『自分がいまできることはすべてアレクサンダーテクニークのおかげだ』

昨日は、ニューヨーク・フィルのホルン奏者アレン・スパンジャーさんと四年ぶりにお会いしました。スパンジャーさんはジュリアード音楽院を卒業後に三年かけてアレクサンダーテクニーク教師資格を取得されたのち、ニューヨーク・フィルに入団されました。

スパンジャーさんは、「アレクサンダーテクニークがなかったら自分のこのキャリアはあり得なかった。自分がいまできることはすべてアレクサンダーテクニークのおかげだ」と仰っていたのが印象的でした。

現在はオーケストラ活動とホルンの教職で忙しく、アレクサンダーテクニークのレッスンはたまにする程度とのことですが、演奏中はいつも繰り返しアレクサンダーテクニークを使っているとのことでした。

きょうは私がレッスンをしているのを見学され、「こうやってたくさんのひとがこんなに良いものを学びに来てくれるのを見れて嬉しくなるよ!」と仰って下さいました。

2015年か2016年に、日本アレクサンダーテクニーク金管合宿セミナーを構想しています。スパンジャーさんもぜひ講師として来たいとのこと。いろいろ連携して、演奏の現場でのアレクサンダーテクニークがよく学べるプログラムを実現したいです!

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『自分がいまできることはすべてアレクサンダーテクニークのおかげだ』」への15件のフィードバック

  1. はじめまして。
    高校生のトロンボーン吹きの者です。
    いつもブログ&メルマガ拝見させていただいています。

    私は1年半ほど前に、今まで経験したことの無いような不調にみまわれました。具体的には、1posのチューニングB♭でドッペル音が出てしまうというものでした。チューニングの音なので毎回合奏の時に怒られ、追い出され、直してこいと言われる毎日を過ごしてきました。自分はダメだと思い、毎日毎日苦しい思いで練習してきましたが、直る気配はありませんでした。楽器を吹く事が楽しくなくなり、もう楽器をやめようかという所まできていました。

    しかし、このブログと出会い、アレクサンダー・テクニークの様々なアイデアを試すことで、この不調から抜け出すことができました!
    今まで自分を苦しめてきたドッペル音も出なくなり、これからもトロンボーンを続けていこうという気持ちが湧いてきました。

    でも、最近また壁にぶつかりつつあります。
    それは、チューニングB♭付近の音が吹きづらく、音を出すのに時間がかかったり、吹いた時に口の周りに力が入っているような気がしたりすることです。うまくコントロールできていない感じです。
    ドッペル音が出ているわけではないのですが、またあの不調に襲われるのを恐れているのか、アンブシュアを気にしすぎる癖がついているように思います。たしかに、もしかしたらドッペル音が出るんじゃないか、と思う感覚で吹いている時もあります。そのせいで、音色などにも悪影響が出ている気がします。

    アンブシュアを気にしすぎず、口を閉じて、しっかりプレスして、息を出すというような事や、自分がやりたい音楽をイメージして吹く事、吹っ切れて自由に吹く事など、様々な方法を試しましたが、どうもうまくいかず、気持ちよく吹けません。
    もはや考えすぎ?と思うこともあるのですが、気にしないで吹いても、なかなか手ごたえのある吹き方が見つかりません。
    無意識のうちに、アンブシュアに何かをしようとする力が働いているような気もします。
    どうすれば気持ちよく吹けるのかわからなくなってしまいました。

    ただ、今までと違うのは、また自分が気持ちよく楽器が吹ける日が来るだろうという希望を持っていることです。
    前は、自分はダメだ、もうこの不調から脱却することはできないんだ、と思っていました。しかし今はそんな事はありません。

    大学に入ってもトロンボーンは続けたいし、オーケストラで吹いたり、コンチェルトを吹いたりもしてみたいです。やりたいことはたくさんあるので、絶対にこの悩みは解決したいです。

    この症状を解決する、いいアイデアはありますか?
    よろしくお願いします。

    • 達也さん

      はじめまして。

      ・はじめの不調脱出のいちばんの決めては何だったか、分かりますか?
      ・そのポイントは、意識を継続していますか?
      ・もし継続していなかったら、その意識をもういちどリフレッシュさせて明確にし、もう一度やってみてください。

      もしくは

      ・「口に入ってしまいそうな力」がどんな力なのかを観察してみましょう。場所は?方向は?タイミングは?
      ・その力の様子が見えてきたら、いちど「その力を、『入れて良し』として、あえて入れて吹いてみたらどうなるだろう?」

      を試してみてください。

      Basil

      • 返信ありがとうございます。

        「頭を動けるようにしてあげて、身体全体を動けるようにする」ということを何気なくとりいれてみた時にものすごく楽に音が出たのを覚えています。
        おそらくそれが不調脱出のきっかけだったと思います。

        でも今は、それをしようとしてもうまくいかず、身体が硬くなっているような気がします。意識は継続しようとしているのですが、上手くいっていない感じです。考えすぎなのでしょうか?

        「口に入ってしまいそうな力」の観察は、今日やって見ようと思います。

        • やはりそれが不調脱出のキーだったのですね。

          考えられるのは

          ・不調脱出のキーとなった意識をしているつもりでも、実は不調脱出時の感覚を得ようとしていて、意識をほんとうにはしていない
          ・意識をしているとしても、意識しながら吹くときの吹き方の部分のコンセプトになにか問題がある

          のどちらかですね。

          Basil

          • 「不調脱出のキーとなった意識をしているつもりでも、実は不調脱出時の感覚を得ようとしていて、意識をほんとうにはしていない」

            これに当てはまっている気がします。
            意識しようとしても、どうしても奏法を気にしたり、うまくいった時の感覚を思い出そうとしてしまう自分がいます。

            でも、曲練をしているときは、そう感じることは無いんです。
            曲を練習している時は、音楽をしようと思いながら吹いているので、あまり奏法を気にしすぎることはありません。
            しかし、基礎練習をしている時は、どうしても口周りのことが気になってしまい、ずっと「上手く吹けないなぁ」と思いながら練習しています。

            • A.ジェイコブズの言葉

              「テクニックを身に付けるには音楽を演奏することだ。音楽を演奏するためにテクニックを学ぶのではない。」

              達也さんにとって、いまの基礎練習のやり方はもう必要ない可能性が高いです。

              どんどん曲を吹きましょう。

              そのなかで、興味や関心が向いたときにだけ、ピンポイントで「基礎練習」をすればよいのです!

  2. こんにちは。
    わたしは高校生でトロンボーンを吹いています。
    最近中音域でドッペルするようになってしまっていろいろ吹き方を研究していて少しだけしたあごをだすようにするとドッペルしなくなることにきがつきました。
    たぶん上下の唇のバランスがわるかったのかな、とおもいますが今度は少しだけしたあごをだすようにすると高音域があたりにくくなってしまいました。
    高音域にあがるときのアンブシュア(というよりあご?)のきりかえがうまくできません。
    なにかアドバイスいただけますか?

    • ドッペルになる音や高音を出す前に

      ・スライドのポジション
      ・マウスピースが口にしっかりくっついていること
      ・口をしっかり閉じること

      を確保してから吹いてみるとどうなりますか?

  3. 「テクニックを身に付けるには音楽を演奏することだ。音楽を演奏するためにテクニックを学ぶのではない。」

    この言葉に、納得したところはあります。
    たしかに、今の私にとって、自分に合っていない基礎練習をやるよりも、音楽をすることで自分を磨いていくことの方が重要だと思います。

    ところで、私は曲練習をしすぎることで、基礎がおろそかになるとしつこいくらいに教えられてきたのですが、実際はどうなのでしょうか?

    曲練習をやりすぎることの弊害はありますか?

    • 達也さん

      曲を演奏することによる「弊害」なんて、ありえません。

      技術的・体力的な限界を越え過ぎているのに無理に曲を吹通そうとすれば疲れが残ったり奏法が一時的に崩れたりはあるでしょうが、
      それは曲を演奏する事のせいではなく、無理してやり過ぎたからですよね。

      「基礎」には、「技術的基礎」「音楽的基礎」があります。

      前者は、つまり「奏法/テクニック/身体」です。これは、そういった面を意識していけるのであれば、曲を題材に取り組んでいってよいですし、もし曲の中で意識しづらいところがあれば、単音や特定のインターバルなど、より単純な要素に題材を分解して「奏法/テクニック/身体」を意識し、やりたいことを明確化して、また曲に戻るわけです。

      後者は、「音階」や「アルペジオ」といった、曲を構成する「音楽的要素」をさらうことにより、ソルフェージュや読譜力、音楽的理解力を高めるものです。この要素は単純なので、技術的基礎を意識しやすい利点もあります。

      いずれにせよ、目的は曲を演奏することです。

      ですから、曲に取り組む中で自らの成長を促し、実感していけるならな、それは曲を演奏するなかで基礎の両面をちゃんと認識できている証拠です。

      「基礎をおろそかにするな」という話には、みっつの面があります。

      ひとつは、プロ演奏家が、毎日目まぐるしく入れ替わるレパートリーに対応していくうえで、目先の譜面をさらうよりも、基礎の両面の確認と意識の継続が、テクニックそして心身の健康維持にすごく大事だと実感していて、それを意味しているとき。

      ふたつめは、音楽を学ぶこどもに、「音楽的基礎」をしっかり身につけさせるための方便の一種。音楽的基礎を高める事で、年齢が上がったときに音楽に集中できるようにするためですね。ピアノやヴァイオリンではよくあることですね。ただし、曲を練習するのはよくない、というニュアンスがあると、そこは間違っています。

      みっつめは、これは吹奏楽部の悪しき習慣だと思いますが、音楽をすることが軍事修練のような作業に置き換えられているということ。曲の演奏という創造的で自由な行為を抑圧するために用いられます。「楽しむ、なんてけしからん」というあの雰囲気、精神性です。ろくでもないですね。

  4. なるほど、疲労に注意しておけば、どんどん曲を演奏しても大丈夫ってことですね。

    ありがとうございました。
    これからも頑張れそうです。

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