いま経験していることそのもの/ラベル

きょう練習していて感じたことがありました。

「練習」という言葉に自分はいろんな固定観念や、ほとんど無意識的にプレッシャーをかけてるな・・・。

あまりはっきりと言葉にできませんが、
これまでホルンを学んできた経緯と環境の中で、

「練習」=
・できないことをできるようにするもの
・外さないように、まちがえないように
・悪く思われないようにするための準備
・しんどいことを、我慢する

そんなむすびつきを培ってきている。

このブログでずーっと書いてきているように、意識的に意図していることはそれとは全く逆なんですけれど(それが客観的かつ合理的に考え、かつ観察と経験をフィードバックさせてきて得たものだから)、 それでも、古い習慣的な反応をし続けている部分がどこかにある。

その古い習慣的な反応、不合理で非建設的で恐怖に緊張しているような思考。
それがほとんど意識されない領域にずーっとあって、「練習」しようとすると必ず顔を出しているのに、今はふと気が付きました。

「練習」というラベルが、そういった思考と結びついている。

それなら、ちょっとラベルから離れてみて、
「今やっている事それ自体に意識を向けてみよう」と思ってみました。

吹いているときの、呼吸の感じ。マウスピースの接触感。唇の上で動き回るリムの感触。
楽器の温度。部屋の中で鳴っている音の感じ。ベルの向きが変わると、反響の聴こえ方や方向性が変化するなあ。あ、窓の外におばさんがいるなあ。ああ、自分は座っているなあ。

ただそうやって、そのとき経験しているものに意識を向けていきました。

そうすると、「練習」に伴う「しんどさ」は、気が付いてみると普段より随分少なかったです。

「しんどい」思考を自分自身が習慣的に反応としてしていることに気が付いた。
そして、
かわりに「いま・ここ」それ自体に意図的に意識を向けてみた。

この二つがセットになったことで、きょう以降なにか変わりそうな気がしています。

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