「禁則」は必要か?

演奏、なかでもその身体的な面(姿勢、呼吸、手や指のフォーム、アンブシュアetc)に関して言われたり見聞きしたりする「禁則」の驚くほど多くがほんとはやって大丈夫なこと、やっても構わないこと、やった方がいいこと、やる必要があることのいずれかに当てはまる。

「禁則」の多くはもともとはそれなりの意味や理由があったのだろうけれど、それはある時代や状況や関係する特定の人間のコンテクストにおけるもので、常識や論理を少し活用すれば到底一般化できないものが多い。

実際には、そのやってはいけないと思っている「禁則」を頑なに守るからつまづいていることがとても多い。「禁則」自体がまさにそのとき必要とされている。

演奏に必要なのは、言われた奏法ルールを守ることではなく、やりたい演奏を実現することにつながるあらゆるオプションを「アリ」にすること。

あえて「オプション」に条件を設けるとすれば、それは合法的で倫理的で他者も自分も健康を害しないものであること。奏法という点で実質注意が必要なのは健康に関することだけ。

猫背じゃいけない?

なぜ?誰が決めたの?

背骨はカーブしているものなのに無理やり伸ばして身体が緊張しては意味がないのでは?

猫背じゃいけない?

なぜ?誰が決めたの?

背骨はカーブしているものなのに無理やり伸ばして身体が緊張しては意味がないのでは?

音域によってアンブシュアが変わってはいけない?

なぜ?誰が決めたの?

唇の状態は演奏している音程や音量に沿って刻一刻と変わりつづけるのに、アンブシュアが動いたり変わったりせずに演奏するなんて物理的に不可能。

息を吸うときに肩が上がってはいけない?

なぜ?誰が決めたの?

息を吸うとき、胸郭が拡がって上がりもする。そのとき腕や肩に動きが生じないはずがない。

必要なのは、やりたい演奏を実現するためにはなんでもアリにしてあらゆるオプションや現象をOKにすること。

すべてなんでも試していくなかで、必要なことが見つかってくる。そして必要なことをやればよい。そこに「禁則」は存在しない。

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「禁則」は必要か?」への4件のフィードバック

  1. 本日受講させていただいた和氣です。今日はどうもありがとうございました。他の皆さんのレッスンから得たものも含め、両手に抱えきれないほどのヒントを持ち帰りました。帰宅後ひとつひとつ確認しています。解決策を見いだすために別のアプローチを取ってみるということの重要性が身にしみてわかりました。

    ちなみに、試しに眼鏡をかけて今日のレッスンと同じことをやってみたのですが、やはり?うまくいきませんでした。体の自由度が大きく下がります。そもそも今年に入ってコンタクトに変えたのは、眼鏡が楽器演奏に対して大きな制約になっているような気がしたからなのですが、その直感は当たっていたようです。というよりも想像以上に影響を与えていたのだなあと思いました。

    それと、最後にいただいた、音域の壁を越える際の口の動きに関するヒントですが(あの場では種明かしは耳を塞いでいましたが)、あれも鏡を見ながらやってみて、なるほどと思いました。要するに、引く力とすぼめる力の均衡、ということなのですね。すぼめる方向の力を意識しても、ちゃんと引く方向にも力が加わって、バランスが取れている。今まで、自分でも引く力のほうにより強く依存しているという自覚はあって、実際高い方の音域では右側の頬が上がるというか、顔の右半分全体を使ってテンションを作っていた(たぶんこのアクションが大きすぎるために「モード切替」に時間がかかって段差を乗り越えるのに失敗する率が上がっていたのだろうと想像します)のですが、すぼめる力を意識することによって、頬の力のサポートがほとんど不要になりました。実は、頬が上がって目尻が下がるのが泣き顔みたいに見えて、自分でもちょっと恥ずかしいと思っていたのです(笑)。

    そして実は一番重要だったと思うのが、「明日の練習を楽しくするために」ということです。今まで受けた(数少ないのですが)レッスンでは、こういうことを考えさせてくれることはありませんでした。その点でも非常に感謝しています。これからまた当分の間、向上することを楽しみに楽器が続けられそうです。本当にどうもありがとうございました。

    • 和氣さま

      先週は、スタジオまで足をお運び頂き、ありがとうございました。

      引く力は、「やりたいことをやる際に、それができるようバランスや安定を図る力」のようなものだといまは考えています。

      そしてこれは、あまり自分でやろうとしてもうまくいかない領域のものだと思います。

      ちょうど、どんな動きや体勢でも立っていられるよう、姿勢維持の筋肉がいつの間にか機能しているように。

      引く力は、無効化しようとさえしていなければ、ちゃんと働いてくれるのだと思います。

      そしてすぼめる力は正確に言えば上下の唇を閉じ合わせる力ですね。

      これは発音の物理的必要条件であり、しかも音を任意に変化させることに直接的に関与しています。

      これこそが、金管奏者としては磨き高めていきたい直接的な技術なのです。

      またぜひ、お会いできれば、と思います。

      Basil Kritzer

      PS.こちらのコメント、ブログで紹介させて頂いてもよいでしょうか?

  2. バジル先生

    これまで疑問に思ってきたことに対する明確な(単なる直感的な言葉でない、論理的な)説明があって、それが直ちに音の変化に結びつき、しかもそれが自分自身の感覚と矛盾しない形でフィードバックされ、その経験が蓄積されていく。ごくわずかの時間のうちにこれだけのことが自分に起こるとは思いもよりませんでした。いま、毎日の練習が楽しくて仕方ありません。今日も楽しかったなあ、という気分で練習を終われるのが非常にうれしいです。これを一過性のものにはしたくないので、継続してレッスンを受けることにしました。今後もお世話になります。どうぞよろしくお願いいたします。

    最初のコメントは、今ひとつ言葉を尽くせていない部分もありますが、あのようなものでよければどうぞお使いください。

    • 和氣さま

      ご快諾ありがとうございます!

      レッスンでお会いするのを楽しみにしております (^^)

      Basil Kritzer

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