高校生トロンボーン吹きより質問を頂きました。
【質問】
はじめまして。高校生のトロンボーン吹きの者です。いつもブログ&メルマガ拝見させていただいています。
私は1年半ほど前に、今まで経験したことの無いような不調にみまわれました。具体的には、1posのチューニングB♭でドッペル音が出てしまうというものでした。チューニングの音なので毎回合奏の時に怒られ、追い出され、直してこいと言われる毎日を過ごしてきました。自分はダメだと思い、毎日毎日苦しい思いで練習してきましたが、直る気配はありませんでした。楽器を吹く事が楽しくなくなり、もう楽器をやめようかという所まできていました。
しかし、このブログと出会い、アレクサンダー・テクニークの様々なアイデアを試すことで、この不調から抜け出すことができました!
今まで自分を苦しめてきたドッペル音も出なくなり、これからもトロンボーンを続けていこうという気持ちが湧いてきました。
でも、最近また壁にぶつかりつつあります。
それは、チューニングB♭付近の音が吹きづらく、音を出すのに時間がかかったり、吹いた時に口の周りに力が入っているような気がしたりすることです。うまくコントロールできていない感じです。
ドッペル音が出ているわけではないのですが、またあの不調に襲われるのを恐れているのか、アンブシュアを気にしすぎる癖がついているように思います。たしかに、もしかしたらドッペル音が出るんじゃないか、と思う感覚で吹いている時もあります。そのせいで、音色などにも悪影響が出ている気がします。
アンブシュアを気にしすぎず、口を閉じて、しっかりプレスして、息を出すというような事や、自分がやりたい音楽をイメージして吹く事、吹っ切れて自由に吹く事など、様々な方法を試しましたが、どうもうまくいかず、気持ちよく吹けません。
もはや考えすぎ?と思うこともあるのですが、気にしないで吹いても、なかなか手ごたえのある吹き方が見つかりません。
無意識のうちに、アンブシュアに何かをしようとする力が働いているような気もします。
どうすれば気持ちよく吹けるのかわからなくなってしまいました。
ただ、今までと違うのは、また自分が気持ちよく楽器が吹ける日が来るだろうという希望を持っていることです。
前は、自分はダメだ、もうこの不調から脱却することはできないんだ、と思っていました。しかし今はそんな事はありません。
大学に入ってもトロンボーンは続けたいし、オーケストラで吹いたり、コンチェルトを吹いたりもしてみたいです。やりたいことはたくさんあるので、絶対にこの悩みは解決したいです。
この症状を解決する、いいアイデアはありますか?
よろしくお願いします。
【バジル】
はじめまして。
・はじめの不調脱出のいちばんの決めては何だったか、分かりますか?
・そのポイントは、意識を継続していますか?
・もし継続していなかったら、その意識をもういちどリフレッシュさせて明確にし、もう一度やってみてください。
もしくは
・「口に入ってしまいそうな力」がどんな力なのかを観察してみましょう。場所は?方向は?タイミングは?
・その力の様子が見えてきたら、いちど「その力を、『入れて良し』として、あえて入れて吹いてみたらどうなるだろう?」
を試してみてください。
【質問者】
返信ありがとうございます。
「頭を動けるようにしてあげて、身体全体を動けるようにする」ということを何気なくとりいれてみた時にものすごく楽に音が出たのを覚えています。
おそらくそれが不調脱出のきっかけだったと思います。
でも今は、それをしようとしてもうまくいかず、身体が硬くなっているような気がします。意識は継続しようとしているのですが、上手くいっていない感じです。考えすぎなのでしょうか?
「口に入ってしまいそうな力」の観察は、今日やって見ようと思います。
【バジル】
やはりそれが不調脱出のキーだったのですね。
考えられるのは
・不調脱出のキーとなった意識をしているつもりでも、実は不調脱出時の感覚を得ようとしていて、意識をほんとうにはしていない
・意識をしているとしても、意識しながら吹くときの吹き方の部分のコンセプトになにか問題がある
のどちらかですね。
【質問者】
「不調脱出のキーとなった意識をしているつもりでも、実は不調脱出時の感覚を得ようとしていて、意識をほんとうにはしていない」
これに当てはまっている気がします。
意識しようとしても、どうしても奏法を気にしたり、うまくいった時の感覚を思い出そうとしてしまう自分がいます。
でも、曲練をしているときは、そう感じることは無いんです。
曲を練習している時は、音楽をしようと思いながら吹いているので、あまり奏法を気にしすぎることはありません。
しかし、基礎練習をしている時は、どうしても口周りのことが気になってしまい、ずっと「上手く吹けないなぁ」と思いながら練習しています。
【バジル】
A.ジェイコブズの言葉
「テクニックを身に付けるには音楽を演奏することだ。音楽を演奏するためにテクニックを学ぶのではない。」
あなたにとって、いまの基礎練習のやり方はもう必要ない可能性が高いです。
どんどん曲を吹きましょう。
そのなかで、興味や関心が向いたときにだけ、ピンポイントで「基礎練習」をすればよいのです!
【質問者】
この言葉に、納得したところはあります。
たしかに、今の私にとって、自分に合っていない基礎練習をやるよりも、音楽をすることで自分を磨いていくことの方が重要だと思います。
ところで、私は曲練習をしすぎることで、基礎がおろそかになるとしつこいくらいに教えられてきたのですが、実際はどうなのでしょうか?
曲練習をやりすぎることの弊害はありますか?
【バジル】
曲を演奏することによる「弊害」なんて、ありえません。
技術的・体力的な限界を越え過ぎているのに無理に曲を吹通そうとすれば疲れが残ったり奏法が一時的に崩れたりはあるでしょうが、
それは曲を演奏する事のせいではなく、無理してやり過ぎたからですよね。
「基礎」には、「技術的基礎」と「音楽的基礎」があります。
前者は、つまり「奏法/テクニック/身体」です。これは、そういった面を意識していけるのであれば、曲を題材に取り組んでいってよいですし、もし曲の中で意識しづらいところがあれば、単音や特定のインターバルなど、より単純な要素に題材を分解して「奏法/テクニック/身体」を意識し、やりたいことを明確化して、また曲に戻るわけです。
後者は、「音階」や「アルペジオ」といった、曲を構成する「音楽的要素」をさらうことにより、ソルフェージュや読譜力、音楽的理解力を高めるものです。この要素は単純なので、技術的基礎を意識しやすい利点もあります。
いずれにせよ、目的は曲を演奏することです。
ですから、曲に取り組む中で自らの成長を促し、実感していけるならな、それは曲を演奏するなかで基礎の両面をちゃんと認識できている証拠です。
「基礎をおろそかにするな」という話には、みっつの面があります。
ひとつは、プロ演奏家が、毎日目まぐるしく入れ替わるレパートリーに対応していくうえで、目先の譜面をさらうよりも、基礎の両面の確認と意識の継続が、テクニックそして心身の健康維持にすごく大事だと実感していて、それを意味しているとき。
ふたつめは、音楽を学ぶこどもに、「音楽的基礎」をしっかり身につけさせるための方便の一種。音楽的基礎を高める事で、年齢が上がったときに音楽に集中できるようにするためですね。ピアノやヴァイオリンではよくあることですね。ただし、曲を練習するのはよくない、というニュアンスがあると、そこは間違っています。
みっつめは、これは吹奏楽部の悪しき習慣だと思いますが、音楽をすることが軍事修練のような作業に置き換えられているということ。曲の演奏という創造的で自由な行為を抑圧するために用いられます。「楽しむ、なんてけしからん」というあの雰囲気、精神性です。ろくでもないですね。
【質問者】
なるほど、疲労に注意しておけば、どんどん曲を演奏しても大丈夫ってことですね。
ありがとうございました。
これからも頑張れそうです。
バジル先生、お久しぶりです。
以前、ドッペルと音色のことで質問をしたトロンボーンを吹いている海です。
最近、また不調な日が続いています。
また、「ドッペル」が出てしまうのです。
最近は演奏会が近いので体育館などの広い場所で練習するようになりました。
そのときに、チューニングなど一人で吹くとき、うまく吹けないのです。音が詰まって出て行かない感じで。
それで顧問の先生からは「音が小さい、響いていない」と怒られ、思い切って大きな音で吹くと、ドッペルが出て余計に怒鳴られます。それだけでなく、大きい音で吹くと、長く続きません。すぐに疲れてしまいます。
その日から吹くのが怖くなってしまいました。
どうにかしてその課題を克服したいんです。
音を響かせる方法と、ドッペルなどの不調から抜け出す方法はありますか?
こんにちは
海さんの場合、ドッペルは気持ちのパロメーターみたいですね。
海さん自身は、どうする必要があると思いますか?
わたしにはどうしても、顧問の先生が大いに問題ありと思えます。
顧問の先生の言うことを、自分に感染させない。そういう自分自身を守り励まし勇気付ける作業が必要に思えます。
返信ありがとうございます。
普段の練習では先生が教えてくれた、「もし、~じゃなかったら」ということを練習前に想像したり、
嬉しかったことや楽しかったことを思い出して吹いたり、
とにかく前向きなことを思い出して吹いています。
それでもいざ、全体で吹くと練習と全く違う音が出てしまいます。
先生が言うとおり、気にしすぎないように、つらいときは自分を励ますようにしているのですが、どうも上手くいきません。
つまり、
「合奏」
という状況になると、ひとりの練習で使えているプランが使えないわけですね。
合奏(もしくは周りにひとがいる状況)について、前と同じアプローチをやってみますか?
前と同じアプローチでやってみました。
ドッペルは出ませんでしたが、音がうまく発音できなくて、最初に違う音が入ってしまう風になってしまいました。
吹く直前はイメージして落ち着いていられるのですが、いざ吹くとなると怖くて逃げ出したいと思ってしまうときがあります。
たしかに普段の練習から音が小さいし、音の発音が上手いわけでもありませんが、練習したことがたった一度のチャンスで消えてしまうのは、悔しいです。
10日11日12日と、先生が教えてくれたことを試してみましたが、直前で気持ちがなえてしまいます……。
もう、人前で、一人で音を吹くのが本当に怖いです。
ふむふむ….
「合奏で失敗したら、それはどんな練習をしていても自分の努力は無意味だ」
とか
「合奏で失敗したら、それはすなわち自分は絶対的にダメだということだ」
みたいな想いがありそうですね。
いかがでしょう?
はい、本当にその通りです!
合奏でできなければ意味がないとか、全部無駄になるとか……。
いつもそう思います。
「合奏でできなければ、意味がない」
1:それは本当ですか?
2:本当と思っている時、自分はどんな気持ちや状態になったり、どんなことを考えたり、どんな人間関係になっていますか?
3:もしその思考がなかったとしたら、どんな感じがしますか?どんな自分がそこにいますか?どんな光景が見えてきますか?
4:逆を考える
・合奏でできてしまうと、意味が無い
→それが事実の可能性はありますか?
・合奏できできなくても、意味がある
→それが事実の可能性はありますか?
・合奏でできてもできなくても、自分は楽器を続けるし、関係なくうまくなっていく
→それが事実の可能性はありますか?
合奏でできなければ、意味がない
1:本当じゃないけど、そういわれてきました。
2:半泣き状態で楽器を吹いていて、音がぶるぶる震えて、むなしくなってイライラして人間関係がどんどん悪くなります。
3:楽な気がします。楽しそうに吹いている自分がそこにいる気がします。
合奏でできてしまうと、意味が無い
→事実ではないと思います。
合奏でできなくても意味がある
→そう思います。
合奏でできなくても、自分は楽器を続けるし、関係なくうまくなっていく
→そう思うけど、意味がないと教え込まれていたので、事実かどうか分かりません。
自分の逃げ道を作っているようで、いけない気がします。
なるほど。
断言しましょう。海さんが「教え込まれた」ことは、間違っています。
海さんは、合奏でできてもできなくても、関係なくうまくなっていきます。
この前、演奏会があって、合奏で一人で吹いたとき緊張して、唇が震えて
あまり上手く吹けなくて、怒鳴られて、演奏ぎりぎりまで泣いていたんです。
でも、本番は今までで一番上手に吹けて、先生が言ったこと本当だった!
って、少し自信がつきました!!
わ!
それはよかったですね!
やっぱり、海さん、音楽や本番にはちゃんとできるですよ。
苦手なのは、変な雰囲気と変な威圧がある合奏だけですね。
つまり、この先、ちがう雰囲気の団体に所属するようになれば、いまの悩みは無くなるだろう、ということ。
先々、どんな団やグループに自分が関わるといいか、良い予習になっていますね。
自信もっていいからね (^^)
海さん
このやりとり、また紹介してもよいでしょうか?
はい、紹介しても、大丈夫です!
ドッペルが前より減ってきて、音量も前より増えて、音色も前より柔らかい音になりました。
ただ、音がブレてしまったりすることは、まだあります。
音をぶるぶる震えないようにして、柔らかい音を、聴いている人が心地よいように響かすのがこれからの目標です。
夏にはコンクールがあるので、またお世話になると思いますが、よろしくお願いします!
海さん
ありがとうございます!
去年の夏くらいから楽器を練習している時に自分の出来なさと自分の音が周りよりもとても衰えているような思いがこみ上げてくるようになり、気がつくと楽器を吹くたびに焦りと悲しみでイライラしてしまい、
周りにも八つ当たりまでしてしまうようになってしまいました…
どうすればこのイライラからぬけだせますか?
あすかさん
それは、きちんとカウンセラーなど専門家に相談したり、
イライラとか自己否定・自己肯定に関する心理学の本などをいくつか読んで調べたりするなどしましょう。
こんなブログのコメント欄で、このブログ内の関連する記事を読んだのかどうかなども言わずに短文の質問(というよりも、解決しろ、という丸投げ)をするのはちょっと失礼に感じました。
Basi