前回、「夢」のお話をしました。夢を描いたとき、それが自分に合っているものであれば何らかのエネルギーが湧きます。ちょっと気分が明るくなったり、呼吸がラクになったり、動き出したくなったり。それが『「自分」のエネルギー』です。
吹奏楽部で楽器をやっていて。あるいは学生になってから。練習日でもないのに無性に楽器が吹きたくなる、という体験をしたことがありますか?それが『自分のエネルギー』です。
また、いくら失敗しても、いくらうまくいかなくても、それでも諦められない。どんなに辛くてもやっぱり練習に向かいたい。そんなときもあります。これは変化する/上達するというプロセス全体においてある箇所で行き詰まっている(このシリーズで後述します)ことを示しますが、『自分のエネルギー』はちゃんと働いていることを意味します。
逆に、好きなはずの音楽や楽器が嫌になっている。どうもやる気が起きず、楽器を吹けば吹くほどに気分が滅入る。そういうことも体験されているかもしれません。だとすれば、それは『自分のエネルギー』がうまく流れ出てきていない証拠です。
鍵は「夢」です。楽器との付き合い方は、あなたの「夢」につながっていますか?ひょっとすると、あなたがいま身を置いている環境は、あなたの望みとずれているかもしれません。
本当はもっと自分のペースでやっていきたいが、義理や責任からいまのバンドやオケに在籍している。そういうとき、『自分のエネルギー』はしぼむことがあります。
「夢」と切り離されているからです。
私のケースで言えば、実は今「夢」が変わりつつあります。そのため、これまで14年間にわたり、「うまくなること」に滔々と流れていた『自分のエネルギー』が、異なる方向に流れ始めています。
うまくなりたい。だから練習したい。そういうエネルギーが減ってきています。減ってきているのに気がついたとき、私は恐怖を感じました。
しかし実は「夢」そのものが変わりつつあるのです。うまくなること/プロのホルン奏者になること/音楽を演奏すること。それがこの14年間の「夢」でした。
いま私の「夢」は、「アレクサンダー・テクニーク教師という生き方を深めていくこと」になっているのです。私にとってのホルンの意味がすでに変わっているのですね。
いま私は「教える」という観点から練習の意味が生まれるとき、『自分のエネルギー』が流れます。アレクサンダー・テクニークのレッスンをしたり、講座を通訳したりしている中で、ふと洞察やアイデアが見えます。それを、ホルンで試したくなります。試したくなったとき、練習します。そして不思議と必ず、成果があります。一歩だけだとしても、自分も上達します。
ですが、それは毎日ではありません。「うまくなること」そのものが夢であったとき、私はほんとうに毎日練習したくなりました。ほとんど一日も面倒に感じなかったのです。
いまは、「毎日練習したいとは感じない自分」に戸惑います。そして「数日に一度吹いても成果があり、上達が起きること」にはさらに戸惑っています。まだ「古い夢」の感触が残っているからでしょうか。
いずれにせよ、「夢」は生き物のように変わります。「夢」と『自分のエネルギー』をこのように捉えたみた場合、あなたにはどんな発見や洞察があるでしょうか?
深いです!
変わるための構造
ひとが変化し成長するということには、ある決まった流れあるいは構造のようなものがあります。アレクサンダー・テクニークのレッスンで、教師はその構造を理解したうえで、受講者がどういう段階にあるかを把握しながら進めています。この構造は、「苦手だったフレーズができるようになる」という小さなレベルから、「プロの音楽家になる」という大きなレベルまで、様々な大きさや長さの「変化」を説明するモデルです。 そのモデルについて、すでに一通り書いていますが、また改めてこのテーマについて書き進めていこうと思います。 今回は、 ・バジル自身がいま辿っている「生き方」レベルでの変化 ・楽器演奏の上達を考えるときに役立つ基本的なモデル の両方を織り交ぜながら進めていきます。 変化には 1:夢 2:現実 3:思考 4:行動 5:見通し 6:結果 1(7):新たな夢 という循環構造の6つの段階と 段階を進んでいくのに必要な A:自分のエネルギー B:サポート(他者・外部)のエネルギー C:信頼というエネルギー という三つのエネルギーがあります。 これから数週間かけて、 1→A→2→3→B→4→5→C→6→1(7) という順番でそれぞれ見ていきます。 どうぞお楽しみに。
kaorinさん
ちょっと深すぎる、あるいは怪しすぎるかと思ったのですが、予想以上に「分かる!自分もそう!」という反応があってびっくりです。
以前mixiのコミュニティーでもコメントさせていただいた者です。バジルさんの夢について私も違う形ではあれど共感しました。
今大学生なのですが
高校時代までは楽器が好きで『自分へのエネルギー』がたくさんあったと実感しています。
ただ、大学に入ったとたんに楽器を触ることが怖くなってしまい、無理矢理気持ちを奮い立たせていました。
そんな中この記事を読んで、怖くなった理由がなんとなくわかった気がします
高校生だった私は『楽器が大好き』でした。ですがそれ以上に大学に合格することが『夢』であり『エネルギー』でした
それが達成した今
わたしは新しい『夢』を見つけなければならないのだと思います。ですから、これからはそれに向けて頑張りたいと思います。
なりみやさま おはようございます。コメントありがとうございます。自分の夢やエネルギーに関して、有意義な発見があって良かったですね!自分のエネルギーは、難しく考えず、単純な気持ちでいるときに楽しめること、あるいはそれをやっていると頭がスッキリしたり気持ちが晴れたりするもの、がヒントです。
思考あるいは洞察
このシリーズの更新は2ヶ月ぶりとなりましたが。変化と上達のプロセスには最も抽象的なレベルではどのような仕組みがあるのかを探る今回のシリーズ。ここまでは 夢あるいは悪夢 『自分』のエネルギー 現実 ということを見てきました。上記をクリックしたらそれぞれの記事が読めるのでぜひご参照下さい。 今回は「思考あるいは洞察」というものを考察します。 変化し上達するためには現実を知ることが不可欠なのですが、私たちはその現実から得られる情報をもとに「思考」を作り上げています。物事が変わっていく時、私たちは思考が変わったり、新たな洞察を持ったりします。 私たちは、厳密に言うと現実をそのまま知ることはできません。実際には現実から得られるいろいろな情報をもとに、現実について「こういうことなのではないだろうか」という推測あるいはモデルみたいなものを「思考」という形で作り上げ、保持しているのです。 そのため、変化や上達は「現実」が変わるというよりは、私たちの思考が変わることに伴って起きていると言えます。楽器の演奏能力が向上するその瞬間。たとえば今まで出せなかった高音が初めて出せるようになったとき。確かに今までは出来なかったことが出来るようになったのですから、現実が変わったとも言えなくはないのですが、実はあなたはずっと以前からその音を出す「能力」あるいは「インフラ」は備えていたのです。ということは、試行錯誤を経てあなたは、自らが本来備えている能力の「発見」に至ったのです。 逆に行き詰まっている時やなかなか上達が起きないときは、あなたの「思考」が現実とマッチしていないまま保持されていることを意味します。「これでいいはずだ」と思って続けている練習法や奏法が、実はあなたの能力を発揮することにはつながらない行き止まりの道かもしれないのです。 ここで強調したいとのは、不調時や行き詰まりに苦しんでいるとき、それはあなたの「能力」の問題ではなく、そのとき当たり前に採用している「思考」が原因になっているということです。言葉で説明していると微妙な違いにしか感じないですが、実際には大きなポイントです。 自分に疑いを持つのか 自分の思考を疑ってみるのか こう表現すると、その違いは歴然とします。前者は自己不信の類いです。対して後者は、自分への信頼がベースにあった上で、自分の思考や捉え方を変えてみる勇気や柔軟性を示唆します。 私の個人的な…