– – –
プライベートなことをこのブログに書くことはほとんどありませんでした。でも、ちょっと考えあって始めた「とりあえず毎日日記を書こう」プロジェクト三日目にして、何を書こうと考えると、このことしか浮かばない。
2年前、保健所から引き取ってきた年齢不詳(その時点で推定6〜8才)のオス猫。
ボブ藏と名付けました。
逆まつげのため目はいつも目やにだらけ、歯茎が悪くて犬歯は2本抜歯してある、腎臓が悪いので何か予期せぬことはあるかもしれない。
そんな悪条件(笑)を承知で引き取った猫でした。
もともと鷹揚な、デカいオス猫が好きだったので、そういうヤツが家の仲間になって、
家はにぎやかになりました。
そんなボブも、7月初めにちょっと具合が悪そうで獣医に連れていったら、腎臓の数値がかなり悪いとのこと。
腎臓の負担を減らすために行った治療で、こんどは実は心臓も元から悪いということが判明しました。
3日いっぺんは獣医に連れていくことが続いていましたが、7月末から食べなくなり水も飲まなくなり….。
ぼくは実家でも猫と育っているので、これまで何匹か看取ってきています。
そのなかで、最期が近づくとなんとも言えない「死相」のようなものがあるのはわかってました。
ボブにも、その気配を感じていました。
そして昨日、朝一で獣医に連れていくつもりで、朝早く目が覚めてなんとなく獣医にいくのがプレッシャーに感じながら目覚ましが鳴るまでうつらうつらしていたら、ボブの嘔吐する音が。
三日間ぐらい、ほとんど眠っていたのでちょっと気がかりに思うような、
あるいはなにか悪い予感のようなものがしたのか、
記憶がはっきりしていませんが、
起き上がって様子を見ると、ボブはなにか発作のような状態で苦しそうに息をしていました。
やはり、何匹か看取ってきた経験から、「これは最期だ」と思いました。
彼の顔を手で支え、撫でつつも、
ボブはそれから5分くらいで息を引き取りました。
9年前に、実家で飼っていたアケボノというオス猫の最期のときは、
ぼく自身どうしたらいいか分からず、ちゃんと最期の最期のところは看取ってやれませんでした。
それから比べると、自分の手のなかで息をひきとるところまで一緒にいられたからよかったのだけれど….
やっぱり、もっとああしてやればこうしてやれば、と思ってしまいます。
ボブが息を引き取って一時間後には、朝食を食べました。
こんなことがあっても、お腹が減るんです。
そうやって、日常は進んで行く。
妻と、昼食も夕食も食べました。
ボブがこの世を去ってから1時間。6時間。12時間。
もう24時間以上経ち、きょう眠ったら48時間です。
そうやって、1時間・1週間・1年・一生が進んでいく。
幸いにも、それにつれて最期の鮮明で辛い記憶は、ぼやけていき、
写真などに残る楽しかった記憶ばかりになっていくでしょう。
普段、「日常」と感じていたものが、バラバラに感じます。
お腹が減ったらご飯を食べる。
お風呂に入って眠り、次の日を迎える。
仕事をする。
それぞれが、変わらず動いていくんだけれど、ひとつひとつが「パーツ」に感じられて、
ボブが世を去ったということとの無関係さ感じます。
そうやって、ぼくたちはバラバラの物事や、バラバラの感情を、
なんとなくワンパッケージにして「調和」させているつもりなのでしょうか。
仕事が終わるとふと、「あ、もういないんだ」と気づいてしまう。
そして、寂しい気持ちが突き刺さってくる。
家に帰るとき、家のドアの前で、「開けたらもういないんだ」ということがまた突き刺さってくる。
居間に入ると、「いない」ということが突き刺さってくる。
妻もいるし、もう一匹の猫ちゃんもいるんだけれど、
ボブが「いない」ということがやけに鮮明で、それが突き刺さってくる。
でもこれも、1週間もすれば慣れるのを知っています。
慣れられて、幸いです。寂しさも薄れるんだから。
やれることは全部やったと思うし、引き取る時点で通告されたリスクの通りだったということ。
でも、2年はあっという間だった。
死相を感じたから覚悟はしていたけれど、それにしても昨日だなんて。
ほんの数日のちがいかもしれないけれど、なんで、もう、こんなにすぐ?
寂しい。
ボブは寂しくなかっただろうか?孤独じゃなかっただろうか?
そればかり考えてしまうのだけれど、妻と話していて気づいたのは、これもたぶんぼくの投影なんだということ。
妻は、寂しい悲しいもあるけれど、「死」に触れて怖かったと言っていた。
ぼくは、それは無かった。
ふだん、自分の「死」を意識しても、怖さよりは、忘れられる孤独感とか、残されたひとたちの孤独とか、そういうことを怖れている自分がいます。
それを投影しているんだな。
ほかにもいくつか、ボブの最期は大事なことに気付かせてくれた。
楽しい2年間、
そして最期の大事なレッスンをありがとう。
Basil