音大生はしんどい

音大生、音大卒でプロを目指している若いひとたち…..
ものすごくしんどい時期です。

もちろん人にもよりますが、
何よりのしんどさは、目標がたった一つに収斂されてしまうという特殊な状態。

つまり、
「音大生」といて生活している間、常に「プロ奏者」というたった一つの、しかもものすごく難しくハードルの高い目標を常に意識させられる、それが辛い

その目標があっても、見えてくるのは
「目標との隔たり」
「有り得ないくらいの倍率」
「じぶんの実力不足」
そんなことばっかり。。。。。。

その一方で、「他にできる事」も無いような気分になってくる。
普通の大学だと、まあ幅広く「就職先」の情報が入ってきやすいし、「普通の就職」は別に勝ち負けとはあまり関係しません。

音大だと、なかなか「音楽の道」以外というのが見えてきづらい環境ですし、常にどうしても「プロ」というステータス以外は「負け」という雰囲気がどこかにあります。

これが若い音大生を苦しめます。

プレッシャーを感じる一方で、展望は見えて来ない。

僕自身、大学時代はひどく辛い思いをしていました。
それもあって、アガリ症に苦しみました。

このアガリ症を改善すべく、あるメンタルトレーナーのところへセッションを受けに行ったのが大学4年目。ここで転機が訪れました。
アガリの症状や状況を話した後、まず最初にトレーナーが勧めてくれたこと….

それは、プロ演奏家以外で、自分のやりたい事できる事を真剣に考え抜きなさい、ということでした。

その発想、驚きでした。
だって、音大では、「別の道」は「負け犬」なんだもん。
そんなことを考えてる時点で弱いし、マイナスだ。

でも違ったんです。
アガリやプレッシャーはマイナスに働いていました。
そのマイナスは、どこからきているか。

自分の選択肢と可能性を狭める事
からきていました。

実際に大きな舞台でアガらずに演奏できるようになるまでにはそれから数年を要しましたが、
他にできる事ややりたい事を真剣に考えて行くにつれて、
日々の練習や生活でのプレッシャーは随分軽減され、健康になり、ホルンもうまくなっていきました。

それが今につながっています。
演奏の仕事も少ししながら、レッスン活動を行い、アレクサンダーテクニークの勉強とその関連の仕事
をして生計が立てられています。

これが、いまの自分にとってとてもよいバランスなのです。

おそらく、音大生の多くの人は、目標をたった一つ「プロ」に絞り込むが故に、逆にそこから遠ざかってしまっていないかと思うのです。

目標が自分の内側から生まれていなくて、自分自身に外部から押し付けた目標なのかもしれません。
これは、パフォーマンスを低下させるタイプの重圧です。

自分を導いてくれる、成長させてくれるようなエネルギーを誰しも持っていると思います。これは歯を食いしばって耐えることで開花するようなものではないと思います。

ぼくは、「努力・根性」「耐える・頑張る」という考え方には非常に懐疑的です。
これは、はっきり言って個人にとってもひとつの社会にとってもマイナスだと思います。

個人の能力は、内在する自然なエネルギーを見つけたときに、自然に必然的に開花します。
社会の能力は、その個人の能力が開花され邪魔されないときに発揮されます。

それならば、過剰な競争や努力や忍耐は、個人の能力も社会の可能性も阻害している可能性はないでしょうか?

能力をつぶし合い生き残った者が勝者になるような競争が力を引き出すのではなく、
全ての能力が最大限に開花し、収まるべくして収まるところに、最大限の力が引き出されるのではないでしょうか。

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音大生はしんどい」への10件のフィードバック

  1. バズ。この文章、鳥肌。有難う。

    ちょっと開眼しました。想い伝わった。

    「人生そんな簡単なモンじゃない」なんていう一般的な意見を破壊したい衝動があります、僕は。なんしか勇気もらいました。

    mixi残念だけど、こっちに足を運びますね。色んなコメントあったけど、気にしなくていいと思うよ。尖ったらポンポコ叩かれるんだから、自分に強く生きていこうね。

    では!帰国したらまたご飯いこうね~♪

  2. そうでしょうか?
    それは、単純に演奏家、藝術家に向いていない、ということでは?
    大学も商売ですから、向いていようが、いまいが、誰でも入学させるのです。耐えるのは当たり前。それが出来ないのなら、大成は不可ですよ。

  3. takuyashimomura

    うん、「簡単じゃない」理由を突き詰めれば(ほんとうはこれこそが真の根性とも言えるかも)、じつは理由は自分自身が「簡単じゃない」現実を作っている可能性があると思う。

    mixi、踏みとどまったよ(笑)

    また会うの楽しみにしてるよ~
    (^-^)/

  4. oさん

    はじめまして。閲覧とコメントありがとうございます。

    ぼくは、繊細な人こそ芸術に向いていると思いますよ。
    それなら、せっかくの才能を、「耐える」ことをしすぎて潰すのはもったいない気がします。

    向き不向きに関係なく、音楽を深く学びたい人が大学に入れるのは、よいことだと思います。
    そこから後、大成するかどうかに関係なく、それぞれが持ってる最大限の能力が発揮されるにはどうしたらいいのか、ということですよね。

    その阻害または発揮に関する一つの見方が今回の記事です。

    ぼく個人の場合で言うと、大成は全くしてないです(笑)
    でも、「耐える」方式でやり続けてたら、とっくにぶっつぶれてたと思います。
    どうにかこうにか、なんとかなったのが、「耐える」以外の選択肢を見つけ、もてるものを少しづつ発揮できるようになったからです。

    仮に、大成する能力の持ち主でも、「耐える」以外の選択肢がない故にその能力が損なわれていたら、悲しいですよね。

  5. 音楽を深く学びたい、あるいは楽器を吹いていたい、という理由で音大に入るのは当然ですが、音楽的に繊細な人&良く理解している人=演奏家に向いている、とはあながち言えない。ならばアマチュアでそんな方々は沢山いらっしゃる。繊細さと鈍感さを両方持ち合わせているのがプロではないでしょうか。いちいち「耐える」などと特別に意識しなくても、自然に耐えている、そういう強靭さがないとプロのホルン奏者には成れない。ホルン好きなら、中途半端でもプロに成り得てしまう、そういうフィルターが希薄な国が日本の現状です。音大時代に、ホルンが自分に合わない、プロに成れない、と感じたら、再び別の大学に入り直したり、別の人生を模索したりする、欧米のようなシステムが無い国であり、そういうエネルギーを持つ学生が少ないというのが問題かもしれない。「僕は緊張さえしなかったら、驚く様なホルン演奏を聴かせてあげられるんですけどね」「こんな音楽的な自分がプロになれなくて、あんなのがオケに入っている」その様な文面に見えてしました。

  6. Oさん、おはようございます。詳しくご意見下り、ありがとうございます。とても嬉しく思います。箇所ごとにお返事します。
    >音楽的に繊細な人&>良く理解している人>=演奏家に向いてい>る、とはあながち言>えない~

    これはその通りですね。僕は少ないながらやっている演奏の仕事でも四苦八苦で、フルタイムでプロオケ奏者の方々は、毎日毎日これをやっていることを考えると、本当に凄いです。常々、心から尊敬しています。

    ただ、それとは別に、タフさが無いが故に潰れる才能(ぼくじゃないですよ)があるとして、それがただ耐えるのは当たり前とされている状況が故としたら、音楽にとってプロアマ問わず貢献できる才能は非常にもったいなく残念に思います。耐えるのではなく選択肢や目標を幅広く持つことで悪循環から潰れる目前で抜け出せたぼくの経験をシェアし、それが何らかのヒントになり仮にプロになれる才能を潰さずに済むことの助けになることがあれば本望だという動機で書いた記事です。

    >「耐える」などと特>別に意識しなくても~
    僕としては、その自然に耐えることのできる強靭さは何に支えられているのか、そこに強い興味があります。個人的には耐えようとすることは逆効果なことが多いのではないかと思いますし、選択肢や目標の多様性が、強靭さの源泉であるかもしれないと考えています。

    >ホルン好きなら、中>途半端でもプロに成り得てしまう

    ~ぼくは日本のプロのみなさんが中途半端には思いません。ドイツで見てきたものから考えても、そう思うんです。
    欧米と日本の地力の差を生んでる要素のひとつに、日本の根性論が能力の十分な発揮を阻害している可能性を感じます。
    Oさんの言うように、欧米の大学で音楽以外にも様々な分野を学べる点は良いですよね。これがまさに、目標を過度に収斂させない働きを含むと思います。

    >「僕は緊張さえしな>かったら~

    あら、そんなこと書いてませんし、意図もしてませんよ(笑)むしろ逆で、このちっぽけな能力をいかに生かしきるか、というテーマです。

  7. 一般大学で就職支援の仕事をしています。

    ちょっとバジルさんの視点とは異なりますが,
    「プロ演奏家以外で、自分のやりたい事とできる事を真剣に考え抜きなさい」という
    件のトレーナーさんの意見に同意です。

    社会に出る前(つまり,プロの音楽家になる前)に,
    一度自分自身と向き合ってほしいです。

    音大に進んだ以上,音楽で社会をわたっていく覚悟はしているのでしょうし,夢を追いかけるのも大いに結構。

    しかし,あと50年以上も社会人としてのキャリアを歩いていくのに,たかだか20年くらいの体験で,自分の才能や可能性を決めつけないでほしい。

    「音楽しかできなかった」「音楽しかやりたくなかった」プロの音楽家と,「ほかにもいろんな可能性があったけど,やっぱり音楽を選びました」というプロの音楽家。

    聴衆にとって,人間として,音楽家として魅力があるのはどちらか。

    聴衆は,演奏を聴いて,その演奏に満足してお金を出すわけです。
    「プロ」の音楽家になるのなら「音楽の消費者」になるのではなく,「音楽の生産者」になってほしいと思います。

    • めっくりんがあさま

      はじめまして。この度はコメントありがとうございました。

      >「音楽しかできなかった」「音楽しかやりたくなかった」プロの音楽家と,「ほかにもいろんな可能性があったけど,やっぱり音楽を選びました」というプロの音楽家。

      そこは大きなポイントですね。

      音楽への愛の大きさ故に、音楽の道を「選択」するときに、強さが生まれるのではないかと思ったりします。

  8. 初めまして。
    時々ですが拝見させて頂いてます。
    全てでは有りませんが共感を持って読ませてもらっています。
    繊細さを失わずに如何にステージでパフォーマンスが出来るか。
    これは自分にとってテーマでした。得意な物、それが他人に取って難しい物であっても得意な物は高いパフォーマンスが出来る、でも、他人にとって易しい、若しくはそんなに難しく無いものでも自らの苦手な物のパフォーマンスは落ちました。
    最近です。あーなんだこういう事なんだ、、と気が付いたのは。
    ある意味とても簡単な事だと思います。
    しかし、
    >「努力・根性」「耐える・頑張る」という考え方
    の対極にあると思います。楽器の技術も同じだと思います。
    ある事に気が付く事で解決します。それはバジルさんが日頃書かれている事に含まれているとおもいます。私自身は違う方向から気が付きましたが。。
    もし、メンタルのテクニックでいわゆる「上がり」から解放されて良いパフォーマンスが出来るならそれは素晴らしい事だと思います。それが出来るか否かは本人次第でしょうが、そこをちゃんと理解して説明出来て導ける存在が周りに居るかどうかでその人の未来が大きく変わる事が有るのも確かだと思います。
    良いパフォーマンスを出来る人が増える事はこの世界全体にとってもきっとプラスに働くと思います。
    長々と失礼しました。

    • 松野様

      はじめまして。

      このたびはコメントありがとうございます。

      あがりという現象、わたしもまだまだ取り組み中です。私自身のなかでまだ完治、根絶できていません。

      もっともっと自分と向き合い、掘り下げて、他のパフォーマーの役に立つ経験や理解を重ねていきたいと思っております。

      仰る通り、持てる力をより多くの人が発揮し幸せなパフォーマンスが出来ることが増えれば増えるほど、世界は愛のある平和な場所になると信じています。

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