先ほど、オルダス・ハクスリーの講演録「人間の潜在的可能性について」を読んでいて、次のような言及がありました。
人間が思ってもみなかった潜在的能力を発揮するのには、2つのケースがある。
ひとつは、より頻繁にみられるものだが、危機である。人間は危機に立たされたとき、力を発揮する条件に置かれる。
もうひとつは、幸福である。人間は幸福感を感じているときに、力をより大きくより良く発揮する。
危機の本質は持続しないことにある。人間は危機に長い期間立たされると、緊張が過大となりいずれ潰れてしまう。
一方、幸福は力を発揮し続け、より良く機能する条件となる。
これは実は、アレクサンダーテクニークの演奏への応用に深く関わるテーマです。
アレクサンダーテクニークを使えば、もちろん危機への対処もより柔軟に、そしてストレスをうまく解消/緩衝しながらできる可能性は生まれます。
しかし、幸福の方が危機より持続性に優れているのならば、それは積極的に本番・演奏でも働きかけたいものではないでしょうか?
現実には、(音楽に限らずですが)教育において危機を利用する傾向が強いように思えます。
宿題をしないと叱られる、失敗したら怒られる、うまくいかなければ落第する。
「そうなりたくない」から努力をするという傾向は社会的に根強いと考えられます。
もし、音楽教育の初めの段階から一貫して、教育のフォーカスが「本番の素晴らしさ」「聴衆と演奏を通してつながることの幸福」「音楽をすることの意義」にあれば、それはその教育を受けて育つ人間が「幸福」であるが故に努力することにつながります。
幸福が持続性に優れ、かつ力を発揮するための条件なのであれば、こちらの方が生産的ではないでしょうか?
アレクサンダーテクニーク教師は、この事をよく知っています。危機を無視したり過小評価をするわけではありません。
ただ、やりたいことの「幸福」こそが持続的な生産性につながることを理解しています。
それ故、レッスンを続けて行くうちに、演奏がより幸福な条件設定と結びつきはじめるのです。
身体的な面の改善にとどまらずに、多くの音楽家にとってアレクサンダーテクニークが有益である理由がここにあります。