ライター広尾晃さんの記述
“野球は「礼に始まり、礼に終わるスポーツ」な、わけではない”
http://baseballstats2011.jp/archives/61789229.html
これこそ道理だと思う!
本文より①
『例えばグラウンド入りするときに一礼しなかったからと言って、あるいは試合の後にきちんと一礼しなかったからと言って「間違っている」という輩は、勝手に野球の「家元」を僭称してふんぞり返っている心得違いだと言えるだろう。』
本文より②
『野球の本質的な部分はこの手の「礼儀作法」ではなく、チームメイト、相手選手、審判、競技そのものを「リスペクト」するスポーツマンシップなのだ。
そしてスポーツマンシップの表現の仕方には「いろいろあっていい」のだと思う。』
以前、師匠に言われた辛辣な一言ハッシュタグが流行った時に、それら言葉の是非を問わずに、そういう言葉によって傷ついたり潰れた人は弱い人だと断ずる論もあったが、
人を傷つける言葉を吐く・人が自分の言葉によって潰れることについて、その倫理的・道徳的な問題を一切考えようとしない姿勢は、果たして人としてどうなのか、とやはり思う。
世の中そんなもんだから、と麻痺してしまうのはなかなか責められたものではないが、こういったことは問題があり良くないことなのは間違いない。
30年前にいろんなセクハラがコミュニケーションの名のもとに擁護されてしまっていたり、中学高校などの部活における しごきや大学の危険極まりない・そしてあらゆるリスペクトに欠ける新入生歓迎会での乱行が伝統などという言葉のもとに保護されてしまっていたのと同じようなものだと思う。人間をリスペクトする感覚の欠如だ。
それは人としてダメだと思う。
猛省を促したい。
Basil Kritzer