メルマガで配信した記事『息のイメージ』について読者の方とやりとりをさせて頂きました。
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【読者】
いつも配信ありがとうございます。
金管も息を吹き込まない、出す息ではなく出る息で演奏すると言う事だろうと思います。
出る息で演奏するためには、深く強い息の吸い込みが必要と認識しています。
金管楽器はどの様なイメージでしょうか?
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【バジル】
息をリード≒唇に当てる
息でリード≒唇を動かす
などですね!
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【読者】
ありがとうございます。
息でリード≒唇を動かすがPointですね。マウスピースを当てても音域にフォーカスする為、意図的ではなく唇が自由に動く必要があり、その為マウスピースへの圧力は自由に動くように、最小限度にすべきだと思っております。
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【バジル】
ところが、うまい人ほどプレスが強い傾向を示唆する観測実験があります。
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【読者】
プロはプレスしても跳ね返す腹圧をお持ちだと思います。腹圧の必要性を認識して使っています。津堅直弘氏、高橋敦氏やタルケビ氏などはそれが良く分かります。
しかしプレスが強すぎれば、高音で必要なマウスピースへの唇の集中ができないと思いますので、強いと言っても適度のプレスということかと思います。
サンドバル氏は、「プレスは相当強く、もし何もしなければマウスピースが顔を突き抜けてしまう。なので、それをブレスで押し返している」と極端な事を言ってましたが、感覚はそうなのでしょうね。
一般のアマは息の吸い込みも浅く、腹圧も弱く、唇で音を出そうとしてしまうので、論外ですが。。。
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【バジル】
適度、過度という度合いの話をするときは、何を基準にどのような根拠に則ってどの度合いを適正と定義するかを明確にするのが建設的です。
一方、プレスは避けたほうがいい、できればしないほうがいい、あるいは逆にしたほうがいい、必要だという論は度合いではなく性質の話です。
これについては適用範囲についての議論になります。例えば避けるべきと一般化すると先のメールに挙げた研究事例がもうその時点で反証になります。逆に、いかなる場合もプレスはすればするほどよいとすると、ノンプレス装置を活用して奏法を組み立てることに成功した奏者の存在が反証になります。
したがって、どの範囲や条件において、プレスはすべき・しないべきかを見出そうとする試みにほかならないわけです。
わたしは、プレスはいくつかの理由から、必要なことであり悪いことではなく、あまり良くないこと・できれば避けた/減らしたほうが良いことというニュアンスで描写することは必要なことを揺らがせて悪影響をもたらす危険がありあまり建設的な描写の仕方ではないと考えています。
例えば、「過度」なプレスを起こしているのが呼吸のスキルが原因であれば、それはプレスが悪いのではなく呼吸のスキルをプレスで代替せざるを得ない状況であり、プレスを責めてもあまり意味がなく、語るべきはプレスについてよりは呼吸についてであるのではないか、そう考えます。
良い呼吸で過度なプレスをすれば起きることは音が上にハズレることであり、するとプレスの程度のコントロールは望む音を出すためのコントロールという文脈に回収され、かつハズレた方の音に対しては適切なプレスであったという生産的な学びも生み出します。
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【読者】
はい、100%同意です。
私の場合、「明るい音で、自由に淀みなく、楽な演奏」ですが、そのための「呼吸やプレスやアンブシュアその他全ての要素のきちんとしたバランス取り」が大切と思います。
すべては、出ている自分の音と理想の音を耳で聴き分けられれば解決に向かうのですが、特にアマチュアはそれができにくいです。
余談ですが、芸大で以前トロンボーンによる良い音と悪い音をオシレータ機械で視覚的に見せていた番組があり、大変興味深かったです。確か機械で響き成分を解析した内容だと思います。
自分の音を視認できれば、良い音がでている感覚が自然と身に付くと思っています。
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【バジル】
聴き分けのこと、本当にそうですね。楽器の師匠に学ぶことの最大の意味はまさに、聴き分けすることをお手本を通じて、お手本を示さない師匠の場合は的確なフィードバックを通じて身に付けさせることだと感じています。
視認の話も世の面白いですね。フィードバックのチャネルが聴覚以外にも開くことは、非常に可能性を高めると思います。