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中学・高校の吹奏楽部の後輩に、音楽に関する才能が全般的に優れたプロのチューバ吹きがいて、最近、意見や提案を求めに時々レッスンに来てくれる。彼はチューバの扱いも上手くて中学生のときからなんでも吹けていた。
アクロバティックな能力で、音程のコントロールや跳躍もすぐやっとしまえる。
そんな彼に、不器用で演奏の才能もあんまりない自分ができることは、アクロバティックな能力故に見落としていた『音のツボ』に関するフィードバックや、体の使い方に関して、『使えるはずだけど使いそびれているらしきリソース』や『もっと合理的なやり方があると思われること』の提案だった。それら分析と提案の結果、響きが大幅にさらに良くなったり、本人談としてすごく吹きやすくなったりした。
レッスン中は、才能の塊のような彼に対するリスペクトがちょっと遠慮の方まで行っていて、役に立つような仕事を果たすことに集中すべく、それに一杯一杯だったが、一夜明けて『アイツにあんなふうに役に立ったなんて・・・!』と光栄なことであることに気付いて喜びを感じた。
上達とは、発見や学習であり、その本質は天才的なひとにも習熟者にも不器用なひとにも初心者にも共通なのではないかとあらためて思い返した。
私のレッスンの在り方は、特定のレベルに『到達』するタイプのレッスンではないかもしれない。代わりに、『現在地』から『進みたい方向』に向かって”前進”するタイプのレッスンなんだと思う。
Basil Kritzer