– – –
【緊張・不安の「種類」は?】
四半世紀悩み、向き合ってきたあがり症も、ずいぶんコントロールできるようになってきました。
わたしにとっての鍵は、
『緊張・不安の区分け』
です。
本番、強い緊張感やある種の恐さを感じるのはとても普通のことです。
問題は、それに演奏が大きくマイナスの影響を被り続けるひとと、そうではないひとがいること。
わたしは日本で育った外国人、見た目めはっきりちがうという育ちの過程で、
『社会・世の中・友人知り合いからの排除を受け孤立する』
ということを強く怖れる潜在意識的なイメージを抱くようになりました。
いろんなことを不安がりますが、どれも先にはなんらかの排除・孤立を受ける不安(妄想)に結び付いています。
….こういったことは、本来楽器演奏と全く関係ありません。
しかし、おそらくアイデンティティーを模索しながらもまだ論理力も経験も未熟ななかで、わたしはこういった根底的な不安(妄想)と、自分の楽器演奏や音楽に関わる態度といった部分を混同していってしまったのでしょう。
楽器演奏における「未熟さ・不完全さ」を感じると激烈に「それはあってはならないことだ」と思うようになっていきました。社会的排除・孤立を避けようとする気持ちとなぜかごちゃ混ぜにしながら。
こういう、自分の根底的な不安がどういったものなかをより理解し言語化していくこと。
それが、演奏のあがり症からの悪影響を徐々に、わずかづつに弱めていきました。
そのおかげで、今では概ね「大丈夫」です。
というのも、演奏の場面で、「社会的排除・孤立」を想起させるような物事って、ほとんどないでしょう?そもそも、誰かと共演しているし、聴衆もたくさんいるし。人種・文化的なアイデンティティーを問題にされたり脅かされたりするようなことが起きることも非常に少ない場です。
すごく緊張はするけれど、それは
◎一度限りの生演奏であるということ
◎たくさんのひとの目と耳の注意を向けられているということ
◎作品そのものの緊張感があるということ
◎より良い演奏をしたいということ(向上心)
などからくる、ごく当然で誰しも感じるものです。
その緊張感と、「根底の不安」があまり関係ないことを、根底の不安を理解すればするほど、分かってしまえるようになる。
演奏の緊張や不安そのものは、そんなに根の深いものではない。それが分かってきて、次から次へと泥沼のように不安の連鎖をすることを止めてしまえるように、徐々になってきたように思います。
それが、緊張や不安の「区分け」です。
あがり症や緊張、不安に悩んでいるとしたら、この見方が何か参考になるかもしれません。
その「不安」は、演奏だけのものか?
演奏以外、音楽以前からあったものか?
例えば、「ひとにどう思われるかが心配」。
これは、演奏に関してだけ思っていることでしょうか?
それとも、演奏以外でも思っているでしょうか?
音楽を始める前からあったものでしょうか?
もし、演奏以外・音楽以前からある不安なら、それは演奏そのものとはもしかしたらあまり関係なく、緊張感に誘発された「別」の根底的な不安かもしれません。
もしそうなら、その根底的な不安を、よく眺め言語化を続けてみてください。その作業そのものが演奏の緊張感をもっと素直に感じて、受け止めて、もしかしたら楽しむことさえできるようになっていく、もしかしたら最重要の第一歩かもしれません。
Basil Kritzer