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音楽を中心にして起業をし、あるいは起業家的精神でキャリアを形成している人物たちにインタビューで迫るのが、元ボストンブラスのチューバ奏者、アンドリュー・ヒッツ氏が運営するポッドキャスト『The Entrepreneural Musician』。
クラシックからポップス、即興など多様な分野の音楽を演奏し世界的人気を博する弦楽器トリオ“TIME FOR THREE” のコントラバス奏者、ラナーン・マイヤー氏へのインタビューの続きです。前回はこちら
【停電がもたらした大チャンス】
Andrew
『君は、”Education We All Deserve” という慈善基金を設立しているね。それについて少し話してくれるかい?』
Ranaan
『この団体のミッションは、世界中で教育を少額または無料で届けるというもの。
現在は、ぼく自身の専門が音楽だから音楽教育が中心的かな。
具体的にはいまは二つ主だった活動をしている。
ひとつは、「Wabass合宿」。アメリカ全土で3箇所運営している。そのうち二つは全額奨学金。Wabass集中講座とWabassインスティチュートというのがあって、後者はもう8年目(✳︎2015年現在✳︎)に入っていて、エリック・ラーソンとハラルド・ロビンソンという素晴らしいコントラバス教師から学べる。ぼくも講師として携わる。
もうひとつが、「The World That We All Deserve Through Music」というプロジェクトで、ここでは主に作曲を行う。現代生まれてくる音楽と、時の流れの中で残り続けてきた音楽の橋渡しを行うものなんだ。全米のアンサンブルのために行っている。1年半前には10の学校を対象にプログラムを運営して、ヒップホップやR&Bの要素を混ぜたまったくの新曲を書いた。それを演奏するためのレッスンや合宿も合わせて行う。子供時代に楽器を演奏していたことがあっても大人になったら10~15%しか続けていないという現状を変えて、その割合を上げられるだけ上げていくための活動なんだ。とにかく楽しい体験になるようにしている』
Andrew
『その活動の写真を時々見るけれど、きみってばバカみたいに笑っている写真ばっかりで、子供たちより楽しんでいるよね(笑)。それはもちろん冗談で、本当に素敵なことだ。
ぼく自身も「モッキンバード基金」をやっていて、恵まれない層のひとたちのための音楽教育のための給付金を支給するものなんだ。いちばんやり甲斐を感じる活動でもある。
ぼくもきみも、家族や環境に恵まれてそういうは苦労しなかったから、与えられてきたものをもう一度配っていけるのは喜ばしいことだね』
Ranaan
『きみの両親は、教育者だったよね、たしか』
Andrew
『母は正式に教員免許を持っていたわけではなかったけれど、幼稚園の補助員をやっていたんだよ。25年やっていたね。ぼくの姉は教員で、妻は中学校バンドのディレクターをやっている。
きみの父は校長先生だったよね?』
Ranaan
『そう、それに母は音楽指導者だった。だから、ひとに「どうして音楽をするようになったの」と聞かれると、「音楽が当たり前の家だったから」というのが本当のところなんだよ。
でも、そういう音楽家の家や恵まれた家に生まれるのがキャリアを成功に導く唯一の方法ではないということは、みんなに分かってほしいんだ。まったく音楽家系でない家に生まれて、自分が音楽家としては第一世代の、優れた大成功しているひとたちはたくさんいる。自分らしい自分になるべく自己実現の道を歩むなかで音楽家として成功しているひとたちだと思うんだ。
ぼくの場合はたしかに、いわば飲む水の含有物が音楽で、吸う空気の成分がリズムだった。だから恩返ししたい。
ぼくのやっている基金は、音楽指導者やぼくの一族で成り立っている。音楽を、苦境に立たされているアメリカの音楽教育に提供するための基金なんだ。
音楽が好きだったり才能だったりする子供たちはたくさんいる。そんなとき、そういった長所にフォーカスすることは、ときには短所を克服するより大きな力になると思うんだ。』
Andrew
『君のお母さんは素晴らしいピアニストで、時々共演しているよね。お母さんと一緒に演奏するのはどんな体験だい?』
Ranaan
『ぼくの母は、ぼくにとっての最大の音楽の先生だ。ぼくが音楽をやり始めた一番最初から付き添ってくれた。
コントラバスを演奏するときに伴奏もしてくれて、ときにはぼくが練習中にひょっこり入ってきて、「こういうふうに弾いてみるのはどう?」とアイデアを奏でて見せてくれることもあった。
それが実は全部レッスンになっていたとは、当時は気づかなかったくらい自然だった』
Andrew
『レッスンだと思わせないレッスンができるのが、優れた指導者の証だね』
Ranaan
『いまでも時々伴奏してくれて人前で演奏することもある。11歳でコントラバスを始めてからしょっちゅう伴奏してくれたし、それ以前に歌を学んでいたときも伴奏してくれた。だから30年ぐらい、共演を続けているんだよね。母は凄い音楽家だし、そうやって親族と音楽体験ができるのは特別な体験なんだ』
Andrew
『ぼくは君の両親をどちらも知っているけれど、君の両親と話をすると、音楽について、あるいは教育について、それも音楽教育だけでなく教育全般についての話題になると二人とも驚くほど情熱を傾けているテーマであることをすぐ気付かされる。そういった性質は、君に受け継がれているね。
このポッドキャストで呼びたいなと思うひとたちはみんな、自分のやっていることへの情熱が凄いんだ。君もそう。情熱があると、それをやりきる、あるいは必要な外注もちゃんとやって前に進めるためのエネルギーがちゃんとそこにはあるんだ。やりきることが難しいんじゃなく、やりきるエネルギーを持っているような対象を見つけることが難しいんだ。TIME FOR THREEに関していえば、通常のビジネスの逆回しで、ほんとうに好きでやっていただけのことがたまたま一度仕事になって、そしたらとてもウケがよくて二回目、三回目と依頼が続くようになって….好きでやっていることがこうやって仕事になるんだったら、よしやってやろうという形だったわけだ。だから、依頼を受けてもやる気を誰かに注入される必要なんかなくて、当然やるんだよね。
そういう性質が、起業家にはとても大事だ。』
Ranaan
『ぼくたちのキャリアの始まりのエピソードは注意して聞かないと、「なんだ、随分幸運だっただけじゃないか」で終わる話なんだ(笑)
でも忘れないで欲しいの、ニック、ザックそしてぼくはいったんやる気になったら、そのときやっていることに本当に集中してなんでもやるんだ。
ぼくらはそれぞれ14歳や15歳のときに、転機があった。ニックとザックはコンクールで受賞したこと、ぼくはジャズに触れたこと。それがその後、室内楽やオーケストラ音楽、ワールドミュージックやファンク、ブルーグラスなどを演奏することに開花していったんだ。ハートと魂を本気で込めていけるものを持っていたこと。そんなぼくたちがジャムセッションをしているのを学校の関係者が聴いたのが最初のチャンスに結びついた。
そういった過程と旅路が事の本質なんだ。
チャンスが巡ってこないと感じることがあるとすれば、それは「無視」してしまっているときだと思う。情熱を捧げられる何事かを無視してしまっているとき、いまいる分野から学べることを無視しまっているとき。例えばクラシック音楽を勉強していたが、バンドでコントラバスを演奏する機会を得られたんだけれども他分野から学ぶことをしていなかったから引き受けられないでいる、とかね。
他分野や異分野のことで、知らないことやまだできないことがあってもそれはネガティブになることじゃなくて、興味があるならちょっと調べてみようやってみよう、と。本格的に追及するかどうかの決断はその後でもいいんだから。』
Andrew
『機会というものは、突然ドアをノックしてくる。だからその突然のときに準備が整っていなきゃいけないんだ。
その話を聞いて思い出したのが、フィラデルフィア管弦楽団のコンサートの前に停電が起きてそれできみたちが演奏することになったかなにか、そういう話があったよね?』
Ranaan
『そうそう、「バーンスタイン現象」ね。ぼくらが勝手にそう呼んでいるんだけれど、レナード・バーンスタインは急病の指揮者に代わりにニューヨークフィルを指揮してそれがきっかけであのキャリアを築いていったんだ。
TIME FOR THREEにとってのバーンスタイン現象は、ベートーベン交響曲第9番のコンサート会場で停電になってしまって、照明も何も使えないから、シンフォニーを聴きにきた5千人の聴衆にぼくらが急遽演奏を提供することになったときのこと。会場にいた音楽家のなかで、楽曲を暗譜していたのがぼくとザックだけだったから、会場となっていたミュージックセンターの所長がとても親しいひとで彼にぼくらが演奏できるよと提案したんだ。それを喜んでくれて、会場の舞台に出て聴衆に、「静粛にしていただければ、二人だけいま演奏してくれる寛大な音楽家がいます」と切り出してくれたんだ。
そのときのことが国際的な大ニュースになって話題になって、ぼくらのことが知られるひとつのきっかけになったんだ。
実はこの前日に、きみもファンのバンド「フィッシュ」のコンサートに行っていて、観客が何千人も集まっていた。最高だったんだけれど、ちょうど「いつかこういう規模の観客の前で演奏できるといいな」と思っていたところだったんだ。そしたら、次の日にこんなことが起きて実際に5千人の前で二人っきりで演奏することになるなんて!』
Andrew
『すごい話だ!』
Ranaan
『しかも、その晩には初めての姪が生まれた。
しかもしかもフィッシュのショーに向かう途中では交通事故が起きていて雨のなかバッテリーのあがった車があってね。他の通行車は誰も助けようとしていなかったからぼくが手伝うことにしたんだ。たまたまぼくの車には医学生が二人同乗していて、救急車が来るまで応急処置をすることができたんだ。
フィッシュのコンサート会場で会った知り合いにこの話をしたら、信じてもらえなくてヤクをやってると思われてしまったね(笑)』
Andrew
『クレイジーな夜だね!機会というのは突然巡ってくる。ちょうど先日も、フィラデルに住んでいる歌手が、ニューヨークのメトロポリタンオペラから午後の1時過ぎに電話がかかってきて、すぐに電車に乗ってニューヨークシティーに向かい、午後4時に到着して衣装合わせをして、衣装合わせをしながら舞台演出家と打ち合わせをし、殺陣もこなして午後7時半にはメトロポリタンオペラで主役を演じてスタンディングオベーションを受けている、なんていう実話が新聞に載っいたよ。
この業界って、そういうふうにできているんだよね。ぼくのボストンブラスとの馴れ初めもそうだった。ぼくの前のチューバ奏者が突然すごく体調を崩して、その夜9時くらいに急遽電話がかかってきて、翌朝5時にはコロラドに向かう飛行機にチェックインしていたよ。1200人のバンドディレクターたちの前で演奏する仕事だったんだ。電話はいつかかってくるか、機会はいつ巡ってくるか、本当にいつでも有り得るんだ。
きみも小さいころからソロをやったりお母さんと共演したり、ジャズもやったりして、いろんな経験を積んでいた。だからなんの前触れもなく突然停電があって、急遽バイオリンと二人っきりで照明もない状況で演奏してくれと頼まれても引き受けることができたわけだ。いつもやってきたような演奏形態だったからね。それがたまたま大観衆の前で演奏できて、話題になって、いまでは300人のスタッフ体制になっている!』
Ranaan
『包み隠さず言うとね、停電になったときに、この展開を想像し始めたんだ。誰かに演奏してくれと頼まれるぞ、とね。
一生懸命努力して、精一杯頭を使って、そして目一杯夢を見るのが大事だと思うんだ。
不可能なことを夢みよう。有りえないことでも、イメージしよう。
なぜなら、それをありありとイメージできるなら、あとはその機会が巡ってくるのを待つだけかもしれないんだ。』
Andrew
『きみと話をすると、疲れていてもたった5分ですごく元気になるよ!リスナーも同意してくれるだろう。業界のなかで、駆け出しから一生懸命頑張っていた連中に大きな成功が訪れるのを見るのはいつも素敵なことだ。きみたちがまさにそうだ。
忙しいにもかかわらず、時間をとってくれてありがとう。きみと話ができて光栄だったよ!』
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了
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