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これは吹奏楽指導に限らず、音楽のレッスン全般で見られることですが、わたしたち指導者には、
生徒さんの演奏の何かがさっきより良くなっても、部分的にうまくいっても
「でもまだ~がダメ」
「けれどもここがまだ足りない」
という捉え方についついはまり込んでしまうという悪癖があります。
しかもこれ慣れきっています。
当たり前に感じるくらいです。
悪癖だという自覚もなく、善意でやっているときもあるくらいです。
私のレッスン経験のなかで、レッスンの場面ですでに数多くの生徒さんが自ら「でもまだここがダメ」的な考え方で自分自身を伸ばそうと頑張っている場面に遭遇しました。
でも、音楽を演奏するひとの多くが悩む
・心の緊張
・体の緊張
・劣等感と自信の欠如
・努力量の割に成果がついてこない
という問題については、まさに「でもまだここがダメ」方式が原因の一部になっていることがあります。
【「でもまだここがダメ」方式の心理】
「でもまだここがダメ」方式はなぜここまで当たり前になっているのか。それは、上達には犠牲と苦労が必要であるという間違った思い込みが背景るのではないかと思います。
たとえばあるフレーズの練習に取り組んでいるとします。このフレーズを滑らかに演奏できるようになりたい、と思って練習していると、ふと何度かいい感じに演奏できたとします。
そのときの体験は純粋に、
「あ、さっきより思い通りにできた。やったー!」
というものです。
しかし次の瞬間、別の思考が入り込んできます。
それは「慢心してはいけない」という類いのものです。
上達のためには苦労を伴う練習が必要であり、そのための努力は
「〜がダメだから」
「~がもっとちゃんとできないといけないから」
という考えや、感情、気持ちを動力に実行します。
ひとによっては、それこそ当たり前のことでしょう。
確かに、慢心せず飽くなき努力を続ける。それは美徳にも見えますが、ひとつ問題があります。
それは
少しでも改善したなら、その改善したという現状を否定すると、上達への道筋が閉ざされかねない
ということです。
【「でもまだここがダメ」方式は上達のブレーキになるとき】
「でもまだここがダメ」方式も、私がこれから提案したい方式も、「上達したい」という望みにおいては共通しています。
そこで、価値観や文化的な感じ方からはいったん離れて、単純に、「上達したい」という望みにどちらがより奉仕する方式なのかを考えてたいと思います。
①「でもまだここがダメ」方式
いま取り組んでいる目標がある音階を、管楽器で
・メッゾフォルテで
・スラーで
・豊かな響きで
・力まずに
・滑らかに演奏する
ことであるとします。
まず、望む結果(音のイメージ)を思い浮かべて、実際に演奏してみる、というところから始まります。
1度目。
だいたいいつものように演奏できたとします。
2度目。
もうちょっとたくさん息を使うとよさそうな気がしたので、息をもっと吐きながら吹いてみました。
すると、
・さっきより音がよく響き
・吹き心地もちょっとラク
という結果が得られました。
と同時に、
・一番上の音がちょっと音程が不安定で
・腕に力みを感じる
という結果も得られました。
さあここからがポイントです。
「でもまだここがダメ」方式で考えていると、
「音程が下がって、腕が力んでてダメだな」ということを一番強く考えます。
そして「まだまだダメだ、もっと練習しよう」という結論になります。
しかし!これは実は上達を助けていないかもしれないのです。
なぜか。
上達の方法や道筋に関する情報を排除してしまっているからです。
②変化を生んだ『思考』または『アプローチ』に着目する
ここまで読んだあなたは、さっきの音階が2度目にどうなったか、パッと思い出せますか?
おそらく「ダメだった」ところは思い出せるでしょう。
・上の音の音程が不安定だったこと
・腕が力んだこと
です。
しかし、2度目に実は良い変化も起きていましたよね?
それが何だったか、ちょっと思い出しにくいのではないでしょうか。
それは、私が「でもまだここがダメ」方式の考え方を書いたからです。
何が良くなったかは印象に残りにくくなっていますね。
わたしたちが望んでいるのは、ここでは「上達」です。
その望んでいる上達は、実は2度目にちゃんと起きていました。
それに気がつかない、あるいは忘れているって、ちょっとおかしいと思いませんか?
2度目は
・音が響く
・吹き心地がラクになる
という上達がちゃんと起きていました。
上達へのヒントや鍵は、上達の中にこそあるのです。着目したいのは「なにがどう良くなったか」であり、「どこがまだダメか」にばかり着目するより、上達の効率は長期的には高まるのではないかと、わたしは考えます。「まだダメなところ」をいくら探しても、それをどう変化させ、上達するかという情報は含まれていません。
着目したいのは、
ほんの少しでも改善や上達があったときに、何を考えどんなアプローチをしていたのか
です。ついさっき現実にちょっとした上達と改善があったから、それをもたらしたものに着目すれば、上達に関係した情報を集めることができます。
せっかく、いま自力で上達をし、これからも上達を続けるためのヒントと情報が目の前にあったのに、「でもまだここがダメ」方式は宝の山ともいえる情報・経験を曇らせてしまいがちです。
【「でもまだここがダメ」方式でやる気をそいでしまうより….】
生徒さんの指導をしているとき、指導者であるあなたの言葉や視線は、どこを向いていますか?
もし「でもまだここがダメ」に向いているとすれば、それがせっかくあなたが頑張って教えているにもかかわらず、あなたの指導の効果・効率を削いでしまっている可能性があります。
毎日の指導のなかの、ひとつひとつの場面で、ほんの少しの上達でもいいから、敏感に上達やその兆候を察知すべく、見て・聴いて・感じて・考えて・関わりましょう。
上達したということ自体により重きを置いて、わずかな上達でもそれをもたらしたアプローチや思考法を抽出し、指導で繰り返し用いていけば、生徒さんとしてはあなたのレッスンや指導が「どんどん音が良くなる!どんどんうまくなる!」という体験になります。それが生徒さんのやる気を高め、信頼関係を作り上げます。われわれ指導者としても、とても心が軽くなり、幸せになる好循環です。
反対に、せっかく得られた上達を、「でもまだここがダメ」方式で覆い隠してしまうと、本当に悲しい気持ちなりますし落ち込みます。これは上達への道と反対方向です。向上心や、音楽を好きという気持ちを削いでしまいかねません。
歌う、楽器で音を出す、みんなと合奏する。
それは本質的に楽しいものです。
「でもまだここがダメ」方式は、人間は怠惰なもの、ダメなもの、という価値観がそのベースにあるような気がしてなりません。
そして、人間は本質的に成長し向上するものという立ち位置からやってみるのは、いかがでしょうか?
繰り返しになりますが、一ミリでも改善や上達があれば、そこに着目する。
そしてそれをもたらしたアプローチや思考を再現したり、さらに発展させたりする。
ぜひあなたの指導にも、そしてあなた自身の練習の過程にも取り入れてみてください。
Basil Kritzer
昔の記事ですが、コメント失礼します。
先月、日本でも第一線でご活躍されているプロの方に初めてレッスンをして頂きました。
元々口のバテが悩みで、アンブシュアを見てほしいと事前にカウンセリングを伝えています。そのレッスンまでに自分の中で、バテの原因、その対策、対策の結果をいくつも用意しましたが、結局納得のいく答えが掴めませんでした。
ですので、レッスンではその解決の糸口を掴めればと思い藁にも縋る思いで臨みました。
ですが、そこで言われたことが
『あなたの音は音楽的に使えない音色』
『歯並びなんて関係ない、何故息漏れが起こるの?これはまずい状況だよ』
『このやり方は、以前行った講習会で参加した20人全員がその場で出来たのに出来ないの?』
などなど…言われてしまいました。
レッスン中は溜め息ばかりつかれてしまい先生自身のやりたい事が出来ず、イライラされているようでした。
自分のアンブシュアが悪く、先生の行なっているアンブシュアを教えて貰ったのですが、結局歯並びが悪く歯の隙間から息が漏れてしまいます。頑張って息漏れを防ごうとしてもダメでした。他に息漏れを防ぐ方法を聞いても『分からない、それを考えるのが大切でしょ。』と。
どんなに考えても答えが出ず、やり方を聞いても『自分で考えろ』、挙句『その音色は使えない、素人は楽な演奏に逃げたがるが、演奏は楽ではいけない』との事でした。
何より、この日をすごく楽しみにして頑張って練習していた自分を否定されたようで、演奏自体を辞めたくなりました。
幸いなことに、もう一人の別の素晴らしい先生のご指導でアンブシュアの問題は改善に向かっています。
プロの発言は精神的に来ますね。この体験で得られたことは、自分で情報を選択する事と、音楽を行う上でマイナスな言葉は奏者の気持ちを挫く可能性があるので意味がないと言う事でした。
こちらの記事をみて思い出しました。長々と失礼しました。
ゆかりさん
先日、別分野で指導・教育に携わっているをしている妻が、
「普通、たいていのひとは、飲み込みが早くて簡単にうまくいくひとを教えたがるんだよ。ラクだし、自分に箔もつくし」
と言っていて、それを聞いて、どちらかというと色々行き詰っていたり悩んだりしているひと(=すんなり良くなるわけではない)とレッスンしている方が、
腕が試され旺盛な工夫が必要になってやり甲斐と楽しさを感じる自分は珍しいのかもしれない、と思ったところでした。
困っている、悩んでいる、行き詰っているひとが多いのに….なんだかな….という気持ちになりますよね。
もうひとつよく聞く話は、教える側は、生徒がうまくいっていないと自分が否定されているように感じて、
それで言葉がキツくなったりするのではないか?というような話です。
成功や結果にばかり意識が誘導されがちなクラシック音楽の世界では、
先生たち(=奏者たち)は試行錯誤、七転び八起きのプロセスを共有・追体験するのが内心苦しい、怖いという面もあるのかもしれませんね。
Basil