600本以上ある過去のメルマガをAIにまとめて分析させています。
今回は、「呼吸」に関する記事だけを拾い出すのではなく、それらを時系列に並べて、私が呼吸についてどのようなことを考えてきたのか、その考えが後の記事でどう変化しているのかを分析させました。
すると、自分で一つ一つの記事を書いていたときにはあまり意識していなかった、かなり明確な変遷が見えてきました。
結論から言うと、私は「より正しい呼吸法」にたどり着いたわけではありません。
むしろ、「正しい呼吸法」というものを設定すること自体への疑いが、徐々に強くなっていったようです。
【1.まずは身体操作としての呼吸】
初期のメルマガでは、呼吸をかなり身体操作的に捉えています。
腹式呼吸、横隔膜、腹筋、息の支え、下腹部、身体を膨らませる感覚などを取り上げ、それぞれをどう使えばよいかを説明しています。
この時期の基本的な発想は、「身体には適切な使い方があり、それを習得すれば演奏が改善する」というものです。
これは当時の私にとっては、ごく自然な考え方でした。
例えば「お腹、横隔膜」「息の支えで音色激変」「45拍ロングトーンができる方法」などの記事では、呼吸を演奏のための技術として分析しています。
つまりこの段階では、呼吸は「どうするか」という問題です。
【2.腹式呼吸への疑問】
ところが、その後に「胸式呼吸は、まちがってない。むしろ必要だ」「気兼ねなく、胸式呼吸しよう」「腹式呼吸の定義」といった記事が出てきます。
ここで、腹式呼吸を絶対視することへの疑問が生じています。
実際のレッスンでは、胸式呼吸を避けようとすることで、胸郭の動きを自分で制限しているように見える人がいる。
その人に、あえて胸を使って呼吸してもらうと、演奏が改善することがある。
しかし、だからといって「胸式呼吸が正しい」という話でもない。
別の人には、腹部を使うことが有効な場合もある。
ここで問題になったのは、腹式と胸式のどちらが正しいかではなく、「腹式か胸式か」という分類そのものです。
【3.腹式と胸式という分類を疑う】
その後の「真逆の呼吸」「8パターンの呼吸体験」「あなたは腹式、それとも胸式?」「腹式呼吸・胸式呼吸の呼び方について」などを見ると、この問題がさらに展開しています。
呼吸を観察すると、実際には胸郭も動くし、腹部も動く。
その割合や動き方も連続的に変化する。
にもかかわらず、それを「腹式」「胸式」という二つのカテゴリーに分け、その一方を正しいものとして教える。
これは、実際に起きている現象をかなり単純化しています。
ここから私の関心は、「どの呼吸法が正しいか」から、「そもそも呼吸を呼吸法という単位で教えることに意味があるのか」へ移っていきます。
【4.呼吸を説明する言葉そのものを疑う】
さらに、「呼吸の深さをめぐる混乱の面白さ」「二種類の息の支え」「息の支えと息の流れ」などでは、呼吸を説明する言葉そのものが問題になっています。
「深い呼吸」と言っても、何をもって深いとするのかは明確ではありません。
「息を支える」と言っても、それが腹部を固めることなのか、息の流れを維持することなのか、身体の拮抗関係を作ることなのかで意味が違います。
同じ言葉を使っていても、実際の身体運用が同じとは限らない。
この段階から私は、呼吸についての説明を、そのまま身体の現実だとは考えなくなっていきます。
言葉はあくまで仮説であり、実際に身体で何が起きているかとは区別しなければならない。
【5.「腹式呼吸をやめる」というより、呼吸法への依存をやめる】
その後には「腹式呼吸の害」「腹式呼吸は有害なのか」「諸悪の根源!?腹式呼吸」「腹式呼吸からの解放」といった、かなり強いタイトルの記事があります。
ただし、ここも「腹式呼吸は悪い」という単純な結論ではありません。
むしろ、腹式呼吸という概念を信じることで、演奏者が「腹を使わなければならない」「腹を膨らませなければならない」「腹に力を入れなければならない」といった別の身体操作を始めてしまうことが問題になります。
つまり、問題なのは腹部が動くことではない。
「腹式呼吸をしなければならない」という規則によって、身体の使い方を固定してしまうことです。
この区別は、現在の私にとってかなり重要です。
【6.息の支えから、息の流れと圧力へ】
さらに後期になると、「息の支え」と「息の流れ」の違い、「息は流す、それとも込める?」「息の圧・息の流れ」といったテーマが出てきます。
ここでは、腹式と胸式という分類から、さらに別の軸へ移っています。
息を流すのか、圧力を作るのか。
しかし、ここでも最終的には「どちらが正しい」という結論にはなりません。
ある奏者には流れを重視することが有効で、別の奏者には圧力を意識することが有効な場合がある。
つまり、呼吸の分類が変わっただけで、再び別の「正しい方法」を作ってしまってはいけない。
この問題は、後に「楽器奏法・身体運用の決定権」というテーマにつながっていきます。
【7.身体運用の決定権を本人に戻す】
「楽器奏法・身体運用の決定権」の一連の記事は、私の呼吸法観を理解する上でかなり重要だと思います。
ここでは、教師が「こう呼吸しなさい」「こう身体を使いなさい」と決定すること自体が問題になります。
教師ができるのは、仮説を提示することです。
その仮説を実際に試してみる。
その結果、音がどうなるか、身体がどうなるか、本人の感覚がどう変化するかを見る。
そして、その身体運用を採用するかどうかを決めるのは、最終的には本人です。
この考え方になると、呼吸法は「教え込む技術」ではなく、「探索するための仮説」になります。
【8.そして、呼吸そのものを意識しない】
そして後期の「身体を意識しない自由」「呼吸なんか意識しなくていい」まで来ると、かなり大きな転換が起きています。
ここでは、もはや「どう呼吸するか」が中心問題ではありません。
音楽をどうしたいのか。
どんな音を出したいのか。
どんなフレーズを歌いたいのか。
その目的に身体が応じた結果として、必要な呼吸が起きるのであれば、それでいい。
呼吸を意識して操作する必要さえない。
これは「呼吸は重要ではない」という意味ではありません。
むしろ、呼吸を重要視するあまり、呼吸を操作対象としてしまうことへの疑問です。
【9.AIの分析から見えたこと】
今回AIに過去のメルマガをまとめて分析させて、私自身が最も興味深いと思ったのは、私の考え方が「腹式呼吸から胸式呼吸へ変わった」という単純なものではなかったことです。
もっと正確に言えば、
「正しい身体操作としての呼吸」
から始まり、
「腹式呼吸だけが正しいわけではない」
となり、
「腹式と胸式という分類自体が粗い」
となり、
「深い、浅い、支える、流す、圧力といった言葉も、そのまま身体の事実ではない」
となり、
「身体運用についての決定権を本人に戻す」
ところまで進み、
最終的には、
「呼吸そのものを意識しなくてもよい」
というところまで来ている。
つまり、私の呼吸法観は、呼吸についての知識が増えていったというより、「呼吸法」という概念によって身体を規定することへの依存が、徐々に減っていったと見る方が正確です。
AIによる今回の分析は、私が過去に書いた一つ一つの記事を評価するものではありません。
むしろ、私自身がその時々には意識していなかった、記事と記事の間にある変化を拾い上げる作業でした。
その結果として見えてきたのは、「正しい呼吸法を発見した私」ではありません。
むしろ、「正しい呼吸法を設定することそのものを、次第に疑うようになった私」です。
これは、現在の私の奏法観、そしてレッスン観を考える上でも、かなり重要な変化だったと思います。

