ひとが変化し成長することの始まりは、「夢」にあります。楽器がうまくなりたい、という気持ち。それはまさに「夢」です。また時として、夢は「悪夢」であるときもあります。とにかく現状の苦しみや悪さが我慢できなくなり、脱却のために変わり始めることもあるのです。楽器がうまくなりたい、という強い気持ちが、二度とあんなみっともない想いはしたくない、という強烈な気持ちと表裏一体になっていることもあるでしょう。
夢あるいは望みがなければ、ひとは自らを動かすことはできません。全てはここからです。
私の旅路は、中学一年生のとき、吹奏楽部で先輩達が「ダッタン人の踊り」を練習していたのを聴いたときに始まりました。中高一貫校で高校生の先輩達と一緒に部活をしていましたので、私はこの合奏にはまだ乗せてもらえませんでしたが、先輩達が演奏をしているのを聴くのは好きでした。
とくにこの曲は美しいホルンソロがあります。それを、3歳上の先輩が綺麗に吹いていて、曲にもホルンの音色にも感激しました。このあたりから、「自分もこんな音が出したいな」という気持ちが湧いてきたのです。
間もなくして、オーケストラのCDを初めて買いました。「ダッタン人の踊り」目当てです。シカゴ交響楽団の演奏でした。聴いてみると、ホルンはもちろんのこと、全てにたまげました。オーケストラというのがこんなにも凄いものだったのだと知り、吹奏楽部に入ってよかったと、初めて確信しました。それまでは、「男だし、運動部に入らないとモテないかな」とちょっと迷っていたのです(笑)
次に先輩に勧められ買ったのが、「亡き王女のためのパヴァーヌ」。初めて長いホルンソロを聴き、これまた感激しました。
そして決定打となったのが、中2のころ。著名なソリストであるヘルマン・バウマン氏の「ヴィルトゥオーゾ・ホルン」という名盤を買って聴いたときです。それまでは「ホルンは難しくて、自由に演奏は無理な楽器なんじゃないか」とどこかで思っていました。しかし、このCDを聴いてしまっときの衝撃はそれを吹っ飛ばしました。天上の音のよう(そのときは本気でそう聴こえました)な演奏。ビロードのように滑らかな音楽。
ホルンはこんな音が鳴るんだ、という強烈な印象が、そのまま私の夢となりました。「こんな音が、出せるようになりたい」。誇張でなく、その夢が私をきょうまで14年間動かし続けました。
うまくなるため、変わるための根源的なスタートは、こういう大きな喜びや感動です。これをお読みの方で、「どうやったらうまくなれるのか」と悩んでいる方がいれば、まずは「夢」を見つけましょう。見つかっている人は、もういちどゆっくり見つめてみましょう。そのときほんの少しでも、身体に元気が湧けば。あるいは、動き出したくなったら。それはその「夢」があなたに方向を示してくれている証拠です。
変わるための構造
ひとが変化し成長するということには、ある決まった流れあるいは構造のようなものがあります。アレクサンダー・テクニークのレッスンで、教師はその構造を理解したうえで、受講者がどういう段階にあるかを把握しながら進めています。この構造は、「苦手だったフレーズができるようになる」という小さなレベルから、「プロの音楽家になる」という大きなレベルまで、様々な大きさや長さの「変化」を説明するモデルです。 そのモデルについて、すでに一通り書いていますが、また改めてこのテーマについて書き進めていこうと思います。 今回は、 ・バジル自身がいま辿っている「生き方」レベルでの変化 ・楽器演奏の上達を考えるときに役立つ基本的なモデル の両方を織り交ぜながら進めていきます。 変化には 1:夢 2:現実 3:思考 4:行動 5:見通し 6:結果 1(7):新たな夢 という循環構造の6つの段階と 段階を進んでいくのに必要な A:自分のエネルギー B:サポート(他者・外部)のエネルギー C:信頼というエネルギー という三つのエネルギーがあります。 これから数週間かけて、 1→A→2→3→B→4→5→C→6→1(7) という順番でそれぞれ見ていきます。 どうぞお楽しみに。
思考あるいは洞察
このシリーズの更新は2ヶ月ぶりとなりましたが。変化と上達のプロセスには最も抽象的なレベルではどのような仕組みがあるのかを探る今回のシリーズ。ここまでは 夢あるいは悪夢 『自分』のエネルギー 現実 ということを見てきました。上記をクリックしたらそれぞれの記事が読めるのでぜひご参照下さい。 今回は「思考あるいは洞察」というものを考察します。 変化し上達するためには現実を知ることが不可欠なのですが、私たちはその現実から得られる情報をもとに「思考」を作り上げています。物事が変わっていく時、私たちは思考が変わったり、新たな洞察を持ったりします。 私たちは、厳密に言うと現実をそのまま知ることはできません。実際には現実から得られるいろいろな情報をもとに、現実について「こういうことなのではないだろうか」という推測あるいはモデルみたいなものを「思考」という形で作り上げ、保持しているのです。 そのため、変化や上達は「現実」が変わるというよりは、私たちの思考が変わることに伴って起きていると言えます。楽器の演奏能力が向上するその瞬間。たとえば今まで出せなかった高音が初めて出せるようになったとき。確かに今までは出来なかったことが出来るようになったのですから、現実が変わったとも言えなくはないのですが、実はあなたはずっと以前からその音を出す「能力」あるいは「インフラ」は備えていたのです。ということは、試行錯誤を経てあなたは、自らが本来備えている能力の「発見」に至ったのです。 逆に行き詰まっている時やなかなか上達が起きないときは、あなたの「思考」が現実とマッチしていないまま保持されていることを意味します。「これでいいはずだ」と思って続けている練習法や奏法が、実はあなたの能力を発揮することにはつながらない行き止まりの道かもしれないのです。 ここで強調したいとのは、不調時や行き詰まりに苦しんでいるとき、それはあなたの「能力」の問題ではなく、そのとき当たり前に採用している「思考」が原因になっているということです。言葉で説明していると微妙な違いにしか感じないですが、実際には大きなポイントです。 自分に疑いを持つのか 自分の思考を疑ってみるのか こう表現すると、その違いは歴然とします。前者は自己不信の類いです。対して後者は、自分への信頼がベースにあった上で、自分の思考や捉え方を変えてみる勇気や柔軟性を示唆します。 私の個人的な…