身体を害悪視しない

注意:この記事は、自己否定感の強い方や、生徒を潰したくない先生の方々に適した内容になっています。どういった背景から書いているかは、こちらのシリーズをご覧になって頂ければ分かりますので、疑問や反感を感じられた場合はこちらもお読み頂いたうえで本日の記事をご判断頂ければ幸いです。

【「問題=悪」ではない】

わたしたちは、演奏において何かが思い通りにいかないとき、その思い通りにいかない部分を短絡的に責めがちです。

指が回らないのは、指が悪いからだ
指が回らないのは、指が弱いからだ

音が外れるのは、アンブシュアが間違っているからだ
高い音が出ないのは、アンブシュアを鍛え足りないからだ

息がもたないのは、吸い方が悪いからだ
息がもたないのは、呼吸法のトレーニングが不足しているからだ

肩が凝るのは、姿勢が悪いからだ
肩が凝るのは、無駄な動きをやりすぎているからだ

うまくいかないことやミス、失敗の「原因」を急いで断定しようとし、そのスケープゴートにされた「場所」を変えよう、鍛えようと頑張ります。

しかし、多くの場合この努力は徒労に終わっていませんか?

うまくいかない
思い通りにいかない
ミスが起きる

そういったことを「悪い事」と思い込んでいるところに端を発しています。

しかし、例えば指がうまく回らないのは本当に「指が悪い」のでしょうか?

【必然的に起きている】

まず、手を前に出してみてください。

そして、指を少し速めにしばらく動かしてみてください。

おそらくとくに違和感なくいつも通り動いていると思います。

さて、ここで肩甲骨を後ろに引いてみてください。

そして、さきほどと同じように指を動かしてみてください。

・指の動きは、どうなっていますか?
・おそらく、指の動きが鈍くなっているはずです。
・スピードが落ちているかもしれません。
・さきほどは曲がっていた指の先の方の関節が、曲がらず突っ張っているかもしれません。
・指が重く感じられるかもしれません。
・さきほどど同じくらいのスピートで動かそうとすると、もっと力が必要になっています。

この簡単な事例から分かるのは

「指が思い通りに回らないのは、『指が悪いから』とは限らない」

ということです。

肩甲骨を後ろに引くことも、別に『悪い』ことではありません。

しかし、肩甲骨を後ろに引っ張ると、指は速く動き回るよりは、突っ張って固定されるような状態になります(重いものを持つときなどには必要です)。

身体がそういう仕組みになっているのです。

したがって、肩甲骨を後ろに引いたときに指が動かしにくくなることは、至って『正しい』ことなのです。

姿勢をよくしようとすると、たいてい肩甲骨を後ろに引きます。そうすると、指が回りづらくなります。ということは、よかれと思ってやっていることが「指が思い通りに動かない」という状況を必然として引き起こしているのです。

『指が悪い』のではないのです。

こういったことが、いつも起きています。

思い通りにいかない、うまくいかない、ミスが起きている。そういう「結果」になっているとわたしたちはその結果に「近い場所」を悪役にします。そしてその悪役を『退治』しようとしています。

自分による、自分自身への、いささか暴力的な接し方です。

【よく起きがちなことリスト】

呼吸

◎息が十分に吸えない

→ 実際には入らないのに、お腹に息を入れようとした結果、腹筋=吐く筋肉を働かせてしまい、吸うことと打ち消し合ってしまっている

→ 胸を開かねばならないと思って、実は背中を反る。背中を反る筋肉の多くは、肋骨の可動性を制限するため、思ったほど息が吸えなくなっている

→たくさん吸わなきゃいけないと自分にプレッシャーをかけ、「息が足りない」ことを怖れるあまり、息がたくさん吸えている「証拠」が欲しくなる。その結果、息を吸うときに口や喉で音を立てる。しかし実はこれは空気が口や喉との摩擦で生まれる雑音であり、摩擦を作るために実は息の通り道を狭めている。

◎息がもたない

→ 息の吸い方が足りないのだと信じ込んで、もっと吸おう、もっと吸おうとばかり頑張っている結果、息を長時間かけて吐くコントロールに目が向かない。そのため、どれだけ吸っても一気に全部吐き切ってしまうような吐き方をしているが、それが変えられるとは思っていないため、ひたすらもっと吸おうとばかりしてしまう。

→ 息をもっと吸おうとして、胸が開く感じを感じようとした結果、反り腰のようなことをしている。これはたしかに吸いやすいが、腹筋が伸ばされてしまうため、息を吐くときにお腹が使えにくい。そのため、胸や腕の力で息を吐きにかかるが、この吐き方は息が急速に出て行ってしまうため、長くもたない。

→ 吹奏楽部の文化によくあることだが、「大きい音はより大きく」「小さい音はより小さく」「速いフレーズはもっと速く」「長い音はもっと長く」というように、「もっと、もっと」と考えている。そのため、実は音楽的・個人の体格的に十分大きい音が出せているにも関わらず、「もっと大きく」を目指さなければいけない・それこそが上達の唯一の方法とどこかで思っているため、必要がない/不可能なくらい大きい音を出そうと頑張り過ぎている。これでは当然息は長くもたない。

フィンガリング

◎指が速く回らない

→ ・姿勢をよくしようとしているせいで、肩甲骨を後ろに引いている。先述の通り、これは指を可動モードから安定・固定モードに切り替えるので、フィンガリングにはマイナスに働く。

→ 指は速く回らないのは「指の筋肉が弱いからだ」と思っているので、指や指先を鍛えようとして、そこに力を込める。しかし、力を込め続けても、指は楽器(キー/レバー)によって押し返されているのでそれ以上動けない。結果的には、指はどんどん力み、疲れ、動きにくくなってくる

→ 指を速く回さなければいけないと思うあまり、「指が速く動いている実感」を作り出そうとする。そのひとつの方法として、指を、楽器のキーやレバーを押したりトーンホールを塞ぐのとは逆方向の動き(指を離す動き)を必要以上にたくさんしてしまう。視覚的・身体感覚的には確かに速く動いている気にはなるが、キー/レバーを動かす・トーンホールを塞ぐという「必要なこと」とは逆のことをやっているので、指は思い描いているフレーズの速度に合わせて動いてくれない。

◎フィンガリングのミスを繰り返してしまう

→ フィンガリングに苦手意識を持ち始めると、わたしたちは「指」に着目しはじめます。指が回らない、指が思い通りにいかない、指がずれてしまう etc… そこでわたしたちは「ミスしないようにする」ために「指の感覚を覚えよう」とします。しかし、これはあまりうまく行きません。感覚は動きの事後報告としてやってくるものであり、感覚を覚えても、その感覚をもたらした動きを再現しない限り、うまくいったフィンガリングを再現できないのです。ではそもそも、フィンガリングはどうやって身につけているのでしょうか?

ごく簡単でゆっくりな音階などでも、「

1:この音を出そう
2:その音をだすためには、このキー(レバー/トーンホール)を押す or 離す
3:やってみよう
4:音が出た

というプロセスと経験のなかで身につけているのです。

つまり、フィンガリングは「この音を出そう」という『意図』に結ぶ付けて覚えているのです。

したがって、フィンガリングの感覚にフォーカスしても、なかなか思い通りにいかないのは無理もありません。そもそも感覚を通して覚えたのではなく、ある音を出そうとする『意図』をきっかけに覚えたものですから、フィンガリングをスムーズにする最初の一歩は「この音を出そう」という『意図』の再確認と明確化が役立つ可能性が高いのです。

つまり、フィンガリングのミスを「指」や「練習不足」のせいにして指の感覚を覚え込もうとすることが状況を困難なものしています。

実験:

①フィンガリングのミスが相次ぐフレーズをサンプルに用意します。
②いつものように吹いてみます。

→ どうでしたか?
→ おそらく、ミスをしたときやしそうになったとき、ミスの直前または直後に「指」に意識が向いていませんか?

③心の耳で、ゆっくりはっきり、そのフレーズを歌います。
④一音一音、「心の耳で音を歌う→その音用のフィンガリングをする」というプロセスを行います。
⑤その時点で、指は迷い無く動きますか?

→ もし動かないなら、「心の耳で音を歌う→その音用のフィンガリングをする」を何度か練習します。

⑥全ての音とを心の耳で歌えて、一音ごとのフィンガリングを確認したら、インテンポで吹きます。

→ おそらく、さっきよりミスが減ります。
→ おそらく、身体も楽になっています。
→ それでもミスしたときは、おそらく意識が「音」から離れて指に行っています。

そう、フィンガリングは、ごくごく基礎的な練習(楽器を始めて3〜4年程度までの間で行っている)の積み重ねを通して基本的にはすでに獲得されているはずです。したがって、速いフレーズでも、「自分が指を全部正しくコントロールする」というよりは、「結果として起きる」ような側面が大きいのです。

*ただし、速くなると能動的に指をキーから離すなどして、音の切り替えを自分が能動的にアシストする必要がある場合があります。そのときは、そのアシストは「自分でやっている」感じとして体験されます。

姿勢

◎ 自分の「姿勢の悪さ」が気になる

わたしは2013年10月現在、およそ2年間アレクサンダーテクニーク教師として数百人の管楽器プレイヤーの方々とレッスンでお会いしてきました。その多くが、『自分の姿勢が悪い』と気にしていました。そして、『姿勢が悪いせいでうまくいかない』と思っているところがありました。

しかし、「悪い」の根拠を伺うと

「先生に猫背だと注意された」
「首が前に出過ぎていると友達に言われた」
「姿勢に無理があるから姿勢を直しなさいと整体師に言われた」

というような話が出てくることが非常に多かったのです。つまり、「誰かから言われた」ということが自分の姿勢が「悪い」と思い始めたきっかけなのです。

あなたは、楽器を演奏したことがなくさほど音楽を真剣に聴いてきているのでもない人に、音色の批評をされたとしたら、それを全部鵜呑みにして思い悩みますか?たぶんそんなことないでしょう。

しかし、医者でも解剖学者でもないひとに言われた『姿勢が悪い』という言葉は、そのまま信じてしまっているのです。よくよく考えてみると、おかしな話ですね。

そもそも「良い姿勢」って何なのでしょうか?

・壁にピッタリつくような、一直線な背中と頭?

→ ほとんどのひとは、背中の延長線上に頭はありません。もともとの骨格と肉付きがそういうものなのです。

・背骨をまっすぐにした姿勢?

→ 背骨は、頸椎、胸椎、腰椎、仙骨、尾骨と5カ所がカーブしています。カーブしているからこそ、うまく直立していられるのです。それを「まっすぐでなければいけない」とするのは、実におかしな話です。

・肩甲骨を後ろに引いて、胸を開く?

→ 肩甲骨は、腕構造の一部です。その腕の付け根は、鎖骨と胸骨の関節にあります。つまり、身体の前側です。腕は、身体の前側にあるものなのです。それを後ろに引っ張るのは、僧帽筋など背中側の筋肉を何らかの理由でわざわざ鍛えたい場合を除いて、不自然です。胸が開いたのでなく、腕を後ろに引っ張っただけであり、呼吸にはむしろマイナスです。

こうやって冷静に考えていくと、わたしたちは何が良い姿勢なのかをきちんと考えることもなく、「あなたの姿勢は悪い!」という指摘から感じる漠然とした恐怖に呑まれ、

姿勢を良くしようとする努力こそが様々な力みや問題を生んでいる

ということに気付かないまま迷宮から出られなくなってしまいがちなのです。

やはり背景には 自分の身体を害悪視 する思考が見え隠れします。

◎姿勢が保てない

これもまた、姿勢というものを深く冷静に考えたことがないから起きる問題です。

そもそも、姿勢は本当に保てるものなのでしょうか?

姿勢が保てない、姿勢が崩れてしまう、と悩んでいるひとほど、

・演奏中は動いてはいけない
・「崩れた状態」と思っている姿勢は、悪いものだ

と信じています。

しかし、身体は常に動いています

たとえ立奏時は足の裏が、座奏時はイスの座面との接触が同じように保たれていたとしても、呼吸をしているという時点で胴体全体、そして骨盤の中も動いています。

それに、名手たちの演奏を Youtube で眺めてみてください。みんな、ものすごくよく動いています。

たくさん動き回っているそのひとの演奏の様子を見ていて、わたしたちは「姿勢が良いな」という印象を持ちます。

それならば、なぜ「動く」ところを真似しようとしないのでしょう?

そして印象として受け取ったに過ぎない「姿勢」という抽象的なものを、「動かずに保とう」とするのでしょう?

姿勢が保てないと悩んでいるならば、脱却の第一歩は、保とうとしないことです。身体の動きたがるように、動いてあげましょう。そしてどんどん姿勢を崩してみましょう。

よく観察していると、

「身体が動こうとする方向」に対し、「それと反対方向に引っ張って矯正しようとする自分」がいることに気付くかもしれません。

この「矯正=強制」をしがちな自分こそが、姿勢の悩みの原因の多くを占めます。

ちょっとした実験をしてみましょう。

① 「良い姿勢」を作って、吹いてみる。5分程度、パラパラと。

→ おそらく、身体が疲れてきます。
→ 楽器が重く感じませんか?

② 「思う存分、ダラッとして」、吹いてみる。やはり5分ほど、パラパラと。

→ さきほどより、楽に吹けることでしょう。
→ さきほどより、音が簡単に立ち上がりませんか?
→ あまり疲れないと思います。
→ そして、気付いたら姿勢が改善していることでしょう。

そう、そのとき取りたい姿勢を「悪い」と害悪視せずに、気分に合わせてあえてダラッとする。その時点で「姿勢を直す(無駄な)労力」が減ります。それだけで、はるかに楽器が演奏しやすくなります。そして、自分で矯正的/強制的に姿勢をコントロールし、直し、保とうとすることさえやめれば、気持ちよく楽器を吹いていること自体が姿勢をひとりでに変化させ、崩れがいつの間にか無くなっていくのです。

【自分との接し方】

いくつかの具体的事例も挙げながら、

・身体を害悪視する傾向を、わたしたちが持ちがちなこと
・どんな問題や現象でも必然として起きていること
・身体や、問題が起きている箇所に対して、すぐに矯正や強制を施すことこそが問題を悪化させていること

を述べてきました。

プロアマ関係なく、長く続く楽器演奏生活のなかでは、ここでは具体的に挙げきれないほど数多くの「問題」に行き当たるでしょう。そのひとつひとつを詳細に解説することはあまりに膨大なページ数になってしまうので避けますが、どのような「問題」でも、どうすれば「害悪視」せずに、かつ実際に改善につながるように対応していけるかを最後に考察したいと思います。

① 多くの問題は、放っておくと自然と解決する

→ 楽器演奏とは、身体運動を通して成り立っています。ですので、演奏テクニック上の問題や行き詰まり、演奏中の身体の痛みや不快感は身体運動の結果として経験しています。

「思い通りにいかないなあ」
「なんだかちょっと腰が痛いなあ」

という身体的な気付きがあるということは、あなたの身体が「やり方を変えてね」とお願いしているということなのです。

どう変えるかは、多くの場合考える必要はありません。どうして痛いか分からなくてもちゃんと「痛いのは分かる」のと同じように、

「こうやっていると、ちょっと痛いな」
「こうやっていると、少しやりづらいな」

という「気付き」を得ながら演奏するということ自体が、うまくいけばその次の瞬間に、そうでなくとも数日〜数週間の間に

・痛くないやり方
・より思い通りに近いやり方

をできるようにしてくれるのです。

それを妨げるのが

・いますぐできるようにならなければいけない
・痛みは我慢しなければならない
・できないことがるということは、恥である
・物事は何でも必死で頑張ってやらなければならない
・自分は才能が無いから他人より頑張らなければならない
・できるようになってくるまで待つなどということは、怠慢である

といった、 根性論的で自己否定的な思想・価値観・態度 なのです。わたしたちの上達をまさに阻む根っこがここにあります。

② アレクサンダー・テクニークを使ってみる

詳しくはこちら「アレクサンダー・テクニークの使い方」をご覧になって頂きたいのですが、うまくいかない/身体が痛むフレーズを吹くときに次の2つのやり方を比較してみて下さい。

◎いつも通りに吹く

→ 出来はどうでしたか?
→ 労力はどうでしたか?
→ 気分や身体の感触はどんな感じでしたか?

◎「頭が動いて、そうすることで身体全体がついてきて、フレーズを吹く」と意識しながら吹く

→ 出来はどうでしたか?
→ 労力はどうでしたか?
→ 気分や身体の感触はどんな感じでしたか?

おそらくかなりちがいがあったかと思いますが、どうしてこれだけ簡単に改善があり、しかも心にも身体にも健康な方法があるのに、わたしたちはそれを知らずにいるのでしょう?

ここでもやはり 根性論的で自己否定的な思想・価値観・態度 がわたしたちを阻んでいます。

③ 「うまくいかなさ」や「痛み・不快感」を『興味の対象』にする

学生時代、わたしにとって、楽器演奏がうまくいかないことや、楽器演奏に痛みや不快感が伴って身体を壊すということは、非常に恐ろしいことでした。

そんなことが続けば続くほど、プロのホルン奏者になるという夢を実現せねばならないタイムリミットまでの時間が減っていき、夢の実現は遠のいてしまう―。

なので、あらゆる問題を「打破」し「解消」するためにわたしはひたすら頑張りました。健康や人間関係を犠牲にすることも厭わず、ひたすら努力しました。

しかし、その間わたしの上達にはブレーキがかかり、問題は深刻化する一方でした。

そのうち全く異なる態度で本気で問題に向き合うことになったわけですが、そこから乗り越えていったひとつひとつの問題や課題、そしていまでも次から次へと現れる新たな問題やチャレンジを落ち着いて観察しクリアしていく過程は、わたしの「職業」になりました。

問題ひとつひとつが、同じような問題に行き詰まり悩む他のひとたちを手助けするスキルへと昇華したのです。

そうして学んだのが、問題やチャレンジに「興味」を持ち、「面白がる」こと でした。

できないこと、うまくいかないこと、身体の痛みや不快感。

それらはいずれも学びと情報の宝庫です。

一歩向こうに、より自分らしく、ラクで、音楽や世界ともっとつながられる境地が待っているのです。

そう考えられるようになると、どんな問題でもさほど辛くありません。辛さを作っているのは自分自身であり、また問題があるということはその問題を解決し次の境地へと進化できる自分もまた必ずあるということを意味しているからです。

問題やチャレンジをこんなにも恐ろしく感じさせるものは何なのでしょうか?

やはり、

・下手なのはいけないことだ
・できないことがある自分は価値が低い
・問題や行き詰まりがあるのは恥ずべきことだ

という自己否定的な思考がその背景にあるのです。

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身体を害悪視しない」への5件のフィードバック

  1. いつもとても参考になる記事をありがとうございます
    おかげさまで普段、本文のようなことを意識して演奏することが徐々にではありますが、できるようになってきている気がします

    しかし、その日の合奏や音楽療法的なレクリエーションの際、なんでもないイージーなフレーズ、それこそ自分の力ならなんら問題ないところをミスしたりすると、ネガティブな感情が溢れ、恥ずかしく思ってしまいます
    根底からはネガティブな思考が払拭しきれません
    毎日吹いてるから、という根拠ももちろんですが、やっぱりすごく信頼できる奏者、それこそかっこよく吹けてモテる奏者はミスしない、と思ってしまうのです

    どのように意識すればいいのでしょうか?
    またその意識はどうすれば維持できるのでしょうか?

    • 追記です
      そりゃ、多少のミス、普段できてるけど、まぁたまにはあるよね、ぐらいのミスなら許容できるんですが、ミスがもう毎度のことです
      それを踏まえた上でネガティブが抜けきりません

    • 入江さま

      あのバボラクですら、コンチェルトを2回吹いたら、1カ所は音を外しますよ (^^)

      • つまり、世界最高峰の奏者が一ヶ所ミスするんだから、アマチュアの素人が毎日何ヵ所もミスしても別になんら不思議ではない、と捉えればいいんですかね?

        • 入江さま

          どの程度のミスの頻度を「許容できる」と捉えておられるのかが分からないので、話がかみ合わないかもしれませんが、世界最高峰ですらコンサートで完璧に演奏できるのは2回に1回ということは、わたしたちが吹いているホルンという楽器は、本当に音が外れやすい楽器であることを意味します。

          だから、まず想定している「許容量」が少なすぎるんじゃないか、という可能性は感じます。

          「根底のネガティヴ」に関してですが、それに関してわたしからブログのコメントのやり取りの範囲で提案できるのは、「思考の毒抜き」の作業だけです。

          手順はご存知ですよね。
          http://basilkritzer.jp/archives/category/不安と緊張への対処/思考の毒抜き

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