく、あくまでひとがやりたいことをやれるようにするサポートしての指導・教育のツールがアレクサンダーテクニークであるということ。
アレクサンダーテクニークが大事なのでなく、ひとの能力を伸ばし引き出し、望みを実現する力を育てるような指導・教育が大切。アレクサンダーテクニークはそれの大変有効な手法なのは間違いない。ただしあくまで、ツール、手法なんです。
いつかは、アレクサンダーテクニークを看板からはずしたい。だって長いし横文字で怪しいんだもん(笑)
メソッドはどうでもよくて、ひとがやりたいことをやれるようになるのが大切だから。
そもそも、俳優として生きたい気持ちに溢れていた青年が、声が出なくなってしまったけど、その人生の危機をなんとしてでも乗り越えようとし、強い情熱に支えられて観察し探求して解決に至る過程で見つかった一連の事柄がアレクサンダーテクニークだしね。