これまで、
『こうなんじゃないかな?』
と考えたり書いたりしてきた、練習や上達のモデル。
モデルが発達し洗練されていくにつれ、その根本要素として
『やりたいことをやる』
のが練習である、というところに導かれていました。
そのことは、何回も疑って、検証しているのですが、その結果は揺らぐどころか、より Make sense する一方でした。
しかししかし、なんだかどこか違和感がありました。
どうも、このモデルだけだと練習が
・やりたいイメージを思い浮かべて
・それをなぞるうちに
・うまくなる、現実化する
という感じに、実践においてはなってしまうのです。
これは誤りや間違いではないけど、現実にはそれだけではない、というのが私の感覚でした。
ところがここに来て、何を見落としていたかに気付くことができました。
それは、
『何をやりたいかを少しづつ明らかにし、構築する』
こともまた、練習でやっていることだ、ということです。
歌や楽器の練習は、
『やりたいことをやる』
『やりたいことを見出していく』
の二つがセットで同居し、互いに影響しあいながら行われているのです。
そう捉えると、
・譜読み
・ソルフェージュ
・音を奏でる技術
・曲の演奏に向けた、音楽的&技術的準備
が全て平和的に一つになるのです。
いままでだと、イメージしている自分とそれをなぞろうとする自分とで、どうしても分断されてしまうことがあり、また、『やりたいこと』が「できるかどうか」と不安になってきてしまう傾向がありました。
それは、やりたいことは何なのかを見出し作りこんでいく作業も練習として認識していなかったからでした。
『やりたいことをやる』
『やりたいことを見出して作りこんでいく』
の二つがひとつになるのは、それはどちらも『創造する』ことだからです。
前者は、音にする創造行為です。音を生み出します。
後者は、地図を作る創造行為です。自分の『中』に音楽を作るのです。
どちらも、作る、創る、生み出すことだから、矛盾せず、同居します。
同居というと、まだ『別』というニュアンスがありますから、『コイン』の裏表と言った方が良さそうです。
長らく、技術的に優れており、演奏しようとしている曲を演奏することが技術的にできている優れた演奏者たちがよく、『曲をさらう』ことの価値、重要性、必要性を語るのがなぜか、感覚的には共感できても、意味を受け止められずにいました。
しかし、コインの裏表を理解したいま、曲をさらうことの良さ、たのしさ、意義深さがよく分かります。
曲をさらうことと、演奏技術の習得、上達が矛盾しなくなりました。
Oneness ですね!