奏者の主観を「体が動くための体への指令」と見立てた場合、
見つけていきたいのは
『どのような主観が 楽器演奏がうまくいく 傾向があり、どのような主観が楽器演奏がやりにくくなる傾向があるか』
ということです。
これは、「実際どうなっているか」という客観的観察や描写と重なることもあれば重ならないこともあります。
しかし、「どうすれば・どう考えればうまくいくか」の探求においては、
どうなっているか
何が正しいか
の観察や描写の試みは、うまくいくという結果を得るための手段の1つに過ぎず、うまく行く 主観 が見つかるならばここは別にこだわる必要はないわけです。
逆に言えば、客観的に正しい 描写 であってもそれを主観に持ってきた時にうまくいくかどうかをテストしなければなりません。
そしてもしうまくいかないならば、どれだけ客観的に正確だったり正しいとされる意識でも、それはその人にとってあるいはその時点において機能しない意識であるということになるのです。