2012年9月27日に記す
きょう、28歳になりました。この節目に、いままであまり大っぴらにはしてこなかったことで、でもいまの研究・仕事・活動に深く関わっていることをお話したいと思います。
実は、私は二十歳のときから一度も、一日一時間以上の練習をしたことがありません。ほとんどの場合、一日20分~40分くらいです。
正確には、二十歳のときに、長時間の練習が「できなくなった」のです。
エッセン芸大に入学してから一年ほど、私は一日5時間くらい練習していました。しかし、その間ほとんど成果がありませんでした。
成果がないばかりか、みるみるうちに背中と腰が痛くなり、そのうち息もできないほどの激痛となっていきました。しかし当時は「痛いといって休むのは言い訳」と強迫観念のように本気で思っていました。
しかし、痛みは容赦なく悪化。ついには楽器に触れるだけで鈍痛が背中を走り、立っていられなくなり、情けなくて泣いてしまうこともしばしばでした。
芸大に入ったからには、プロレベルにならなきゃいけない。そのためには練習あるのみ。自分は下手くそ。だから何を犠牲にしても練習あるのみ。そう考え、実践しました。
しかし吹けなくなるくらいの痛みは、完全にジレンマとなりました。たくさんひたすら練習しないとうまくなれない。うまくなれないなら芸大にいる意味がない。でも、練習できないくらい、身体か痛く、苦しい。
こうなると、「ホルンやめるしかない」という論理に行き着きます。ある日、私はあまりの痛み、苦しみ、板挟みに、本気で「もう終わりだ」と観念しました。芸大やめて、一般大学に入り直そう。ホルンはきょうで終わり。そこまで行きました。
すると、ふと重荷が降りたように身体がゆるみ、ラクになりました。そして「ああ、もううまくならなくていいんだ」と感じました。そうしたら、なんだか楽器に触りたくなりました。
当時は、ホルンはひざに絶対置いてはいけない、と思い込んでいましたが、現実持ち上げると背中が痛かったのです。けれどもこのとき、姿勢だとか構えだとか奏法だとかもう何でもいいや、という気持ちになっていました。
ベルをひざに置いて、ただパラパラ音を鳴らし始めました。すると、なんだかとても背中が気持ちよく、音がとてもよく響きました。そして、それまで出なかった音域がスルッと鳴ったのです。
10分ほどすると、また身体が硬くなり始め気持ちが苦しくなってきたのでやめました。しかしこの10分間は鮮烈な体験でした。自分に眠っている可能性を感じ、ホルンを続ける気持ちになりました。
次の日も、その次の日も同じ体験をしました。10分だけだけど、とてもラクに吹ける。音がまろやかに響く。そして前の日より少しうまくなっているのがわかる!
これは大きな希望になりました。吹ける時間は短いけれど、確実に上達できるし、身体が痛くない。自然なのが分かる。
これからもホルンを続け、芸大を卒業するレベルになるためには、たとえわずか10分でも確実に変化や上達が実感できるその10分。身体が痛くないせな10分を積み重ねるところから始めるしか自分は道がないと確信しました。
また、この状態は、そのときすでに大いに興味を持っていたアレクサンダーテクニークの本に書いてあることと重なっていることがわかりました。
まだ謎の多いこの10分をよく理解し、少しでも伸ばすために、ドイツにいるプロのホルン奏者でアレクサンダーテクニーク教師のひとを探し、レッスンを受けるようになりました。
それから一年もすると、身体の痛みなく学校のオケの授業やリハをこなせるようになりました。だから、一日長くても40分しか練習してないことはクラスメイトや先生にばれずに済みました(笑)
しかし、いまも変わらず一日の練習は20分~40分。ここで言う「練習」とは、変化や上達がある時間。
もちろん、オケの仕事があったり、曲の準備で「さらっている」時間はもっと長いこともあります。しかし私はそれと「練習」は区別しています。「練習」は変わる時間、上達する時間。
この「変化し上達できる時間」はいまだに一日20分~40分を越えません。何故かは、まだ分からない。しかし、この時間に賭けたことで私は痛み、不調から脱却し芸大を卒業できた。またその後、大したものではないけれどプロ演奏活動に進めた。
一方、プロで大活躍していく人達は、何なら一日中「上達」していく人達もいるので、その仕組みを知りたい。もしかしたら、そこが実力、才能という根本的な「差」なのかもしれないけれど。
いずれにせよ、一日10分からやらざるを得なかった経験、一日10分で確実に前進するほかなかった経験はとても貴重だ。仕事があり吹く時間の限られるアマチュアの方々や、深刻に伸び悩み苦しむ音大生を手助けしサポートできるからだ。
これが今のわたしのミッションであり、仕事であり、研究である。できるだけ毎日短時間でも練習し、上達の仕組みを探り、上達を阻むものを見つけ、自分の体験から何が普遍化できるかを日々考えている。