私自身の中にあった「自己否定」と「音楽という経験」の間の強い結びつきに、気づかされまし

先日のセミナーにご参加くださった方から、メッセージを頂きました。

【メッセージ】

先日の自己肯定練習法のセミナーではたくさんの体験をありがとうございました。

今頃になってこのようなコメントをお返しする無精をお許しください。勉強したことを自分なりに受け入れて咀嚼するのに、実践の機会や時間が少なからず必要だったのです。

セミナーで学んだ内容とその後の実践を通じて一番驚かされたことは、私にも自己肯定がとても有効だったということでした。

これは本当に驚くべきことでした。実は自分には習慣的な自己否定はあまり関係がないと思っていました。それに失礼を承知で言えば、積極的に自己を肯定するという姿勢自体がやや不自然なものに思えたり、もしかすると音楽に接する自分の体験を損ねるものではないかとさえ始めは疑っていました。

興味深いのは、私自身の中にあった「自己否定」と「音楽という経験」の間の強い結びつきです。改めて気づかされましたが私は苦しみ抜いて、耐え抜くことこそ音楽的な経験だと心のどこかで信じ切っていました。

これは部活動の文化の影響もあるでしょうし、自分と音楽仲間や先生達との関わりの中で培われてきた音楽観でもあって簡単にその根を掘りあてることはまだできませんが、一つ実感したのは、私たちは「苦しんで耐え抜いて夢を実現する」という物語にとても慣れ親しんでいるということです。

漫画や文学、映画作品などなど、いずれもこの物語の形式はあちらこちらに見られます。端的に言って苦しんで努力する姿が美しいという価値観がいつの間にか広く共有されているように思います。

そのような価値観が望ましいものなのかどうかという点について、私にはまだ自分の意見をはっきりと表明できる準備がありません(しかし、アレクサンダーの教師を志す人間として、これは時に有害であるということは認めざるを得ないと感じています)が、少なくともそういった汗と涙のストーリー以外に音楽と関わる選択肢を知ることができたのは大きな喜びでした。

自分の学生時代を振り返っても、また今の音楽教育を見渡してみても、まだまだ音楽を学ぶことについて、努力や根性以外のキーワードが根付いていないと思います。

音楽を教える人にも、音楽を学ぶ人にも「楽しむこと」を原点においた学びを知ることが必要だと思います。これを伝えるには大変な時間と労力が必要なことでしょう。

バジル先生だけではなく、たくさんのアレクサンダー教師や、バジル先生と志を同じくする指導者にも多く活躍して欲しいですが、まずはバジル先生の活動があちこちできっかけを作っていかれることと思います。

セミナー、講演の実行にはご苦労も多いかと思いますが、どうかこれからも各地でご活躍なさって下さい。たくさんの人達がバジル先生のレッスンを必要としていると思います。

BODYCHANCEアレクサンダーテクニーク教師養成コース在籍・外池康剛

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