私が中学生で私が中学生で吹奏楽部に入ってホルンを始めた時に、あるいは もしかしたら 小学校の時にフルートを習い始めたのですが、その時にも教わった気もするのが
息を吸うとき空気はお腹に入れる
肩は上がってはいけない
重心は下げる
といったものでした。
しかし小学生の時にはそれの意味が全くわからなかったし、先生に教わった通りに、あるいは 小学生なりにこうかなと思ったことやろうとすると、身体的な大変さや不快感しか感じられず吹きやすくなる実感はありませんでした。
中学生になると、しっかりいい感じで息を吸えた時にそれだと肩が上がってるからダメというような言われ方をして、かなり混乱した記憶がおぼろげながらあります。
良い演奏良い音のためにうまくいきそうな方法を取るとその方法を否定され、うまくいかない方法で頑張って結果が悪いとその結果を批判される。
楽器演奏と呼吸法の原体験としてそれがあります。
その原体験の中で感じた苦しみには、今この年齢になって色々と言語化したり、自分の内面を自覚できるようになった上でこそこのように整理できるのですが、
自分が受けた教えというのは
集団主義的
権威主義的
合理主義的
設計主義的
な価値観に基づいており、それが自分にとってはかなり受け入れがたいものだったということなのだろうと思います。
集団主義
・みんなと同じであるべき
・周りと揃えるべき
・それを通じて調和を保つ
権威主義
・歴史や伝統、教師、専門家などが権威となり、権威あるものが正しいと考える
・権威の考え方ややり方 に沿うのが正しいと考える
合理主義
・理論で先に答えを決めてから実践をする
設計主義
・理想の形や状態を先に決め、そこにやり方や体を近づけていく
これらは過去に成功した方法、あるいは成功したように見えたり感じられたりすることを再現しようとする発想、善意や責任感を背景にしている側面もあるでしょう。
しかし、こういった価値観に違和感を持った私の価値観というのは、
個人主義
・正しい形や正しいやり方は人によって異なり、その人自身にしか 最終的には分からない
自由主義
・何を選択するかは選択する人自身が決める。選択・決定の責任はその人自身にしか負うことができない。
機能主義
・やりたいことがよりやりたいようにできることを正解と定義する
経験主義
・実際にうまくいくこと、やりたいことがよりやりたいようにできることを確認して正解とする
このようなものだと思います。
近頃考えるようになったことは、レッスンの内容や型、具体的なノウハウも、結局のところ背景にある価値観から導き出されているのではないだろうかということ。
レッスン技術やノウハウを論じる時に、自分自身がどのような価値観に共鳴しているかということの自覚なしには大事なところは紐解けないのではないかと思います。

