音大等で専門的に音楽を学ぶ学生にとって最大の苦しみは、やはり「将来に不安」にあるのではないでしょうか?
私自身、音大受験準備期間から学生生活の終盤まで「将来の不安」にものすごく悩まされ、振り返ってみるとそれにより勉強や成長がかなり妨げられていた面もあるのが分かります。
将来の不安とどう付き合い、どう乗り越え、「いま」を過ごして行くか。それこそが音大生時代を通じて得た最大の学びだったとすら思えます。
先日、自分自身が将来の不安の魔の手に首を絞められて殺されそうになっていたときに、ひとつとても有効な対処法を編み出していたことに気付きました。
私は、ひどいときには「この分だと自分は到達すべきレベルに到達できず、プロの音楽家になれずにホームレスになって死んでしまう」という、極端で少々いびつな不安を抱えていました。
そのため、その不安に溺れずに浮上し一日一日を過ごすうえでいつの間にか身に付けていた方法もやはり若干極端です。しかし、必ずこれが誰かの大きな役に立つと信じていますので、紹介します。
音大生が抱える、「将来への強い不安」。音楽家として生きるのはとても難しく大変なことですし、一般大学に比べて学歴の強みも少なく一般的な就職にも不安がよぎります。卒業後のそういう現実を忘れたり無視していまを楽しく過ごせる程、無神経でいられたらよいのですが、そうもいかない繊細なひとが多いのが音大生でもあります。
不安によって身動きひとつできなくなりそうなとき、私がやっていたのは
悪い連想の終着点を現実的に考える
という作業です。
私は幸いなことに、音大生活の途中で、そもそもなぜ音大で学びたかったかという原点(=音楽家がうまくなることを的確にコーチングしたい)と、その原点の延長線上にある卒業後に進む道(=アレクサンダーテクニーク教師になる)を見つけたので、この作業を終盤は必要としなくなりました。
この作業自体は、沸き上がり積もり重なる不安の重圧から脱し、目の前の生活や取り組みをきちんとやっていくための対症療法的なものではあります。
私のように、そもそも不安の原因である迷いやズレ、思い込みを見つけて建設的な望みを見出せば、必要なくなります。
しかし、間違いなく必要な時期があるのです。
この「悪い連想の終着点を現実的に考える」という作業。私は次のように思考を展開して、自分を泥沼から浮上させていました。
「もし、プロの音楽家になれず、ちゃんとした就職もできなかったとしたら、どうやって生きて行こう?キツイ非正規雇用の労働だと身がもたないかもしれない。」
そのうちに見出した二つの可能性。極端ですが、心は救われました。しつこいようですが、これはあくまで「将来の漠然とした不安に圧倒され潰されないようにするため」にマインドに隙間を与えてあげる作業です。決して、「実際にこうすればよい」という話ではありません。
・生活保護
私はこのときほど中学の公民の授業に感謝したことはありません。ふと、この世界には生活保護という救済制度があることを思い出したのです。学生生活を送ったドイツでは生活保護への偏見や拒絶感は日本に比べて圧倒的に少ないからこそ考えることができたのでしょうが、日本にも生活保護はある。
つまり、日本という社会は、「働けなくてもあなたは生きてよい」という価値観と制度なのです。これは、全ての社会や時代にあるものでは決してなく、豊かな現代、民主的な日本だからこそあるものです。行政、社会は、救いを求めれば、確かに「生きる」ことをさせてくれる。それを思うだけで、自分にも「生きるチャンス」があることを思い起こさせてくれました。
インターネットで生活保護による生活の実態を調べ、現実的に想像しました。世間の風当たりや、受給が長引くうちに就職も難しくなることなど、決して「前向き」な気持ちにはなれませんでしたが、それでも「死ななくて済む」という希望だけでも、圧倒的な不安から身をかわし、その日の練習や勉強に気持ちを何とか向けるだけのきっかけになりました。
・宗教施設に住む
もうひとつ私がよく考えたこと。それは、何らかの宗教に入信し、そこの施設で生活することでした。これももちろん極端です。しかく不安が強烈だった中、なんとかして「きょう」やるべきこと・やりたいことはやりたかったのです。そのためには、こんなことを検討するのも大変な助けになりました。
私は両親が宗教学・宗教民俗学を専門とする学者でしたから、いろんな宗教のことを少しだけ知っていました。そのため宗教という言葉に悪いイメージはとくになく、だからこそ考えてみることができたのかもしれません。
インターネットや本で色んな宗教のことを調べ、歴史に根ざした信仰体系をちゃんと持っているか、めちゃくちゃな新興宗教ではないか、ということをチェックし、頭の中では「いざとなったら、入信して住まわしてもらおう」という宗派や団体をリストアップしていました。
これもまた、将来の不安に押しつぶされずに「きょう」を有意義に過ごす為の「テクニック」だったのです。
私が迫り来る不安(ひどいときには息もできないほどでした)に繰り返し対処し、目の前の練習やリハーサル、レッスン、あるいは単純に生活をちゃんとやっていくために考えたことはこの二つでした。
しかし、同様のパターンではひとによって様々なことを思いつくことができるでしょう。
・日本でお金を貯めて、生活費が圧倒的に安い外国に移住する。
・人不足で困っている離島に移住し現地で働く。
・親族を頼る。
Etc….
どれも極端なのですが、大事なのは、不安に絡めとられて「いま」を見失わず、「きょう」できること・やるべきことに気持ちとエネルギーを向け、きょうできることをやるということなのです。
特に、演奏という非常に高度でシビアな領域でプロフェッショナルなレベルに到達しようとしている音大生ほど、不安は高まります。その一方で、音大生ほど、「きょう」とりあえず練習することが将来のために大切なカテゴリーはありません。
そのためには、極端かどうか、非常識かどうかという倫理で考えるより、まずは不安から自分自身を解放する何らかの「手立て」「テクニック」を持っているのが大切だと思います。
私が音大生だった当時使っていたこのテクニックは、自己流だったのもあって、不格好なものです。私自身も「ずいぶん極端だなあ」と感じます。しかし、間違いなく有効です。
これを読んで、目の前の練習やレッスンに少しでも安心して取り組むきっかけになった音大生がひとりでもいれば、私はこの記事を書いたことを嬉しく思います。