そろそろみんなで、「また演奏会ができたらいね」と言い合っている 「ホルンアンサンブルNDN」ですが、一昨年の演奏会に向けた練習のときに、NDNメンバーで大阪市音楽団ホルン奏者の山口明さん(超絶名人です。レッスン受講おすすめ!)にちらっと教えてもらったことの意味が(ようやく)よーく分かることがありました。
その教えてもらったこととは
『イメージしている音程に、管の抜き差し具合を一致させることで、外れがちだった音がちゃんと当たるようになる』
ということです。
ここでいう「音が外れる」とは音程のことではなく、ホルンの代名詞と言える(?)、あの「プルン!」という外れ方のことです。
これってつまり、
音が外れる原因として、単に管の抜き差し具合がずれている『だけ』のときがある
・根性不足のせいでも、集中不足のせいでも、イメージ不足のせいでもないかもしれない。
・音が外れちゃってても、あなたの呼吸にも、アンブシュア、タンギングにも、態度にも(笑)、まったく問題がない可能性がある。
ってことを意味しているんですね。
先日、R.シュトラウスの協奏曲1番を練習していたときに、
・メンタルも
・テクニックも
・ソルフェージュも
悪くないはずなのにやたらプルプル音が外れてしまいました。
無理やり押さえつけにかかれば、音をもっと当てることもできるな、と感じたのですが、それをすると自分を硬く縮めながら吹く吹き方が増してしまうから、それもいやだなあ…と。
で、もう少し観察していると、音が外れるのが、ただ外しているのではなくて、
①発音しようとしているタイミングで音が鳴らず
②一瞬遅れて音を鳴らしにかかり
③そのときに意図している音と、近辺の倍音が鳴って
④「プルン」という外れ方になっている
のが分かってきました。
吹き方は悪くないのに、音の発現につながらない。これはつまり、やっていることと楽器がずれているんだろうと思ったのです。
そこでもう一歩観察すると、外れ方に2種類あるのがわかりました。
【外れ方A】
音が勢い良く上の倍音にひっくり返る
= 想定している音程&それに応じてやっている動きに対し、管が差し込まれすぎている。
【外れ方B】
音が下の倍音に行ってしまったり、下に行くのを口で持ち上げてこらえる
=想定している音程&それに応じてやっている動きに対し、管が抜きすぎになっている。
Aのときは管をちょっと抜き、Bのときは管をちょっと差し込みます。
そうやって、協奏曲を流しながら、音が外れたらその都度、管の調節をしました。
その後、もう一度協奏曲を通すと、さっきと吹き方は変えていないのに、ほとんどの音が外れず当たったのです。外れてしまったときは、ちがうことを考えていたり、ビビったりして、運指のタイミングや選択を含めたソルフェージュがあいまいになったときだけになりました。
つい最近までは、こういった「演奏可能 or 最適条件の設定」という側面を探求することに正直あまり興味が湧きませんでした。
山口明さんに教えてもらったときも、理屈はわかるけれど、あまりピンとは来ていませんでした(もったいない!)
演奏技術を、「自分の中でやること」とだけ捉えていたからです。
だから、楽器のチューニングがずれていても、楽器の状態が悪くても、椅子の高さや角度が悪くても、全部「自分の体の使い方や技術次第」でなんとかすればいいのさ〜、
…..なんていう思考で練習に取り組んでいたな、と思います。
しかし、
マウスピースとアンブシュアの密着/接触を作る = 楽器を構えることの第1義的意味である
ことを理解するようになるにつれ、「楽器の構え」というのが、アンブシュア、呼吸、タンギングといった演奏技術より順番としては先にくる「さらなる基礎技術」であることを認識するようになりました。
演奏には大きく分けて3つの段階が、順序に沿って進行し、成り立っており、その各段階それぞれの技術を高めていくことができるのです。
【演奏技術の3要素】
① ソルフェージュ(音、リズム、表現、フィンガリングなどすべてのプランを含む)
② 演奏可能条件の設定(座る、構える、息を吸う、etc…)
③ 音を生み出す(息を吐く、口を動かす、舌を動かす、etc…)
もちろん、ひとの関心はまずは ③ に向くでしょう。具体的、物理的で、身体的で、見えやすいからです。
しかし、③ をオーガナイズし方向付けるのは ① ですね。これには、楽器の練習に真剣に取組み始めると、数年以内に誰でも気づきます。
残る ② はちょっと地味です。また、楽器の構造のこともあったりするので、面倒に感じるひともいるでしょう(わたしもです)。
ですが、①と③が向上し、明確になってくればくるほど、その実力を存分に機能させ発揮させるためには ② が丁寧にケアされていることが必要かつ大きな助けになってきます。
アレクサンダーテクニークにおける「注意の統一場」の概念を演奏に関連づけていくと、わたしにとってはこういった新たな理解につながりました。