小さい音もまた、苦手に感じるひとは多いようです。
きょうは小さい音の苦手意識の払拭につながるかもしれないアイデアを記したいと思います。
【小さくない】
そもそも、「音が小さい」とはどういうことでしょうか?
実は音が「大きい」「小さい」とか「高い」「低い」は、比喩的なものです。
高い/低いは、一秒間に振動する回数が「多い/少ない」に対応しています。実際に「高いところ」や「低いところ」に音があるわけではありません。
それを「譜面」で書き記すときに、紙のうえの上下を指標として用いて「高い/低い」と「表現」しています。
ただし、振動数の多い音(=高音)は、歌や管楽器奏者の場合、頭骨や頬骨など身体の高いところにある場所でとくに響きます。振動数の少ない音(=低音)は胸や肋骨など身体の低いところにある場所でとくに響きます。また、高い音を出すとき、喉や舌が上方向へ動くことも多いです。
なので、音自体には高いとか低いとかはなく、音が高いところや低いところに存在するわけでもありませんが、身体においては高い音は高い場所で、低い音は低い場所に感じられるのは自然な面もあります。
大きい/小さいは、「音が大きい/小さい」というよりは、「音のエネルギーが多い/少ない」と言うほうが正確です。
大きい音は、音の波の「サイズ」が大きいのですが、それは音を生み出すエネルギーが「多い」からであり、小さい音は、音の波の「サイズ」が小さく、それは音を生み出すエネルギーが「少ない」からです。
管楽器の場合、音量のエネルギーは基本的に「振動(音)を生み出すときに使う息の量」で決まります。打楽器の場合は、叩く力。コントラバスの場合は弦を弓でこする力です。
ただし、人間の耳には「よく響いている音」は「大きく」聴こえます。
ですので、身体がよく響いていると、音を出すときに使う力(=息を吐く力)がそれほど多くなくても、身体で響いて音が増幅されて「大きく」聴こえてきます。
すごく上手なプレイヤーたちが、高音やフォルテをなんだか「ラクに」演奏しているように見えるのはこのためです。うまく身体が響くようになっているため、もともと力が必要な高音で、フォルテを演奏するためにもっと息の力が必要になるはずのときも、力づくで息を吹き込まなくても音が響いて飛んでいくのです。
では本題に戻りましょう。
小さい音の苦手意識を変えていくキーワードは、
小さい音は、物理的なエネルギーが「少ない」
というところだと思います。
なぜこれがキーワードなのか?
苦手意識を持っているということは、身体が力んで硬くなっていると思います。つまり、力を入れずすぎているわけです。誰も、力みたくて力んでいるわけではありません。しかし、怖さや苦手意識から「どうしても力んでしまう」のですよね。どうしても、「うわーいまから演奏するこの音は大変だぞ….」と思ってしまうわけです。
しかし、小さい音は、労力としては「大変」ではないのです。息の量で言えば、少なくてよいのです。つまり、身体の作業としては、「小さい音はラクができる」はずなのです。
まずは、
「小さい音は、労力はそんなにいらないんだ。ラクなんだ」とあえて思うようにしながら、小さいと音が出てくるフレーズを練習してみましょう。
きっと、思いのほか簡単にいままでの力みが軽減すると思います。
【注意力に筋肉はいらない】
そんなことを言われても、小さい音が「ラク」だなんてとても思えない….
そう感じているかもしれません。
小さい音は、身体的な力としては「ラク」かも知れませんが、確かに「簡単」ではありません。
必要になっているのは「注意力」なのです。
「注意力」という言葉を使うとどうしても、
「外さないように注意する」
「音程がズレないように注意する」
「音が大きくなりすぎないように注意する」
という考え方が刺激されてしまうので、「注意力」という言葉もあまり良くないのですが、本来の意味としては「意を注ぐ」、つまり、自分の意志を流れ込ませることなので、ほんとうならば「小さい音」にピッタリの言葉なのです。
「注意力」にエネルギーは使います。ですから、勉強をしたときのような「疲れ」は当然起きます。
しかし、この「注意力」には、「筋肉」は要りませんー。
なので、注意し続ける事うえで、「身体を強張らせる」必要も「頑張る」必要も無いはずなのです
小さい音をうまく演奏できるようにしてくれるのは、「注意力」、つまり、意志の力です。
① 演奏している音楽に自分の注意、関心、視線を向けましょう。
② その音楽に乗り、入り込み、とけ込みましょう。
③ あらかじめ、出したい音のイメージや指使い等をはっきりさせておきましょう。
そうすれば、あとは身体はむしろラができるのが「小さい音」です。
意志を研ぎすまして、演奏に浸りきりましょう。
【そこまで「小さく」しなくてもよいかもしれない】
もうひとつ、ひょっとしたらいちばん単純かつ重要かもしれないことは、
そこまで一生懸命に「音を小さくしよう」としなくてもよいかもしれない
ということです。
これは「大きい音」に関しても同様ですが、「小ささ」をとことん追究してしまうと、自分の奏法(自然な吹き方)を犠牲にしてでも「とにかく小さく」することをやってしまう危険があります。
それをしてしまうと、もちろんとても吹きにくくなり、身体も硬くなります。いまの自分にできることを大きく踏み越えて無理にやろうとすると、身体は硬くなってしまうしかないのです。
大きい音や高い音だとその無理や力みに気付きやすいのですが、小さい音や低い音では見逃してしまいやすいので、小さい音のときも、「自分にとって無理の無い範囲」で小さい音を練習していくようにしましょう。
【静かな音で】
これは冒頭に述べるべきかもしれないくらいですが、そもそも
「音を小さくしよう」「小さい音で演奏しよう」という意識自体が、身体を硬くさせやすい
という面があります。
「小さい」というのはサイズの概念で、人間はそのとき見ているもの思っているものの「サイズ」に自分のサイズを合わせる傾向を持ちます。
すると、「小さい」という言葉自体が、身体を小さく縮こまらせたくさせる影響力を持っているのです。
そこで、
「静かな音」
という言葉で考えようにするのがとても役立つかもしれません。
「静か」だと、具体的に音で「静けさ」をイメージしやすい一方で、「小さい」だと自分を小さくしているようなイメージを伴わせてしまいやすいのです。
「静かな音」
「穏やかな音」
「遠くから聴こえているような音」
そのような具体的な音のイメージを直接想起させやすい言葉を使うようにするのは、非常に有効だと思います。
ぜひ、お試しあれ!
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