身の程なんて知ってはいけない

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この記事では、「身の程をわきまえる」という言葉が、わたしたち音楽をするひとにはもっともふさわしくない言葉であることをお話しします。

この言葉が、いかに自分を大切にする心を汚染し、夢を破壊し、行動力を奪っていくか。音楽の世界にとって損失になっています。

【自己否定中毒】

わたしたち音楽をする人の多くが、強い強い自己否定中毒になっています。

自己否定は、自分というもののあらゆる側面に、あからさまな形から一見それとは分からないものまで広範囲に及んでいます。

この自己否定のメリットはひとつだけ。努力するための莫大なエネルギー源になるということです。

しかし、副作用が大きすぎます。

自己否定を続けていると、身体が硬くなってきます。

体力が消耗してきます。

わたしの場合は、扁桃腺が腫れてしまいます。

【夢の破壊】

もっともっと深刻な副作用は、自己否定がわたしたちの「夢」を汚染し、破壊するということです。

わたしたちは、夢や希望、そういったものがなければ何もできません。生きて行くことすらできないのです。

強制収容所や冤罪で牢獄に入れられたひとでも、生きる意欲を失わずに汚名を晴らすまで粘り続けるひとたちがいます。

そのひとたちは、状況は最悪でも、「夢」や「希望」だけは必ず抱き続けているのです。

自己否定は、このものすごく大切な「夢」や「希望」を損ねてしまう恐ろしいものです。

【実現可能かどうかは、関係ない】

わたしが最近気付いたとても重要なことは

『夢や希望を抱くということは、は実現可能性を条件にしてはならない』

あるいは

『実現可能性や現実性が低くても一向にかまわない』

ということです。

わたしは、世界の超一流のホルン奏者たちの演奏を見たり聴いたりすると、とてもワクワクします。強い憧れを感じます。

わたしにとって、超一流の演奏家たちの演奏や存在は、わたしがホルンにのめり込み、練習を重ねるやる気と規律を身につけるうえで決定的な原動力でした。

しかし、音大に入った頃からか、自分のホルン奏者としての力量やキャリア面での可能性を現実的に推し量るようになりました。

それ自体はかまわないのですが、わたしはここで大きな間違いを犯しました。超一流のプレイヤーに憧れてそれを目指す事を、『現実性が薄いから無駄』と判断してしまったのです。

そこからおかしなことになっていきました。

プロのホルン奏者としてキャリアを積みたかったわけですから、もちろん音程、音域、技術などをより客観的に追究するようになりました。

しかし、「音色」や「響き」という要素は、『憧れ』の領域に属していたので、わたしはあらゆることを「音色」と「響き」を排して考えるようにわざわざ努力するようになってしまったのです。

全て客観的に優劣を付けられるような要素だけで判断しようとしました。その基準に基づいて自分を評価するようになってしまいました。

【感動と感性を麻痺させる自己否定】

そうしているうちに、段々と音楽を聴いていても、物理的な音の集合体としてか聴こえなくなっていきました。音程などを正確に聴き分けられるのですが、わたしの耳には音楽のストーリーも感動も何も感じられなくなっていってしまいました。

それでも、根本にはやはりホルンという楽器への憧憬、熱烈な興味を持っています。

だから、練習したい、うまくなりたい、という気持ちは途切れません。

だから練習をします。

しかし練習中一生懸命に自分の「夢」や「希望」を否定し、排除しながら練習しようとしていたのです。

常に「もやもや」や心地悪い緊張を感じていました。涌きあがる意欲と、一生懸命抑え込もうとする自己否定。そこに大きな葛藤がありました。

【身の程なんて、知ってたまるか!】

音大を卒業して何年もたってからやっと、自分が「目指している音」や「憧れる音楽」を持っているということを思い出しました。それをわざわざ自分で否定していたことに気付きました。

夢や希望、憧れは、たとえ満たされなくても大丈夫だし、それらを持っているだけで、あるいは持っているからこそ生きていけるし努力できるんだということが分かったからです。

どんな大きな夢でも、どれだけいまの自分とかけ離れていても、どれだけ実現可能性が低くても、他人になんと言われようとも、自分が心惹かれる目標やイメージを自分で否定してはいけません。

わたしたちは段々、大きな夢を抱く自分を「身の程知らず」だとか「夢見がち」だとか批判し、嘲笑し、夢や希望を自ら抑え込み壊しにかかってしまいがちです。

自分が心動かされ、心惹かれ、ワクワクし、いてもたってもいられなくなる。そんな存在や物事がきっとあるはずです。それは心の中にあるだけでもよいのです。現実に手に入らなくても、大丈夫なのです。

だから、少しづつ自己否定を手放していきましょう。

素直に自分の夢や希望につながっていくだけで、不思議と生きやすくなります。毎日が楽しくなります。練習がスムーズに進むようになっていきます。

はっきり言わせていただきます

身の程なんて、知ってたまるか!

d(^^)

Basil Kritzer

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身の程なんて知ってはいけない」への10件のフィードバック

  1. バジルさん、はじめまして。72歳のアマチュアホルン吹きです。(仕事はまだ現役で続けています。)
    アレキサンダーテクニークはいつも読ませて頂いています。
    今の自分の悩みは、今年72歳の老化現象のせいか、2年ほど前から唇が振動しなくなって、音の伸ばしが途切れてしまう症状が出てきたことです。口輪筋のマッサージやリップクリームを塗ったりして、何とかリハビリに頑張って、半年ほど前にはほとんど回復したと感じていました。合奏練習では調子が良い時は大丈夫なのですが、時々、唇が振動しなくなって音が途切れてしまうことが起こります。1か月半後の演奏会を控えて、ブラームスの交響曲2番のソロを無事に吹き切れるか不安でいます。
    アレキサンダーテクニークでは老化現象を克服して唇の柔軟性を回復する技術は有りますでしょうか。
    ご教示頂ければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。

    • 富田さま コメントありがとうございます。ブログの最新記事でお返事しました。ぜひご参照下さい。

  2. 私は中学二年の吹奏楽部員です。
    私は打楽器の中でもティンパニが大好きなのでオーケストラのティンパニ奏者になるのが夢です。
    でもプロの人の演奏や、同学年くらいの上手な人の演奏を聴くと、自分にはこんな演奏出来ないなぁと落ち込んでしまったりします。
    偶然Twitterからこの記事にたどり着いて読んでみたら、自分は夢を見ていいんだ、諦めるなんてもったいない!というプラスな考え方になることができました。
    これからも楽器を始めた頃の気持ちを大切に、上手になっていきたいです。

    • ももこりんぬ様

      コメントありがとうございます。

      わたしも、他のひとと自分を比べて落ち込むということをいやというほど繰り返してきました。
      結果、それは何にも役に立たないことをはっきり理解しました。

      かといって、そういうことが無くせるわけではありません。

      でも、意識的に切り替えることが長年の経験を通してできるようになりました。

      自分が自分のために音楽する。そこに戻る事が、気持ちを明るくしてくれるように感じています。

  3. 本当に本当にありがとうございます。
    まさに僕が今悩んでるところドンピシャの話題です。
    バジルさんがいてくれてよかったです。

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