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100人中10人が「モノ」になる奏法論があるとして、これは10%の確実性・再現性がありそれは凄いことだと思う。
でも残り90人がモノにならないとき、その原因を90人の才能、努力、態度などに求めるとこの奏法論はそれ以上良くならない。
90人のうちより多くが前進できる双方論を模索してもいいじゃないか!
更には、100人中10人だけついていけない奏法論があるとして、その原因を10人の才能、努力、態度などに求めるとこの奏法論もそれ以上良くならない。
異なる複数の方法の組み合わや選択を含め、100人が100人とも最大限に前進する奏法論の枠組みとは?
それを考え見出そうすることが指導者の倫理なのかもしれない。
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