【”命令”や”禁止”の愚】

アマチュア大人のホルン吹きの方とのレッスンで、管の抜き差し位置をわずかに調整したらアンブシュアも音もすごく安定する結果になる場面があった。

意図・イメージしていた音程に対し、楽器のチューニングが異なる音程になっていて、本人は音感があるのでそのズレをとっさに唇や口腔で補正していた。それが大きな不安定や吹きにくさを生んでいた。

そして、管のチューニングによってこの要因をケアできたことで吹き方も音も一気に安定したわけだ。

そのとき、高校吹奏楽部時代に、『管をあまり抜き差ししてはいけない』と教わったことがこのことにつながっていたことに気が付いたとのこと。・・・プロの奏者でも細かく抜き差しする奏者はいくらでもいるのだが。

音程が合わない・定まらない状況に対して、チューニング管を闇雲に大きく抜き差しして対応しようとする中高生が存在するのは事実だが、これはまず第一に『音程を合わせろ』というのを命令されるような背景があり、第二に音程や音が安定する奏法的な指導が欠けていて、第三に替え指その他音程をとっさに合わせる方法の指導がかけているから起きる事態である。

それら原因や背景に目を向けず、また、各奏者が実際に闇雲にチューニング管を動かしているかどうかという個別的な実際をふまえることもなく、特殊限定的な話を一般化し、しかも禁止をして選択肢や可能性奪っているわけで、大変残念なことだ。

そして、より重要なのは、管を抜き差しすることは、そもそも誰にも禁止する権利など一切無いということだ。

管の抜き差しなど、法律倫理は当然のこととして、ほんの1ミリも誰の迷惑にもならずマナー案件ですらない。

こういったことは部活などにはよくあることで、伝言ゲームにより元々誰かに教わったことが変質していった結果であることもあるだろうが、それでも禁止を擁護容認する理由には全くならない。高校生ともなればそれは分かっている学生も多いだろう。

また、大人が関わる機会があれば、こういった本来できるはずもしてよいはずもない命令や禁止の悪習は、できるだけそれを指摘して是正を試みて欲しいと思う。

伝言ゲームであれ、
言葉のアヤであれ、

する権利のない命令や禁止にはよくよく気をつけるべきだと思う。

Basil Kritzer

ブログでは読めない話もたくさん!ぜひメルマガをGET♪

レッスンの申込や出張依頼などについては、こちら!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です